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「i-新聞記者ドキュメント-」が問うこと

映画「新聞記者」「宮本から君へ」を手がけた私に立て続けに起こった出来事

河村光庸 映画プロデューサー

映画「新聞記者」「宮本から君へ」で起こったこと

 10月14日、私は映画「新聞記者」のプロモーションの為、藤井道人監督と共に韓国に赴いた。到着日の夜に行われた一般試写会は熱狂的に受け止められ、SNSは絶賛の嵐、翌朝の記者会見には100人を超す報道陣が集まった。この作品に対する韓国での高い注目度を実感し、「映画」が日韓関係の悪化を乗り越えることになるのでは、と期待が膨らんだ。

 10月17日、韓国全土153スクリーンで公開された。しかし、興行成績はふるわなかった。政治的対立が「文化」にここまで影響を与えていたのだ。

©2019『i –新聞記者ドキュメント-』

 10月18日、私のプロデュース作品、映画「宮本から君へ」に対して、日本芸術文化振興会が、出演者ピエール瀧が麻薬取締法違反の有罪判決を受けたことは「公益性の観点から不適当」であるとして助成金を不交付したことを、朝日新聞はじめ、複数のメディアが報じた。

 既に不交付通知書を受けた時点で、私は「公益性の有無」という曖昧かつ不明確な不交付理由に納得がいかず、その根拠と経緯の詳細を広く公にすることを要請した。しかし、未だそれがなされていない。

©2019『i –新聞記者ドキュメント-』

 また、驚くべきは、不交付理由となった助成金交付要綱第8条に、「公益性の観点から適当かどうか」の一文が付け加えられたのは9月27日である。何とこちらにその理由が記された不交付通知書が届いた7月10日その時点では、その一文は存在していなかったのだ。

 「表現の自由」への違憲行為、政治の文化芸術への介入になりかねない由々しき事態だ。

 2019年10月に以上の出来事が立て続けに私を直撃した。

「同調圧力」に呼応し機能不全に陥るメディア

 今、メディアはかつて経験したことのない最大の危機に瀕している。

 社会全体に暗雲のように立ち込める「同調圧力」。それに呼応するように機能不全に陥る「権力の監視役」たるメディアを官邸権力は抱え込み、巧妙に世論を騙し、封じ込め、一極独裁支配を暴走させてきた。

 本作「i-新聞記者ドキュメント-」はそのメディアの真っ只中にいながら、官邸に立ち向かう望月衣塑子の闘う姿を追った。結果として官邸の前に立ち塞がり、「国民の知る権利」を自ら妨げている官邸記者会の有り様が映し出されることとなった。

 社会や人間の暗部に独特の方法で切り込む映像作家、森達也の腕の見せどころだ。

©2019『i –新聞記者ドキュメント-』

 10月、韓国で公開された映画「新聞記者」が不振であったことは、文化に対する国民感情は政権の政策とは別のものであるという私の希望的観測を打ちのめした。

 「日韓対立」を増長させ、嫌韓ムードあるいは反日ムードをあおったのはメディアであろう。その影響力は大きく、その責任は極めて重いと言わざるを得ない。

 この映画は言論の自由、報道の自由が平気で踏みにじられている現実を描いているが、10月18日に報道された芸文振の助成金不交付の件は、「憲法が保障する表現の自由」を損なったという異議申し立てで済まされる問題ではなさそうだ。

 官邸の一極支配で引き起こされた同調圧力、忖度によって官公庁全体が「国民のため」という行政の本来の役割を見失い、本件が違憲か否かの判断さえもちえない。官僚が役割に無自覚で、責任を取らない、いや、誰も取れないという責任の有り様が宙に浮いた危険な事態に陥っている。

 私たちは空洞化した行政という実態のない幻影を相手にしているのかもしれない。

©2019『i –新聞記者ドキュメント-』

i=「一人称、私」は集団にのみ込まれずに生きているのか

 しかし果たして官邸、官僚、メディアだけが醜悪なのか。そうではないだろうと森達也は私たち一人ひとりにも突きつける。

 i=「一人称、私」は集団にのみ込まれずに生きているのか。声を発しているのか。

 この映画はそのことを問うているのだ。

『i –新聞記者ドキュメント-』
企画・製作:河村光庸 エクゼクティヴ・プロデューサー:河村光庸
監督:森達也 出演:望月衣塑子
2019年/日本映画 制作:スターサンズ 配給:スターサンズ
11月15日(金)より、新宿ピカデリー他、全国順次公開
©2019『i –新聞記者ドキュメント-』 http://i-shimbunkisha.jp/

©2019『i –新聞記者ドキュメント-』