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坂口恭平、“避難所からの避難”と復興(下)

「熊本から日本を変えたい」、そのキーワードは?

田中敏恵 文筆家

避難所になっている総合体育館でアリーナに入れず、廊下で避難生活を送る人たち=2016年4月24日、熊本県益城町避難所になっている総合体育館でアリーナに入れず、廊下で避難生活を送る人たち=2016年4月24日、熊本県益城町
 「かつてキース・ヘリングが暮らしていた部屋を5月1日から7月まで借ります。そこで、震災復興のプランを練っていきたい。仲間も募集していて、建築学科の学生たちが手を挙げてきています。週に1回会議を開き、そこで復興案を提出してもらうつもりです。また、ゼロ円生活圏を日本の各地に作りたいと思っています。もちろん、地盤調査なども念頭にいれて。それをあせらずにやっていきたいです。熊本から変わっていけたら、日本が変わっていくと思っています」

 復興プランを練る拠点となるのは、東京都渋谷区神宮前のキラー通り、ワタリウム美術館の向かいである。早稲田大学建築学科を卒業している坂口恭平さんは、そこで協力者とともに5月から復興のアイディアを作り上げるつもりなのだ。これを4月20日には決めていた。また、前述した現代ビジネスオンラインに全4回の長文で掲載の『坂口恭平の熊本脱出記』も同20日にアップされている。16日未明の本震後から避難所を経て関東へと一家で向かう様などは随時ツイートし続け、時にはツイキャスを使って音楽をかけ、踊りながら動画で熊本へメッセージを送っていた。

 「熊本県の副知事は知人で、県サイドにもいろいろと話をしていました。自治体も動き出していて、九州や山口の知事が公営住宅を一時避難先として提供することが決定されました。いつ来るかわからない地震の揺れに耐え続けるのは本当につらい。一時でもそこを離れることを考えて欲しい」

 自己発信できるSNSを駆使するだけでなく、大手メディアや自治体にも働きかけながら復興のプランを立ち上げていく。東日本大震災後“新政府内閣総理大臣”を名乗り、約3万円で作れるモバイルハウスを発表し土地に縛られることなく暮らす自由を発信した当時の彼の姿と重なる。土地に縛られない、住まいのためだけに労働することから解き放つ。最もしがらみを持ちそうな

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