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上方歌舞伎を継承する片岡秀太郎、愛之助

江戸歌舞伎が主流のなか、13代仁左衛門の遺志を継ぎ今年70回目を迎える南座顔見世

薄雲鈴代 ライター

 平成最後の顔見世興行を南座で見て、松嶋屋の片岡秀太郎さんに目が離せなかった。なんて‘愛おしい’という心をもった役者さんなのだろうと思った。

『封印切』で井筒屋おえんを演じる片岡秀太郎=2018年11月22日、京都市東山区の南座顔見世、撮影:堀出恒夫
 平成30年11、12月と2カ月連続の顔見世で、11月は松本白鷗、幸四郎、(市川)染五郎の三代襲名披露で沸いていたさなか、第三幕目の『封印切』に夢中になった。

 上方和事の真骨頂ともいうべき演目で、人好きのする憎めない色男忠兵衛が、大坂新町の傾城梅川を身請けし、募る想いを遂げて結ばれるも人生を堕ちてゆく名場面である。そのふたりの仲をとりもつ井筒屋の女将おえんを演じていたのが片岡秀太郎さんであった。

 そのおえんであるが、劇場で秀太郎さんが演じているのはわかっていながらも、本物の大坂新町の遊廓の女将が出てきたのかと、思わずにいられなかった。

「演じないで役になる」片岡秀太郎

 あまりに自然な演技といえばそれまで。秀太郎さんに覚えた衝撃は、一言では言い表せない。秀太郎さんのことばに「演じないで役になる」という一節がある。それこそまさに言い得て妙である。

 今回は南座発祥400年に際し、贅沢にも何度も顔見世に足を運んだが、観るたびに秀太郎さんのおえんは違っていた。江戸の歌舞伎が型(かたち)の美であるのに対して、上方の歌舞伎はなんとも情があって融通無碍なのである。

 「かたちは稽古をすればできる。しかし、心はそうはいかない」と、秀太郎さんはいう。

 人ゆえのどうしようもない情けなさも、それゆえの可愛らしさも、清濁併せもった上方の匂いが松嶋屋の『封印切』にはあった。

片岡秀太郎専属の写真家・堀出恒夫が撮り続ける理由

 片岡秀太郎専属の写真家が京都にいる。

 「平成12年に大阪松竹座さんからポスター撮りの依頼があって、そこからの御縁です。18年間、ずっと秀太郎さんの舞台写真、ポートレートを撮り続けています」

 京都を拠点に活躍する堀出恒夫さんは、写真家として40年、第一線を歩み続けている。京都市中京区壬生にあるスタジオに伺って、堀出さんの多彩な仕事ぶりに正直仰天した。秀太郎さん、その子息愛之助さんの写真はもとより、伊勢神宮の式年遷宮(第61回)の専属写真家としての膨大な記録、東大寺国宝の仏像の写真もあれば、白隠禅師の墨蹟を追って全国行脚した大成本も手掛けられている。

 ただただ凄いなぁと感嘆する私に、「いえいえ、これが仕事ですから」と、飄々と気負うことのない堀出さんが柔和な笑顔で答える。

 「依頼に応じてきっちり撮影をする‘仕事としての写真’とは別で、秀太郎さんの写真は‘私の作品’なんです」

 歌舞伎役者なら誰でもいいというわけではない。片岡秀太郎さんを撮ることに意味があるという。

 「秀太郎さんを撮り続けることは、貴重な歴史を遺すことに通じます」と、堀出さんは語る。

 しかし、歌舞伎役者を被写体にすることは、さぞ大変なのではと穿って見てしまう。撮られる秀太郎さんと、撮る堀出さんの間で、写真の良し悪しに乖離はないのだろうか。

 「たしかに着物の裾捌きや、形の乱れを役者さんは気にされますし、こちらが捉えた動的な一瞬がそれにそぐわないこともあります。ですが、“これは堀出さんの作品だから”と、秀太郎さんは寛容です」

 堀出さんのスタジオには、あらゆる秀太郎さんの舞台写真が精彩を放っている。見事なアングルなので、リハーサルの時に自在に撮影しているものとばかり思っていた。ところが聞けば「リハーサルのときは、役者さんは着物を汚すといけないので手の白塗りを省きます。だから写真は撮れません。すべては上演中に、劇場の最後尾で客席に迷惑にならないよう撮影しています」という。

 先の顔見世の公演中に、堀出恒夫写真展「女形―片岡秀太郎」が京都文化博物館で開催された。大盛況のなか、公演の合間に駆けつけた愛之助さんやその妻・藤原紀香さんの姿もあった。紀香さんは義父秀太郎さんの妖艶なポートレートに魅了されていたという。

 歌舞伎の上演中もさることながら、式年遷宮の諸行事、平成2年には、平成の大礼(皇位継承式典・伊勢神宮親閲の儀)も撮影されている堀出さんは、躊躇する間もなく‘二度とない煌めく一瞬’をカメラでとらえる仕事をしている。

 「不思議なもので、理屈や技巧ではなく、ふっと降りてくる瞬間がある。撮るのではなく‘撮らされる’、恍惚とシャッターを切る瞬間があるのです」

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