メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

エフエム東京 「脱ラジオの自分探し」の歴史

生き続ける至高の音声コンテンツプロバイダー

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

ラジコを起点としたビジネス構造改革への道

 2019年6月、(株)エフエム東京(以下エフトー)がデジタルラジオの新規事業「i-dio」(アイディオ)の累積赤字を不正に会計報告(同社は非上場企業)していたこと、その責任をとって経営陣刷新、ということが小さなニュースとなった。

赤字隠しが発覚し会見で頭を下げる黒阪修社長(右から2人目)=2019年8月21日、東京・麴町
 
 2011年にデジタル放送波への移行を事実上完了したテレビ放送と異なり、国際的な周波数帯調整の対象となっていないラジオ放送は、現行のAM波もFM波もアナログ波のまま移行せず、デジタルラジオ放送は「モアチャンネル」として別のチューナーを搭載した機器でのみ視聴可能、というサービスとして政策上位置付けられるに至った。

 2019年現在で国民普及率8割に近づこうとしているスマートフォン(以下スマホ)の通信回線では、ラジオ放送局各社を中心に出資する配信サービス「radiko」(ラジコ)が番組同時配信をしており、かつ放送と違って他地域の番組も(有料)、1週間以内なら過去の番組も(無料の実証実験中)、安定した高音質で聴くことができる。

 ラジオ番組を聴いている側は回線が放送なのか通信なのか、リアルタイムなのか否か、何県で聴いているのか、は何ら意識しない時代となってすでに10年以上がたった。そして筆者は10年前の時点で「ラジオ放送局各局が、radikoを基点としたビジネス構造改革ができるなら、もはやV-Low(=本件i-dio事業)新設の必然性は薄い」とこの論座の場で明言していた(「ラジオ業界は自己改革で商売替えの覚悟を」(2010年10月7日))。

新しいラジオの姿を模索するエフトーの取り組み

 その中で放送波の枠組みにこだわった新規事業i-dioのチューナーが極限までスリム化されたスマホに組み込まれるはずもなく、中高年層の根強いラジオファンに応える伝統的な番組を流すわけでもなく、赤字事業となることは時代の必然ではあったし、そのことくらいはエフトー側でもわかっていたはずだ。

 それでもエフトーは新しいラジオ放送の姿を模索し、あえて周波数帯免許を獲得して、取り組んできた。不正会計を擁護する意図は筆者に一切ないが、その新しい音声放送、脱・伝統的なラジオ、の姿を模索するエフトーの取り組みが少なくとも30年来続いてきたことを知る人は、世に極めて少ない。

 東海大学(今も同社の最大株主)のFM電波実験から始まり、1960年に前身「FM東海」として民間運営FM放送(実用化試験)を開始して以来のエフトーの歴史は、「脱ラジオの自分探し」の歴史だったと総括していいだろう。

エフエム東京の本社=東京・麴町
 1977年に(NHKに続き)民放初のデジタル録音の番組を放送、1985年に日米間の衛星生中継実施を実現するなどラジオ業界自体の先頭を進む技術の導入を行いつつ、エフトーがこの30年進めていったのは、通信と放送の融合すなわちインターネットの隆盛の時代を見越したうえでの、音声放送の枠組みにこだわった多チャンネル化への積極投資であった。

 1988年にはFM音声多重波を使った独立音声放送を開始(東海大付属高の授業番組を配信。1998年終了)、

・・・ログインして読む
(残り:約2233文字/本文:約3583文字)