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ゴーン事件 「国策案件」が生んだ捜査のゆがみ

五十嵐二葉 弁護士

日本の検察は大丈夫か

カルロス・ゴーン会長の逮捕を受け、記者会見する日産自動車の西川広人社長=2018年11月19日夜、横浜市西区、
 「世界が衝撃を受けた電撃的な逮捕」(朝日新聞12月11日付、以下新聞の日付はいずれも2018年)日産自動車のカルロス・ゴーン前会長逮捕の時点から、東京地検は司法取引事件だと明示している。しかも金融商品取引法(以下「法」と略)の有価証券報告書(以下「報告書」と略)の虚偽記載という行政上の形式犯で、一橋大学の王雲海教授が「アメリカなら逮捕しない」という容疑だ。そのうえ一連の行為を何回にも分けて逮捕・勾留を多数回繰り返すセパレート・チャージという、これも少なくとも先進国では許されない方法で1カ月以上になる長期間の起訴前勾留と取り調べをしている。

 暴力団や国際的犯罪組織の「経済犯罪や薬物犯罪等を中心として、末端の関与者に処分又は量刑上の明確な恩典を保障してでも、より上位の者の刑事責任を解明・追及するというダイナミックな手法」(法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会が1013年1月に公表した部会審議のまとめ「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」の司法取引部分)と説明されて成立した日本版司法取引だが、その実質的な恩典は、1号事件に続いて2号事件も、暴力団や麻薬犯罪の末端者ではなく、大企業の経営戦略を決める幹部が受ける構図だ。

 ゴーン氏の容疑を検察は「実際に受け取った役員報酬より少ない額を報告書に記載した」ことだとしている。

 しかしこの解釈が、事実として、また法的に正しいのかには多くの問題点がある。

「重要な事項」に当たるかどうかが決定的な論点

 まず前提として、法が報告書の虚偽記載として処罰の対象とするのは報告書のすべての記載ではない。罰則は「重要な事項につき虚偽の記載のあるものを提出した者」(法197条)と搾りをかけている。何が重要な事項なのかはこの法律の目的規定「金融商品等の公正な価格形成等を図り、もつて国民経済の健全な発展及び投資者の保護に資すること」(同1条)によって判断されるはずだ。虚偽記載によって、投資家が誤ってその商品(ここでは日産の株式)を買うような「事項」として、刑罰を用いてまで虚偽を防ぐ必要がある項目が「重要な事項」だ。

 11月20日付毎日新聞が「有価証券報告書の虚偽記載として企業トップが逮捕された例」としてあげているのは「虚偽の株式保有割合を記載」(コクド)、「巨額の負債を抱えた関連会社を連結対象から外した粉飾決算」(カネボウ)、「経常損失が出ていたのを経常利益が出たように見せかけた」(ライブドア)、「有価証券の巨額の含み損を隠した」(オリンパス)の例で、これなら投資家が誤ってその会社の株式を買う危険性を理解できる。

 読売新聞は11月29日付で、ゴーン氏とともに逮捕された取締役のケリー氏が「東京地検特捜部の調べに対し『報告書への記載方法を金融庁に相談し、問題ないとの回答を得ていた』と供述している」と報じている。記事は「金融庁はケリー容疑者側への回答の有無について『個別企業に関することなのでコメントは控える』している」と結んでいるが、重大な事件の捜査に関わることだからそれは当然で、ケリー供述を否定していないところを見るべきだ。

 会社役員がその年度に受け取る報酬額が虚偽記載として処罰の対象になったことはこれまでなかった。「重要な事項」と言えるのかについては、研究者の見解も分かれている。

 「ガバナンスのゆがみ」として「重要な事項」に当たると、検察の見解を支持する意見(早大・黒沼悦郎教授 朝日新聞12月11日付)もあるが、ゴーン「逮捕後、日産株価は5%ほど下落したが、すぐに回復に向かった」ことをあげて「虚偽だとしても投資判断を左右するほど『重要』か。刑事罰に当たるほどなのか疑問だ」(甲南大・梅本剛正教授 朝日新聞12月8日付)という意見もある。「日産の株式時価総額は『会長逮捕』という逆風下にありながら、今なお四兆円を超えている」(井上久男「ゴーン追放 日産クーデター劇全真相」月刊文藝春秋2019年1月号135頁)。

 もし日本の裁判で後者の意見が正しいとされればもちろん、されなくとも、有罪無罪を分けるこの決定的な論点を世界がどう判断するかが今後の問題だ。

 見解が分かれる危うい解釈で「世界が衝撃を受けた逮捕」そして起訴をしてしまった日本の検察は果たして大丈夫なのか。

退職後の双務契約や報酬はその年度の報酬か

 「重要な事項」論点で、日本の公判裁判所がもし検察の側に立ったとして、それを前提にしても、問題がなくなるわけではない。問題は山積みだが、主なものを2~3あげてみよう。

 まず、報道の中で最も量が多いのが、報告書に記載した年間10億円の報酬以外に、年度によって違うが約10億円などを、どういう形で受け取ることになっていたのかで、それによって、将来退職時に受け取るとしても、その年度の報酬とみなして報告書に記載するべきか、の問題になるという検察がとっている解釈だ。

 報道されたものを検討してみよう。「差額」をたとえばそのための固有の口座などに年分ごとにすべて積み立ていたのなら実際に支払われていなくともその年度の支出となるという考えも成り立つが、「日産は退任後の報酬を積み立ておらず」(12月1日付毎日新聞)と報じられている。退職後現金で受け取る約束であっても、将来退職した際の退職金の額を約束したことだから、その年度の支出である「報酬」として報告書に書く必要はない。どの会社でもそうしているだろう。

 支払額が確定していたかどうかが、問題の中心のように報道されているが、退職金の金額をあらかじめ確定していても、その年度に支払っていないものを報告書に書いている会社はないだろう。法も求めていない。

 「絵画で受け取る」との報道もあった。これも同様に、退職に伴う贈与あるいは報酬であって、その年度に買っていれば経費として計上するが、買っていない限り、記載するべき報酬とは言えない。

 退職後に「コンサルタント契約、競合他社に再就職しない契約」などの名目で支払われる約束になっていたとの報道もあった。民事債権法の観点からみれば、支払い約束は、会社がゴーン氏に対して金銭債務を負い、ゴーン氏側にも「コンサルタントをする」「競合他社に再就職しない」などの民事上の義務(債務)が生じる、それは「退職」を効力発生にかからせる停止条件付双務契約であって、その金額の約束は、その年度の役員報酬とは関係なく、当然報告書に記載する義務はない。

 報告書に記載した年間10億円以外に受け取る額があまりにも多すぎるという評価と、それを当該年度の報酬とみなすかどうかは、まったく別の問題だが、メディアも感情的に混同していると見える。

 当該年度の報酬額の一部を隠す意図が「報告書を提出する義務」を負う者(法5条による報告書を提出すべき者=会社・日産、と法207条で、その「代表者、使用人その他の従業者」法人である日産、その虚偽記載を処罰される同社の「代表者、使用人その他の従業者」)に、もしあったとしても、法的にその受け取る当該年度の報酬と評価できないなら、「隠された意図」とは別に、虚偽記載ではない。

 役員報酬は総額を株主総会で報告するが、個々の役員に支払う金額は取締役会で決める。

 もしこれを虚偽記載とするなら、単にそのからくりを練ったと言われている秘書室幹部だけではなく、当該年度の報酬額とは別に退職後に上記のような形で、残額相当分をゴーン氏が受け取ることを是認していた役員らは全員虚偽記載の共犯者になる。報道の中には、ゴーン会長の報酬は、本人、ケリー氏、西川氏の3人で決めていたというものもあった。決めてはいなくとも、他の役員が知らなかったということはないだろう。知っていて異議を言わずに容認していたのなら共犯になる。

 多額の退職後報酬を受け取るかどうかが、虚偽記載に当たるのではなく、また受け取る者だけが虚偽記載者ではないという当然の事理を、特捜部は知ってか知らずか。そして加熱した報道はそこを見ないようだ。

検察が起訴するのはほかに誰か

 その事実を法に則してみればこうなる。197条罰則は「重要な事項につき虚偽の記載のあるものを提出した者」が対象だ。「提出した者」とは日産で、両罰規定である207条で前記の通りで、法定刑は、法人である日産は7億円以下の罰金刑、事実上虚偽記載のある報告書を作成した個人らは10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金、又はその併科となっている。

 検察は12月10日にゴーン氏と法人である日産を起訴すると発表し、それまで発表していなかった、司法取引において検察に協力した密告者(スニッチ〈snitch〉刑事訴訟法の条文上では「被疑者又は被告人」)は「秘書室幹部」だったと報じられた(朝日新聞12月11日付)。

 だが、

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