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あるカミングアウトが生んだLGBTネットワーク

上司と部下、ふたりの会社員がはじめたLGBT支援が日本を変える(上)

浅尾公平 会社員

 

藤田直介さん(右)と部下の稲場弘樹さん藤田直介さん(右)と部下の稲場弘樹さん

影も形もなかった団体

 「今日、私たちはヒストリカル・モーメント(歴史的瞬間)を迎えられたと思います」

 パネルディスカッションの冒頭、200人近い聴衆に向かって、国連人権担当事務次長補のアンドリュー・ギルモアさんが力強く語りかけた。登壇者は彼を含めて十数人。国連の幹部級職員、法務省や外務省のキャリア官僚、野村ホールディングスやパナソニック、みずほフィナンシャルグループ、GEジャパンの執行役員、外資系法律事務所のパートナー……といった人々が前に立ち、意見を語り、議論を重ねていく。

 2018年6月5日、東京・南青山の国連大学本部5階にあるエリザベス・ローズ国際会議場。夕方から、NPO法人「LGBTとアライのための法律家ネットワーク」(LLAN=ラン)が国連人権高等弁務官事務所と共催するイベント「LGBTIと企業活動」が開かれていた。

 企業はLGBTなど性的マイノリティをいかにサポートすべきか──。国境を越えて重要なこの課題について、世界の動きや日本企業の取り組みなどを、講演やパネルディスカッションで報告、議論していこうというイベントである。また、国連人権高等弁務官事務所が2017年9月に公表した「LGBT行動基準」の、日本でのお披露目となるローンチイベントでもあった。

 前述した登壇者たちの話を聴いていたのは、主に弁護士、研究者、企業の幹部や法務、人事、ダイバーシティ担当者といった人々だ。また、勝間和代さんとパートナーであることを公表して話題を集めた増原裕子さん(LGBTアクティビスト)や川村安紗子さん(EYJapanシニアコンサルタント)、藥師実芳さん(ReBit代表理事)、上川あやさん(世田谷区議)など、LGBTサポートの第一線で活動している著名人たちも参加して、パネリストを務めたり、出席者同士を紹介したりと、会場で精力的に動いていた。

 語る側も聴く側も、まさしく錚々(そうそう)たる面々が顔を揃えたイベントだった。国際的なイシューであるLGBT支援問題の重要さのみならず、主催したLLANの影響力の強さを物語ってもいた。

 ところがこのLLANという団体、実はほんの数年前まで、影も形もなかった。3年余り前、同じ会社で働く上司と部下の2人で、ひっそりと始めた組織だったのである。

自殺行為に等しいこと

「ソニーダイバーシティーシアター2017」で講演する稲葉さん=2017年9月「ソニーダイバーシティーシアター2017」で講演する稲葉さん=2017年9月

 これまでずっと黙っていたことを、思い切って話す日がついにやってきた。絶対に大丈夫だ。うまく行くに違いない──。

 2015年5月、東京・六本木のゴールドマン・サックス証券のオフィス。法務部シニア・カウンセルの稲場弘樹さん(当時49歳)は自分にこう言い聞かせていた。上司である法務部長の藤田直介弁護士(当時52歳)に週に一度の業務報告をする直前のことだった。

 「ちょっとお話ししたいことがあります」

 一通り報告を終えてから、稲場さんはこう切り出した。「何?」と聞き返した藤田さんに、続けてこう言った。

 「僕はゲイなんです」

 まったく予想もしていないカミングアウトだった。しかし、藤田さんに特に驚いたという感覚はなく、部下の告白を「ああ、そうなのか」と冷静に受け止めたという。藤田さんはこう振り返る。

 「今も思い出すのは、ゲイの当事者だと打ち明けた瞬間、稲場の顔がパッと晴れやかになったことです。本当に物理的な現象としてね。肩の荷が下りて、背負うものが急に軽くなったような感じでした」

 実は稲場さんは長い間、カミングアウトするつもりはまったくなかった。社会には今もなおLGBTへの差別や偏見が根強くあるが、若い頃はもっと深刻で、とても自分のセクシュアリティを他人に明かせる状況ではなかったのだ。稲場さんは当時の様子をこう語る。

 「LGBTについて、今ではメディアできちんと取り上げられる機会が少しずつ増えていますが、それでもまだテレビのバラエティ番組などではまともな人間として扱われないことが多いし、まして昔はアブノーマルな存在とされるのが普通でした。当事者が自分の性的指向を隠すのは当たり前のことだったんです。私が社会人になった1990年代初めの頃などは、ゲイ当事者でも、自分も周囲も偽って異性と結婚するケースが少なくなかった。

 そんな偏見が強い中でカミングアウトするのは、いわば『私はまともな人間ではありません』と宣言するような、自殺行為に等しいことでした。同じ意識が、以後もずっと自分の中にあったんです」

 稲場さんは2002年、日本企業からゴールドマン・サックス(GS)に転職。3歳年上の藤田さんと知り合い、同じ社内の法務部員として一緒に働くようになった。その時期もまだ、カミングアウトするという選択肢は一切考えなかった。 

どのタイミングで、どう明かすのか

東京地方裁判所での講演会で語る藤田さん(右)と稲葉さん(中央)=2015年11月東京地方裁判所での講演会で語る藤田さん(右)と稲葉さん(中央)=2015年11月

 状況が変わり始めたのは2009年のことだった。一時期GSを離れていた藤田さんが再入社して法務部長に就任し、稲場さんは部下となる。同時にその前後から、GSは全社的にLGBT支援の取り組みを、以前にも増して活発に行うようになった。

 LGBT問題をテーマに、研修、パネルディスカッション、映画鑑賞会、識者を招いての昼食会など、社内でさまざまな試みがなされた。藤田さんはそれらに出席し、やがて企画する立場にもなっていく。しかし当時はまだ、今ほど積極的にサポートしていたわけではなかった。

 「私は法務部長として管理職研修に出席していましたが、その一つに、LGBTに関するプログラムがあったんです。でもそのときは『LGBTってどこかで聞いたことがあるな』くらいの認識で、L(レズビアン)とG(ゲイ)とB(バイセクシュアル)とT(トランスジェンダー)がそれぞれ何なのかもわからなかったし、カミングアウトした知り合いも1人もいませんでした。

 しかし、研修を受けていく中で、LGBTの問題は非常に重要だと思うようになりました。だから真面目に受講しましたし、学んだことを周りに伝えることも大事だと考え、法務部の部会では稲場たち部下にその都度きちんと報告していた。ただ、研修を受けてその内容を人に伝える以上のことは、何かしたいと思ってはいたんですが、まだ行動には移せませんでしたね」(藤田さん)

 それでも上司からの熱心なフィードバックは、稲場さんの気持ちを少しずつ動かしていった。GSでLGBT支援の取り組みがさかんに行われるようになった当初、稲場さんは「これは一過性のものではないか」と疑っていた。しかし、動きはまずます強化されるばかりで、社内の意識も高まっていく。

 中でも、藤田さんが研修などで学んだことを情熱的に伝えてくれるのを受け止めるうちに、稲場さんの中で、「こんなに上司が頑張ってくれているのに、当事者の自分が黙っているのは申し訳ない。いつかカミングアウトしたい」
という思いが生まれ、次第に強くなっていった。

 とはいえ、それまで何十年間も自分の性的指向を人に明かしていなかった稲場さんにとって、当然、カミングアウトに踏み切るのは簡単ではなかった。信頼する上司の藤田さんが相手でも、どんなタイミングでどう話せばよいかわからない。

 そのきっかけが、あるとき、まるで天の啓示のようにいくつか集中的に訪れる。2015年5月のことだった。

多くのきっかけが重なって、決断へ

ゴールドマン・サックスのLGBT支援社内イベント「ピンクフライデー」でゴールドマン・サックスのLGBT支援社内イベント「ピンクフライデー」で

 GSでは2015年5月、法務部が中心となって、LGBTを扱ったドキュメンタリー映画の社内鑑賞会を開く企画がスタートした。それに主体的に関わりたいという希望を持った稲場さんは、「当事者であることを隠したままではやりにくいので、カミングアウトして自分が企画をリードしたい」と考えるようになった。

 またGSでは、毎年、全社員が1日を使って何らかのボランティア活動を行うことを推奨しており、その中で稲場さんは、LGBTの就活生にメンタリングをするプログラムにメンターとして参加したいと考えた。このプログラムが開催されたのも2015年5月だった。ただし、メンターを務めるにはやはり、カミングアウトして自分が当事者だと明かす必要があった。

 さらに同じ5月、東京地方裁判所からGSに「裁判官向けにLGBTをテーマにした研修をしたいのだが、御社はこの問題に積極的に取り組んでいると聞いたので、社員のどなたかを講師としてお招きしたい」という依頼があった。知り合いの法曹関係者を通じて最初にそのコンタクトを受けたのが、何と稲場さんだったのだ。

 「会社以外でも、フランス人のゲイ当事者の友人がパリで結婚したり、1年前に亡くなった母の一周忌をすませたり、といったことが2015年5月にありました。父はずっと前に他界していて、私は一人っ子なので、カミングアウトしても心配をかける家族もいなくなった……という気持ちはありましたね。結局、これだけいろいろなことが同時に起こるのは、今こそ公表するタイミングが来ているという意味だなと考え、決断しました」(稲場さん)

 こうして稲場さんは、自分がゲイ当事者であることを藤田さんにカミングアウトした。必ずうまく行くはずだと信じていたが、実際に打ち明けた後は、やはり「ああ、きちんと伝えられてよかった」とホッとしたという。

 続けて稲場さんは、他の人たちにも自分の性的指向を明かしてしていった。社内のLGBT支援ネットワークのメンバーや法務部の同僚たち、一緒に仕事をしている他部署の同僚たちに話した後、会社の幹部およそ40人を招いた会議の席でもカミングアウト。法務部主催のドキュメンタリー映画の鑑賞会では、パネリストとしてディスカッションにも参加した。

 藤田さんが心配していたのは、カミングアウトした稲場さんへのバックラッシュ(反発)だった。いじめやからかいを受けるのではないか、侮蔑の対象になるのではないか……。しかし、「そういうことは全然なかった」(稲場さん)。

 藤田さんは嬉しさに胸を撫で下ろした。

(続く。次回「『誰でも受け入れよう』広がるLGBTへの共感 上司と部下、ふたりの会社員がはじめたLGBT支援が日本を変える(中)」は18日に「公開」しました)  

「『誰でも受け入れよう』広がるLGBTへの共感 上司と部下、ふたりの会社員がはじめたLGBT支援が日本を変える(中)」

「人と違っていい。LGBTによる差別のない社会へ 上司と部下、ふたりの会社員がはじめたLGBT支援が日本を変える(下)」