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中澤、楢崎、吉田……レジェンドの引き際の哲学

引退発表が重なった1月8日、運命的な一日にレジェンドたちが続けて引退表明を

増島みどり スポーツライター

 レジェンドたちや彼らを支えたクラブ、周囲が「その日」を意図的に選んだのかは分からないが、引き際を明言するにこれほど運命的で、ふさわしい日はなかったのではないだろうか。

天皇杯決勝のサンフレッチェ広島戦前半、横浜マリノス・中澤(左)は左コーナーキックからのこぼれ球を頭で押し込みゴールをあげる=2014年1月1日、東京・国立競技場
 2019年がスタートして1週間の1月8日、サッカーの日本代表として06年ドイツ大会、10年南ア大会に出場したDF中澤佑二(40=横浜マリノス)が午前、プロ20年のキャリアに幕を閉じるとクラブを通じて発表した。

 午後には、日本代表の守護神として初出場を果たした1998年フランス大会から実に4大会連続でW杯に選出されたGK楢崎正剛(42=名古屋)も、J1試合出場数631試合(歴代1位)の金字塔を築いたキャリアに終止符を打った。

 夕方には、女子レスリングでアテネ五輪から3連覇を果たし国民栄誉賞も受けた吉田沙保里(36)が、自らのツイッター・インスタグラムで「このたび33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断しました」と明かし、スポーツ報道の現場は慌ただしさとある種の寂しさに包まれた。

 1月8日は、「勝負の日」だった。

 「一か八か」との言葉から、語呂を取った日だという。長く濃厚なキャリアを勝負に捧げた3人が、最後に自分との勝負として引退を選んだ日が重なったのは、不思議な縁に思えた。

 また、新年号が平成に変わり、1989年平成が始まったのも1月8日。ひとつの時代を走り続け、ファンに喜びを与えたトップ選手がこの日に区切りを付けたのも面白い偶然であった。

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