メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

民放AMラジオはもう自由にさせてあげよう

公共性、基幹性、非常時盤石の議論は別のプレイヤーに向けるべき

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

Nirat.pix/shutterstock.com

 先月、日本民間放送連盟(民放連)が、AMラジオ局がAM波での放送をやめてFM放送に乗り換えることができるように監督官庁の総務省に制度改正を要請する方針、という報道が広まり(朝日新聞デジタル2019年3月23日など)、同27日開催の総務省有識者会議「放送事業の基盤強化に関する検討分科会」での提出資料にも明記されている。これに対して各種報道やネットの声では、「災害時の責任はどうする」「懐中電灯や車で聴けなくなる」「報道機関、放送事業者として公共性の確保を」などの意見もあがっている。これに大幅な異論を唱えたい。

 筆者はこれまで、「ラジオ業界は自己改革で商売替えの覚悟を」(WEBRONZA2010年10月7日)、「‥あぶはち取らずで業界改革にもならないワイドFM」(同2016年1月1日)、「‥インターネット広告の隆盛がラジオの必要性を後押し」(同2017年5月10日)などと論じてきた。いずれも音声の質が時代遅れというべきもののトーク番組や地域密着取材を通じて国民に長年浸透してきたAM民放ラジオの歩むべき方向性について、米国のラジオ(大都市だと100局くらいあり、視聴者層を極端に限定した番組編成とネット・テレビ連携で相応の広告収入を得てきた)を例にしながらヒントを示してきた。

災害時におけるAM民放ラジオならではの役割はもうない

 要するにこれらは民放ラジオの話であり、報道機関の話でも公共放送の話でも災害対策の話でもない。それらが日本の「AMラジオ」において混在した議論がなされている。昨今のもろもろの災害時にAMラジオが役に立ったとは言うが、それはテレビやケータイ・スマホの補完に過ぎず、おそらく聴いていたラジオとはAMのNHKラジオ第1放送か、地元のコミュニティFMであった可能性が高い。すでに日本の大災害において緊急情報受信媒体は複数用意されており、現在のAM民放ラジオならではの役割はそこにはもうないし、なくても済む。

 AM民放ラジオの主たる収入はAM波の聴取率に基づく広告収入ではあるが、すでにインターネット配信「radiko」(ラジコ)の普及とともにインターネットブラウジングとの親和性と、音声メディアならではの「対話感」「親近感」「ストーリー感」によって広告収入は横ばい状態が続いており、民放ラジオをしぶとく生き残らせていることは、前述の拙稿でも述べてきたところだ。

FM波への「引っ越し」は自然な姿

 もちろん民放ラジオ各局にも報道の機能はあるが、民放が報道機能を持ち続けることの最大の意義は(これも複数の拙稿で繰り返し述べてきたとおり)「第四の権力」として公権力や強大な産業・民間の権力を監視し、社会の多様性健全性を確保する役割にある。迅速かつ正確な報道を災害時に確実に届ける役割は、少なくともAMラジオならNHKで十分(しかも民放よりもNHKの電波のほうが届きやすい)、むしろ必要なことは、多くのスマホやカーナビも含めてテレビ放送波が受信できること、そのスマホやカーナビからインターネット回線もつながること、それら(ラジオ・テレビ・ネット)が並列し補完して、被災者が自らを救う手掛かりになること、ではないのか。「基幹放送たるもの免許域内の全世帯に到達する電波網を整備すべし」と放送免許条件に定めているのなら、広域に届いても音質の良くないAM波を返上して、よりクリアに視聴できる(しかし電波の性質上到達エリアが狭くなる)FM波への「引っ越し」を願い出るのは、自然な姿と言える。

 国土強靭化の一環として政府が主導し民放がお付き合いで乗りNHKが静観した「ワイドFM」について、

・・・ログインして読む
(残り:約1561文字/本文:約3123文字)