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危機的な司法で法曹一元化が必要な理由

ヨーロッパや韓国で導入、閉鎖された日本のピラミッド組織の裁判官社会再生に不可避

瀬木比呂志 明治大法科大学院教授

 「ラーゲルの内部は複雑に絡み合った階層化された小宇宙だった」

 「囚人たちは非常に非人間的な状態に置かれていたため、自分の世界についてほとんど統一的な見方ができなかった」

 プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』(竹山博英訳、朝日選書)

 法曹一元制度というのは、相当の期間弁護士等の法律家経験を積んだ者から裁判官や検察官が選任される制度であり、英米法系諸国では、古くからこのシステムが採られている。これに対し、キャリアシステムというのは、司法試験に合格した若者が司法修習を経てそのまま裁判官や検察官になる官僚裁判官・検察官システムであり、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ大陸諸国及び基本的にその司法制度を受け継いだ日本等で採られている。私は検察官についても法曹一元化が望ましいと考えるが、この文章では、以下、主として裁判官を念頭に置いて論じる。

 私は、従来から、日本のキャリアシステムには問題が大きく、ことに近年はその劣化と荒廃が進んでいることをも考慮すると、司法を再生してそのあるべき姿を実現させ、国民、市民のための裁判、当事者のことを第一に考える裁判を実現してゆくためには、本格的な法曹一元制度の実現が不可避ではないかと考えている。

 日本の裁判、裁判所の問題については、すでに、『絶望の裁判所』、『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)を始めとする一般書や専門書で詳しく論じてきた。

 たとえば、当事者の方ではなく最高裁やその事務総局の方ばかりをうかがいながら行われる官僚的な裁判、ことに社会のあり方や価値に関わる裁判、裁判官が当事者の双方とではなく一方ずつと交互に面接しながら、そして強硬に進めることがままある不透明な和解、最初から検察官寄りに推定有罪の方向で進められることの多い刑事裁判、旧態依然の古い家族観に縛られて人々の意識や社会の変化に追い付けず、家族のためのサーヴィス機関としての役割を十分に果たせていない家裁のあり方等、日本の司法には、問題が山積している。

 しかも、2000年代の司法制度改革が裁判所内の権力争いに利用されたことから、閉鎖されたピラミッド組織の裁判官社会は、ますます息苦しいもの、非寛容で非人間的なものになってきているのである。

  このことは、司法制度改革により弁護士数が激増し、裁判官数もかなり増加したにもかかわらず民事訴訟新受件数がここのところ逆に激減していること、民事訴訟利用者の満足度が2000年度以降の3回の調査でいずれも2割前後ときわめて低いこと、最高裁判所裁判官国民審査におけるバツ(罷免を可とする票)の比率が最近の2回の衆院選で増え続け、2014年12月の衆院選では、平均9.2パーセントと1割の大台に近付いていること、2001年以降に裁判官の性的な不祥事が9件も連続して起こり(裁判官約300人に1人の割合となる)、その中には、被害者抵抗不能の状態でわいせつ行為を行った準強制わいせつ事件までが含まれていること、などのデータからみても、明らかではないかと思われる。多くの人々は、もはや、裁判所や裁判官を信頼していないのではないだろうか。

  日本の裁判官の多数派は、今や「法服を着た役人、裁判をやっている官僚」であり、当事者や被告人については、訴訟記録の片隅に記された「記号」、せいぜいのところ「事務処理の対象」としかみていない。大変残念だが、裁判官として私自身が見聞してきたところによれば、そういわざるをえない。

  日本のキャリアシステムは、最高裁長官を頂点として相撲の番付以上に細かな層を成す上意下達のヒエラルキー、ピラミッド型身分制度だという点でも特異である。

  同じキャリアシステムでも、たとえば、現在のドイツのそれが、ナチス時代に対する反省もあって徹底的に民主化され、弁護士の水準が低いことと相まって、裁判官がむしろ率先して正義の実現のための方向付けを行うような制度となっているのとは、全く異なるのだ。

終審裁判所である最高裁判所の庁舎=2012年、東京都千代田区終審裁判所である最高裁判所の庁舎=2012年、東京都千代田区
  むしろ、日本のキャリアシステムは、
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