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テレビは「改元」をどう伝えたか

“象徴天皇”の課題を伝えず、“ことほぎ”一色に染まった

水島宏明 ジャーナリスト、上智大学文学部新聞学科教授

4月30日夜のテレビ欄。NHKは改元をまたぐ時間帯に大みそかを思わせるタイトルの「ゆく時代くる時代」を放送。お笑いコンビの爆笑問題やタレントの指原莉乃さんらが平成を振り返りながらトークをした

「儀式の解説」ばかりに重点が置かれたテレビの報道番組

 4月30日の前天皇陛下の退位の儀式、5月1日の新天皇陛下の即位の儀式、そして4日の一般参賀での国民向けのお言葉と「改元」をめぐる一連の儀式はテレビで生中継され、テレビ各局は特別番組を編成したり、通常のニュース番組の「特別版」を午前中に放送したり、番組枠を拡大するなどして放送した。改元の瞬間となる5月1日の正午を挟んで、NHKも民放も「改元一色」に染まるような放送を続けた。一連の儀式を「ニュース」として通常番組を拡大したNHKをはじめ、民放各社もこの即位にかかわる儀式などを中心にしてテレビで放送した。

 それぞれの番組では、各局の解説委員、皇室担当の記者、宮内庁元職員らの皇室ジャーナリスト、皇族の元同級生などがめいめいコメントし、映像やボード、フリップ等を使った用語解説を中心にスタジオコメントに終始した。

 退位と即位に伴う儀式や行事は、「退位礼正殿の儀」、「剣璽等承継の儀」、「即位後朝見の儀」など一般の人々には馴染みのないものだったほか、そこで着用される「黄櫨染御袍」などの衣装や継承される「三種の神器」「御璽」などの品々もわかりにくいものだったため、一連の番組では儀式や使用される品について解説することに重点を置いていたのが今回の報道番組の特徴だった。

内容がない「ことほぎ」の言葉のオンパレード

 他方で、一連のテレビ番組では各社共通して、お祝いムードを盛り立てる「ことほぐ」言葉が過剰に使われた。「ことほぐ」という言葉は漢字では「言祝ぐ」あるいは「寿ぐ」と書く。広辞苑では「言葉で祝福する」という意味だと説明されている。放送で使われた言葉を改めて書き出してみると、あまり内容がないように思える「盛り上げるために盛り上げる」表現や過剰な敬語や丁寧語が散見された。さらに「天も味方してくれている」「皇居が笑っている」というような、普段のテレビではあまりしない「神がかった」表現もテレビでは放送されていた。例を挙げると、5月1日の日本テレビ「news every.特別版」で放送された以下のようなやりとりが典型といえる。

藤井貴彦アナウンサー
「さらにですね。空が晴れやかで、所さん、お二人にとって今日一日が晴れて良かったなという思いがあったんでしょうか?」

所功京都産業大学名誉教授
「本当にうれしいですね。やはり天も味方してくださったというか。本当にことほいでくださっている感じですね」

 この場合、「ことほいでくださっている」の主語は誰なのか。会話の流れから解釈すれば、「天」あるいは「神様」だろう。「神様が祝ってくださっている」という、ふだんはテレビで出演者が使うことがない言葉だが、こうした宗教がかった言葉が堂々と語られていた点は注目に値する。

 この日本テレビ『news every. 特別版』では天皇、皇后両陛下が車で御所と皇居を移動する様子を生中継する場面で「皇居を擬人化する言葉」も飛び出した。ちょうど新緑が映える晴れの天気に恵まれた話題の中での出来事だった。

藤井貴彦アナウンサー
「小山さん、やはりお二人にとって晴れというのは?」

小山泰生さん(天皇陛下の元同級生)
「本当に新緑がきれいで皇居が笑っているというのか、そういう感じでございますよ」

 「皇居が笑っている」という表現、皇居を人に例えた擬人法だが、筆者は初めて聞いた。

 5月1日午後に同じく日本テレビで放送されていた『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ制作)でも司会者の宮根誠司とゲストコメンテーターのおおたわ史絵との会話は、「日本礼賛」ともいえるような方向に向かっていた。

宮根誠司キャスター
「おおたわさん、平成という時代は非常に災害も多かった。そのたびに天皇皇后両陛下が被災地に赴かれ、我々と同じ目線でお話くださり、励ましてくださいました。そこがまさに平成の時代の象徴というものを具現化されたと思う。
今度は新しい天皇皇后両陛下はどのような形をお示しになるのでしょう?」

おおたわ史絵(=総合内科専門医)
「そうですね。これだけ、世界という意味で見ると、争いや戦いが多い中で、日本は平成の30年間は世界と戦争することなく過ごしてきた。
あの、やっぱりすごい国だと思うんですね。
これはおそらく新天皇陛下も新皇后陛下も望んでいらっしゃると思いますので、やはり世界の平和と日本の平和というのを第一に考えていくべきだと思います」

宮根誠司キャスター
「日本という国は見事な国ですね」

 「日本は見事な国」。宮根のこの言葉の最後にこのコーナーはCMに入ってしまったが、同じように「日本の現状を肯定する言葉」=日本礼賛言葉が他の番組でも相次いだ。

 5月5日のテレビ朝日『サンデーLIVE!!』。これは1週間のニュースを振り返り、世の中の大きな流れを視聴者に見せていく報道番組だが、コメンテーターの弁護士で中央大学法科大学院教授の野村修也の言葉が印象に残った。

 前日に行われた4日の一般参賀の際に、天皇陛下が気温が上昇したことを受けて集まった人たちの健康を気遣うコメントをされた点について、野村は以下のように話している。

野村修也・中央大学法科大学院教授
「『このように暑い中、来ていただいたことに感謝いたします』というお言葉は、6回のうち2回あったんです。もともとあった言葉につけ加えられたということですが、何か私たちに対する思いやりを感じられる一般参賀だったなという感じがします。
私個人としては、あのお言葉を聞いて、 何か心の中に染み入ってくるようなわかりやすさ、伝わりやすさをすごく感じました。
個人としては令和の時代に何かこう、ちょっと 怒りとか憤りを感じたときに、あのお言葉で感じた令和が始まるときを思い起こして自分自身の 気持ちを整えたいなという気がしました」

 野村の言葉は、何か怒ることなどがあっても「自分自身の気持ちを整え」ることで受け入れようとしたいと姿勢を改めたいと主張しているように聞こえる。

典型的な「メディア・イベント」

「即位後朝見の儀」に臨む天皇、皇后両陛下=5月1日、皇居・宮殿「松の間」、代表撮影

 メディア研究の分野では 「メディア・イベント」という言葉がある。

 国家イベントや商業イベント、学術イベント、文化イベント、スポーツイベントなどと様々なイベントの中でマス・メディアにあわせて報道されることが主な目的で意図的に作られる出来事を「疑似イベント」と呼ぶ。そのなかでテレビ中継・報道されて 「社会にとって何らかの中心的な価値や、集合的記憶の一面にスポットライトをあてる祭典」として人々に理解されるようなものを特に「メディア・イベント」と呼ぶ。

 これはメディアのコミュニケーションやジャーナリズムを研究する者の間では比較的知られた概念だ(参考:大石裕著『ジャーナリズムとメディア言説』勁草書房 2005年)。 今回の改元に伴う一連の儀式を振り返ってみると、まさに「メディア・イベント」と呼べるものになっていた。「メディア・イベントでは、『支配的パラダイムの補強』という観点が優先」されるという指摘がある(参考:前掲書)。つまり、「メディア・イベント」には現存する体制を肯定して補強する要素がある。野村のコメントの言葉をよく聞いてみると、そうした「支配的パラダイムの補強」というニュアンスが強いことがわかると思う。

 「メディア・イベント」は国民を統合する要素が強いとされるが、確かにそうした「統合」を強化するような言葉がテレビでは目立った。

<天皇を中心にして国民が心で結びついている>

<その場を目撃できることが国民としての喜びである>

 そんな“イデオロギー”がテレビ番組の出演者たちの口から次々に無自覚なまま電波に載せて視聴者に届けられた。

5月4日 フジテレビ『FNN特報 新天皇陛下 初の一般参賀』
(一般参賀での天皇陛下のお言葉を聞いた後で)

佐々木恭子アナウンサー
「改めてどのような思いで聞かれました?」

乃万暢敏さん (=小学校から大学院までの18年間、天皇陛下と同級生)
「これはこの日にふさわしいお言葉なので、天皇家がどういうものか、どういうふうにしていくのか、すべての、日本にとどまらず、人たちの心を一身に集められているお言葉ですね」

佐々木アナ
「こう決意に満ちた1分足らずのお言葉ではありますが、決意に満ちたお気持ちを感じますね」

(中略)
佐々木アナ
「いやあ、あの、でも本当に、この何か晴れやかな日に立ち会えることが、橋本さん、私たちもまたうれしくなりますね」

橋本寿史解説委員
「本当ですね、しかも、この晴天のなか、やはり皆様のお姿、晴天のなかだと特に映えて、拝見できますので、とてもいいお姿を、この画面からも見ることが私たちもできました」

佐々木アナ
「(5月)1日の日も大変、晴れやかな表情を見せてくださいました天皇皇后両陛下。今日はいっそう晴れやかで穏やかでいらっしゃいました」

 「メディア・イベント」が国民規模の共同体を統合するものだという点に注目して、テレビの言葉を振り返ると、令和になったときのテレビ番組は「日本人」の“一体感”を醸成し続けた。結果的に「支配的パラダイムの補強」という要素が強い放送が極めて多かったことは指摘しておかねばならない。

ジャーナリズムが持つべき批判性はかなり弱かった

 一方、テレビ番組にはジャーナリズムが本来もつべき「批判的な視点」や「問題提起をする報道」はごくわずかしかなかった。「批判的な視点」というのは、現状を無批判に肯定せず、今後の皇位継承に関してどんな問題があるのかなど皇室が抱える課題を多角的に報道するものを意味する。NHKや民放キー局では局によって多少の差があったもののそうした報道は数えるほどしか目につかなかった。「ことほぐ」ムードに水を差すことを控える意識が送り手側の間で働いたものと思われる。それは新聞でも同様だった。

 筆者が特に驚いたのは、

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