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裁判官の市民的自由の保障こそ司法の独立の基礎だ

ツイッターめぐる最高裁の岡口裁判官に対する戒告処分決定に思う

海渡雄一 弁護士

 かつて自分の白ブリーフ姿の写真を投稿するなどして話題になった岡口基一・東京高裁判事が、今度は自身が担当していない裁判についてツイートしたため、最高裁から戒告処分を受けた。これは、一裁判官の懲戒処分にとどまらない大きな問題をはらんでいる。この問題をめぐり、弁護士の海渡雄一さんに寄稿していただいた(WEBRONZA編集部)。

分限裁判で戒告処分を受け、会見する岡口基一裁判官=10月17日、東京・霞が関

140字では事実関係や事情は紹介できない

 10月17日、最高裁は東京高裁の岡口基一裁判官を戒告処分に処した。理由はツイッターを一つ書いたことだ。岡口さんのツイッターは多くの弁護士が読んでいる。司法に関するトピックが取り上げられ、政府や大企業に迎合する判決を書いた同僚裁判官に厳しい批判のツイートを繰り返してきた。実は、私も岡口さんのツイッターをフォローしている読者の一人である。

 今回問題とされている岡口さんの行為は裁判官としての活動ではなく、一市民としての表現活動にほかならない。最高裁大法廷決定によると、懲戒の原因とされた事実は、東京高等裁判所で控訴審判決がされて確定した自己の担当外の事件である犬の返還請求等に関する民事訴訟についての報道記事を閲覧することができるウェブサイトにアクセスすることができるようにするとともに、「公園に放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,もとの飼い主が名乗り出てきて, 『返して下さい』えっあなた,この犬を捨てたんでしょ?  3か月も放置しておきながら・・裁判の結果は・・」との文言を記載したツイートをして、 訴訟を提起して犬の返還請求が認められた当事者の感情を傷つけたとされている。

 そして、決定は、「本件ツイートには、上記飼い主が訴訟を提起するに至った事情を含む上記訴訟の事実関係や上記飼い主側の事情について言及するところはなく、 上記飼い主の主張について被申立人がどのように検討したかに関しても何ら示されていない。」とし、このツイートは、「裁判官が、その職務を行うについて、表面的かつ一方的な情報や理解のみに基づき予断をもって判断をするのではないかという疑念を国民に与えるとともに」、「当該原告の感情を傷つけるものであり」、「裁判官に対する国民の信頼を損ね、また裁判の公正を疑わせるものでもある」と判示している。

 しかし、ツイートする場合には、140文字という厳しい字数制限がある。訴訟の事実関係や上記飼い主側の事情について言及することなど、最初から不可能である。また、このツイートは判決内容を詳しく紹介したウェブサイト(ヤフーニュース)上の報道記事を引用している。こちらを読めば、事実関係や飼い主側の事情もわかり、訴訟が飼い主側の勝訴となったことがわかるのである。

 要するに、岡口裁判官は、一つの興味深い民事判決の判示内容を広く市民に知らせようとしただけであり、判決に関するヤフーニュースの記事の予告編を書いただけなのだ。決定は、ツイッターという表現手段の仕組みと制約条件を正確に理解して書かれたものとは思えない。

 人を特定し、その名誉を傷つけるような言論は、表現の自由の保障の対象から外れるが、岡口さんのこのツイッターは決してそのようなものではない。このような些細なツイッターを理由に、裁判官の分限裁判が開かれ、戒告処分がなされたということ自体が驚きだ。この決定には山本庸幸、林景一、宮崎裕子裁判官の補足意見が付されており、岡口裁判官がツイッターを理由に過去に二度の厳重注意処分を受けていることを指摘し、3度目だから「もはや宥恕の余地はない」と意見を述べている。「本件ツイートは,いわば『the last straw』(ラクダの背に限度いっぱいの荷が載せられているときは、麦わら一本積み増しても、重みに耐えかねて背中が折れてしまうという話から、限界を超えさせるものの例え)ともいうべきものであろう」と説く。しかし、この補足意見は、今回のツイートが一本の藁にも等しい些細なものであることを自認している。

裁判官にも一市民として表現の自由がある

 ここで、まず確認しなければならないことは、裁判官にも「表現の自由」があるということである。その上で、裁判官に与えられている職務上の権限と義務に関連して、その表現の自由がどのような理由で、どこまで制限されうるのかを論じなければならない。

 決定は、「憲法上の表現の自由の保障は裁判官にも及び、裁判官も一市民としてその自由を有することは当然である」としつつ、岡口さんの行為は「裁判官に許容される限度を逸脱したもの」とだけ論じ、逸脱していると判断した根拠を示すことができていない。

 過去に、裁判官の政治的表現の自由の範囲について最高裁判所大法廷の判断が示されたことがある。1998年12月1日付の決定で、いわゆる寺西和史裁判官事件の決定である。私はこの裁判で寺西裁判官の代理人の一人であった。最高裁の多数意見は、「裁判官は、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべき」と述べ、寺西裁判官が盗聴法に反対する集会のパネルディスカッションに出席する予定だったが、所長から懲戒処分もあり得るとの警告を受けたので、出席は取りやめるとの発言が裁判官として許されない政治活動に当たるとして戒告処分とした。

 しかし、この決定には5名の反対意見が付された。反対意見の理由は多岐にわたるが、例えば、河合伸一裁判官は「憲法の保障する思想・信条の自由及びこれに伴う表現の自由は、政治について自己の見解や意見を持ち、それを表明する自由を含むものであり、裁判官も、国民の一人として、基本的にこれらの自由を有することは多言するまでもない」。「現代の複雑かつ変化を続ける社会においてこれを適切に行うためには、単に法律や先例の文面を追うのみでは足りないのであって、裁判官は、裁判所の外の事象にも常に積極的な関心を絶やさず、広い視野をもってこれを理解し、高い識見を備える努力を続けなくてはならない」と述べていた。

 ドイツでは、裁判官法39条において、「裁判官は、その職務の内外を問わず、政治的行動をする場合においても、裁判官としての独立性に対する信頼を損なうことのないように行動しなければならない」と定めているが、そのドイツでは、裁判官にも労働組合があり、反核運動や環境保護運動に取り組む裁判官も珍しくない。裁判官が中心となって人権侵害の危険性のある法律案を修正させたこともある。このような裁判官像こそが、市民の司法に対する信頼の源泉となっているのである。

裁判官は憲法問題について意見を表明する自由がある

 ヨーロッパ人権裁判所においては、裁判官に公的な討論に加わる自由があることが自明の前提とされている(注1)。そして、この自由は、裁判と裁判官の公平性と司法の独立性に対する市民の信頼を傷つけるような場合には制限される。

注1 ECHR, Harabin v. Slovakia, 62584/00, 29 June 2004.

 リヒテンシュタインの高等行政裁判所の所長を務めるウィル裁判官が、憲法問題に関して公に発言したことに対する報復として、王子(Prince)によって解雇され、再任を拒否されたという事件がある。意見は、講演会の場で表明され、報道もされた。意見が政治的な内容を帯びるものであったとしても、原告(高等行政裁判所の所長)の発言は、公的機関の職員の名誉を毀損するような如何なる内容も含まれていないとして、王子による解雇と再任拒否の措置は、目的達成のための均衡を欠いており、ヨーロッパ人権裁判所は、表現の自由を定めた条約10条の違反を認めた(注2)。

注2 ECHR, Wille v. Liechtenstein, 28396/95, 28 October 1999, para. 64

 2011年には、フランスの裁判官と検察官が、サルコジ大統領が残虐な犯罪発生は司法に責任があると発言したことに抗議してストライキを行ったことがある。また、オランダでは、2015年の裁判官による効率化対策と司法機関のさらなる地理的集中に抗議して、裁判官の表現の自由に関する問題が表面化し、裁判官は前例のない方法でこれらの動向に抗議した。彼らは裁判官が着用するローブを着て街頭で演説し、短いストライキを要求し、報道陣と話し、Twitterを通じて重要なメッセージを送った(注3)。

注3 Sietske Dijkstra “The Freedom of the Judge to Express his Personal Opinions and Convictions under the ECHR” (Utrecht Law Review Volume 13, Issue 1, 2017)

自己の担当した事件について公にコメントした場合も、事案によっては許される場合がある(ロシアの例)

 裁判官の表現の自由に対する制限が認められるかどうかは、それぞれのケースの具体的な状況、その裁判官が所属する裁判所、対象とされる表現の文脈、罰則の程度などを総合的に考慮しなければならないとされている。

 次に紹介するのはロシアのクデシュキナ判事に関する判例である(注4)。クデシュキナ判事はモスクワ市裁判所で警察官の汚職事件について審理を担当していた。手続きの途上で、彼女は事件の担当から突然外された。彼女は自分の職務上の理由はないとしているが、国側は、彼女が審理を遅延させていたと主張した。その数カ月後、彼女はメディアのインタビューに答え、事件の担当中に、市裁判所の所長から圧力をかけられていたことを明かし、このような事態はロシアの司法における、権力操作のより広汎なパターンに合致していると論評した。そして、彼女は、解雇されてしまったのである。

注4 Kudeshkina v. Russia(26 February 2009

 ヨーロッパ人権裁判所は、クデシュキナ判事の取り上げた問題は公益に関連し、彼女のインタビューにおける発言の一部に一般化や誇張が認められるとしても、公平なコメントといえると判断した。そして、クデシュキナ判事に課せられた懲戒処置は、公的な討論に参加しようとする裁判官に対する萎縮効果をもたらすことを指摘し、ヨーロッパ人権条約10条違反を認定したのである。

司法の独立の危機的な状況においては、裁判官はこれと闘う表現の自由を持つだけでなく、これを闘う義務を負う(ハンガリーの例)

 最後に、最近の重大事件を紹介する。それは、ハンガリーのバカ判事に関する事件である(注5)。この事件の原告であるバカ判事は、なんとハンガリー最高裁判所の長官であり、1991年から2008年までヨーロッパ人権裁判所の判事を務めた方である。バカ判事は2009年にハンガリ-国会によって、最高裁判所長官に任命され、任期は2015年までの6年と定められた。長官として、バカ判事は行政上と司法上の任務を遂行し、その任務の一環として政府によって提案された司法制度の改革についての意見も述べた。

注5 ECHR, Baka v. Hungary 23 June 2016

 2011年4月議会は、ハンガリー新基本法を採択した。この憲法は、多くの人権制限条項を含み、市民団体だけでなく、国連やEUと欧州議会、ヨーロッパ評議会、ヴェニス委員会(ヨーロッパ評議会のもとに設置された法の支配の確立のための独立組織)、ドイツ政府などから危惧の念が表明された。また、この改革案には、裁判官の定年を70歳から62歳に切り下げるなど司法に関わる重大な規定を含んでいた。

 バカ判事は、判事の定年年齢引き下げを含む、この憲法案のいくつかの問題点について、公に意見を表明した。そして、憲法は、新たな最高裁判所として「クリア(Kuria)」の設立を決め、その裁判官の要件は、最初からバカ判事には当てはまらないように操作され、そして、クリアの設立に伴って、最高裁判所は廃止されたとして、バカ判事は失職してしまったのである。ヨーロッパ人権裁判所は、ハンガリー政府のこのような措置は、ヨーロッパ人権条約6条1項(独立した裁判所で公正な裁判を受ける権利)と10条に違反することを認定した。

 裁判所は、バカ判事の任期は憲法原則に基礎を置くもので、バカ判事を最高裁長官から放逐した措置が、バカ判事の表明した意見に対する報復であることをうかがわせる事実上の証拠があると認定し、同判事の表現の自由が侵害されたと認定した。

 ヨーロッパ人権裁判所は、バカ判事がこのような意見を述べたことは、権利の行使であるだけでなく、司法の公平性を維持するための義務でもあったと述べている点が注目される(パラグラフ168)。

 この判決は、政府によって司法と裁判官の独立性が侵害されようとしている場合には、裁判官にはこれと闘う権利があり、同時に闘う義務があることを示している。司法制度が崩壊の危機に直面しているような状況では、一人一人の裁判官は、政府と対決してでも、司法の独立と裁判官の独立を守るために闘わなければならないことを、この最新のヨーロッパ人権裁判所の判決は示している。

岡口裁判官の行為は、全く自由な個人的な意見表明である

 このように、ヨーロッパ人権裁判所の判例法は、裁判官が公に裁判官の肩書で発言するとき、とりわけ自らの担当事件について発言するには、適度の抑制が求められるが、市民としての発言にはそのような抑制は求められないことを示している。

 たとえば、

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