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作家や有識者にもある女性記者へのセクハラ

「原稿を取ってくるのが第一」という風習と「物腰の柔らかさ」につけ込む権力者

久田将義 TABLO編集長

財務事務次官のセクハラ問題の記者会見で、頭を下げる矢野康治官房長(左)と伊藤豊秘書課長=2018年4月27日、財務省財務事務次官のセクハラ問題の記者会見で、頭を下げる矢野康治官房長(左)と伊藤豊秘書課長=2018年4月27日、財務省
 #MeToo案件が世界的な運動となっている現在にあっても、女性記者に対するセクハラ、パワハラは蔓延している。財務省の福田淳一前事務次官の、テレビ朝日女性記者に対する「セクハラ音声」が公開されたのは記憶に新しいため、「官僚が女性記者に」という構図がフィーチャーされたがこれは氷山の一角に過ぎないととらえている。

 確かに、取材相手に対して、上司や編集部が女性記者、女性ライターを当てる事がある。「女性特有の物腰の柔らかさ」から口が滑らかになる、という部分は否定できないからだ。そしてそれによって、ネタが取れれば、それは女性記者にとっても本望なはずである。むしろ、勲章ぐらいに周囲から思われる事もある。

 しかし、「女性特有の物腰の柔らかさ」につけ込んだセクハラも少なくない。前記したように#MeTooには特に、敏感にならなければいけない現在にもかかわらず、どうも自覚がない人が多いようだ。

 政治家、官僚だけでなく作家、有識者からのセクハラも多々、聞く話である。有名作家が原稿を取りにきた女性記者に対して、セクハラ的罵倒をし、彼女が泣きはらして会社に戻ってきたなどという事も実際に起きている。

 そうまでして原稿を取ってこなければいけないのか、という疑問を抱く読者の方もいらっしゃるであろう。が、メディアの世界は独特の風習があり、「それでも原稿を取ってくる」のが第一義というのは残念ながら揺るいでいない。先ほど記した「有名作家のセクハラ罵倒の件」は

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