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観光の原点は「この町がいいから、人を呼びたい」

人生100年時代の旅の愉しみ【1】旅先で出会ったキラリと光る人たち

沓掛博光 旅行ジャーナリスト

 齢を重ねるにつれ、人は今までとは違った地平に立つことで、かつて見た景色が異なって見えてくることがある。それを一番強く感じるのは、旅に出た時ではないだろうか。これまでは目に止まらなかった風景が、再訪してみると目の奥に残照のようにいつまでも消えなかったり、旅先で出会った人のさりげない気遣いが強く心に刻まれたりなど、より遠くに目が届いたり、逆に足元を見つめたりすることがよくある。
 人生100年の時代だという。齢を重ねて旅することは、自身を見つめ、気づく旅とも言えるだろう。何が見えて、何が心に響いてくるのか――。
 さぁ、旅立の時だ。

木島平の自慢、“絶景の露天風呂”

 長野県の北部に木島平(きじまだいら)村がある。観光立県を謳う県内には、あまた観光資源に恵まれた観光地が点在するが、木島平村はそうした観光の面においてはどちらかと言えば地味なエリアである。

 北陸新幹線の飯山駅からバスまたは車15分でほど。千曲川を渡り、長い裾野を引いて美しい山容の高社山(こうしゃさん)が間近に見え始めると村に着く。

 一帯は水田と野菜畑が広がる農村地帯で、当然ながら主産業は農業である。観光は今の時期のスキーが主力で、グリーンシーズンには主にアウトドアレジャーが盛んである。

 この木島平村の自慢のひとつが馬曲(まぐせ)温泉の露天風呂である。村役場など立つ中心部から車で約10分、標高700メートルほどの山腹に静かに湯けむりを上げている。男女別に内風呂と露天風呂があるが、人気が高いのは断然、露天風呂だ。

 受付から2、3段降りた別棟にあり、入ってみると石組の湯船が2つある。手前の湯船に首までつかり、ふと眼前に目をやると谷をはさんで山々が迫り、眼下の集落も見渡せる。湯船に手足を広げ、自然のパノラマを眺めていると、身も心も山々に吸い込まれていくような爽快感を覚える。

 今日的に表現すれば、“絶景の露天風呂”とでも言おうか。

絶景を眺めながら湯あみが楽しめる馬曲温泉の“望郷の湯”

 平成初期の頃に私が所属していた旅行雑誌の表誌にこの露天風呂を掲載したところ、発売と同時に編集部に問い合わせの電話が鳴り続け、地元木島平村の観光担当者にも、どこにあるのか、どうやって行くのかとひっきりなしに電話が入ったと聞く。パソコンで検索すれば即解答が得られる今日とは隔世の感があるが、それだけ未知なる露天風呂であり、人を引きつける“観光力”を持った露天風呂と言えるだろう。

湯守りの老人が丹精をこらしたヤマブキの花

 それから7、8年後の5月、久し振りに訪れてみると、絶景の露天風呂は広く知られてきたせいか、多くの人が温泉と絶景を楽しんでいた。温泉から帰る道すがら坂を下って行くと、その道沿いに咲き乱れるヤマブキの花が目に飛び込んできた。よく見ると、自生したもの、植えられて成長し大きく育ってきているものが、様々に枝を広げ、ヤマブキ特有の明るい黄色の花があたり一面に咲き誇っている。

 聞けば、この馬曲温泉の湯を管理している芳川源市さん(故人)が一人で育て、増やしているのだという。早速、お話しをうかがうと、「遠方からわざわざ木島平村のこの湯まで来てくれたお客さんに楽しんでもらおう」と育てているのだと言う。

 芳川さんの思いは年を経るにつれて村内に広がり、地元の農林高校の生徒なども参加するようになった。今では温泉から下って2.5キロほどまでヤマブキの植栽が続き、やまぶき街道と名付けられる。花が咲く5月中旬には、今年で22年目を迎える「やまぶきまつり」も開催されるほどに、文字通り花開いた感がある。

 絶景の露天風呂につい目が奪われがちだが、齢を重ねて訪ねてみると、湯守りをする老人の思いがヤマブキの黄色い花ひとつひとつに託されているようにも見えた。

5月中旬、馬曲温泉への道すがら、ヤマブキが一面に咲く“やまぶき街道”

「旅は道連れ、世は情け」を実感

 露天風呂と谷を隔てた高社山の麓まで足を運ぶと、スキー場のゲレンデを前にして「オーベルジュ グルービー」が立つ。

「オーベルジュ グルービー」の嶋谷さんご夫婦
 オーベルジュを宿の名につけているだけに、ご主人の嶋谷渉さん(76)は大阪市内でステーキ店を営んでいた料理人で、今から約30年前にこの村の自然にほれ込んで移住してきた。以来、ステーキと地元食材を使った料理で評判の宿になり、スキーシーズンばかりでなく、1年を通じて県内はもとより、首都圏や近畿圏からも観光客がやってくる。

 料理はステーキをメインに10品ほど出るが、まず初めに食前酒として大皿に入れたイワナの骨酒を、囲炉裏を囲んで座る初対面の宿泊客同士がじゅんぐりに飲む。炭火でこんがりと焼いたイワナの串焼きが肴である。

 この儀式?で、急に囲炉裏のまわりの空気が和み、会話が自然と生まれてくる。「旅は道連れ、世は情け」を実感させてくれる

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