メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ビーチサッカーW杯で日本代表が14年ぶり4強に

19年の日本サッカー界最高位は来年への追い風となるか

増島みどり スポーツライター

ビーチサッカーの日本代表監督に復帰したラモス瑠偉(右)=2018年2月14日

 12月4日、ビーチサッカー日本代表が、2005年以来14年ぶりとなる4強進出を果たしたW杯パラグアイ大会(1日に閉幕)から帰国した。会議の合間を縫って、日本サッカー協会・田嶋幸三会長(62)まで成田空港での出迎えに駆け付け、家族や関係者たちも「おめでとう」と手作りの横断幕を掲げる。到着ロビーは深い喜びに包まれ、ラモス瑠偉監督(62)が最後尾でロビーに出てくると、田嶋会長とがっちりと抱き合った。

 16年の年末には脳梗塞に倒れ、車椅子での生活を覚悟したという監督と、回復を待って日本のビーチサッカーを築きあげてきたラモスにオファーを出した会長。「少しは恩返しできたのならうれしいけど・・・」と控えめに言った監督に、会長も「ありがとう、本当にありがとう」と、2人で少し涙ぐむシーンも。フル代表に比較すると報道で取り上げられる機会は少ないが、今回の4強は今年のサッカー界をリードした快進撃で、来年の東京五輪、女子の23年W杯招致活動への追い風としても評価される。

 FIFA(国際サッカー連盟)主催の国同士の対戦を意味する「ワールドカップ」は男女の各年代、フットサル、ビーチと8カテゴリーに存在する。今年は、女子日本代表「なでしこジャパン」、男子でU-20、U-17、そしてビーチサッカーと1年間で行われたW杯で全て決勝ラウンド(ノックアウトステージ)進出を果たしている。他国が叶えられない種類の快挙を達成したともいえる。

日本ビーチサッカーの存在感を世界にアピール

 開幕戦で開催国パラグアイに完全アウェーの厳しい試合展開のなか、ラスト1秒の土壇場、赤熊卓弥の奇跡のゴールで勝利すると、一気に大会の波を引き寄せる。次戦のアメリカ、優勝候補でもあったスイスを破ってグループリーグを突破。準々決勝ではウルグアイを下す4連勝で4強を決めた。初の決勝進出をかけた準決勝ポルトガル戦は3対3の引き分けに終わりPK戦へ。優勝国に最後は振り切られたが、3位決定戦でも、次回2021年のW杯開催国でプロリーグを持つ強豪・ロシアに食い下がり、4強で大会を終えた。

 4強唯一のアジアの国として、6戦4勝1分1敗のうち4試合で1点差と紙一重の試合をものにした勝負強さ、またビーチサッカー最大の魅力でもあるダイナミックで想像力に溢れたテクニックで、日本ビーチサッカーの存在感を世界にアピールする大会となった。

 その証が、チームのキャプテンを務める茂怜羅オズ(33=東京ヴェルディBS)が、通常なら優勝、準優勝国から選ばれる「ゴールデンボール賞」(大会最優秀選手)を受賞した快挙だろう。主将であり、チーム最多の7点を獲得した活躍が異例の4位からのMVP選出につながった。

日本国籍取得のブラジル出身キャプテンがチームをまとめ、異例の4位からMVP

 成田空港の到着ロビーに、MVPトロフィーを手に最初に登場したオズは「これは自分のものではなくて、チームで獲った賞です」と喜んだ。監督と同じブラジルのリオ出身で、12年に日本国籍を取得。今回の手応えを「優勝は見えていると思った」と表現する。今大会はアジア大陸の王者として出場しただけに05年とはまた違った意義がある。

 子どもの頃から、ブラジルではメジャーなビーチサッカー一筋で、ラモス監督からはその才能を「お前は世界で3本の指に入るビーチサッカー選手。いつでも自信を持ってやってくれ」と評価され、背中を強く押されたという。

 今回の代表を率いた松崎康弘団長(65)は、「ビーチサッカーは世界的にも人口が急増し、レベルアップも著しいと感じた。そのなかでの4強、オズのMVPは世界的にも日本のサッカー界をアピールする好機にもなりましたし、来年に向かって追い風となってくれるものです」と分析する。日本は海に囲まれているが、

・・・ログインして読む
(残り:約1041文字/本文:約2682文字)