メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

新型肺炎で「隠ぺい」中国を批判できない「様子見」日本(上)

事態を過小評価して初動が遅れたのは中国も日本も同じ。長期戦の覚悟が必要に

浦上早苗 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者

olympuscat/shutterstock.com

 武漢市から広がった新型コロナウイルスによる肺炎にいち早く警鐘を鳴らした結果、デマを流したとして警察から処分を受け、その後自らも新型肺炎に感染した李文亮医師が2月7日、死去した。

 初動の遅れによって感染が中国全土に拡大し、平穏な日常を奪われた市民は、彼の死を悼むとともに武漢市や中国政府への不満を募らせている。中国政府は哀悼の意を示し、彼を英雄に仕立てながらも、SNSに書き込まれる政府批判の投稿を削除し続けている。

トップの更迭が相次ぐ中国だが……

 武漢市だけでなく中国のあちこちで、目先の安定を優先し、問題を深刻化させた行政の怠慢がやり玉にあがり、トップの更迭や職員の大量処分が相次ぐ。李文亮医師はたしかに、一連の問題の象徴的な犠牲者であり、世界の国々に「中国=隠ぺい国家」という印象を一層刷り込ませただろう。

 だが、日本で同じことが起きたとしたら、政府や行政機関が、中国より適切に問題に対処できるだろうか? 心もとないと私は思う。中国のお家芸は「隠ぺい」だが、隣国の日本には「忖度(そんたく)」と「様子見」文化が隅々まで浸透しているからだ。

 1月16日に日本で最初の感染者が出た際、厚生労働省は「人から人への感染リスクは比較的低い」「日本での流行可能性は低い」との見解を示し、メディアもそのまま報道した。こうした状況は1月末、武漢市からのツアー客を乗せた日本人バス運転手の新型肺炎への感染が確認されるまで変わらなかった。

 厚労省は世界保健機関(WHO)、専門家は厚労省やWHO、そしてメディアは日本の取材源の公式発表を絶対的な基準とし、「様子見」を選んだように見えた。

「情報封鎖」から方針転換した武漢市

 中国は政府発表そのものに疑義がある。そんなことは海外の人々だけなく、中国国民もよく知っている。だからこそ、その裏に何があるかを探す。それゆえ、大国としての「メンツ」に自覚的になった中国は、問題が国内で収束しないと判断したら、おそらく方針を転換すると私は考えていたが、事実、その通りになった。

 たしかに、武漢市では1月11日に新型肺炎感染者が41人確認されたと発表して以降、毎日「新規患者はゼロ」と発表を続け、収束モードが漂っていた。だが、中国では武漢だけだった感染者が1月12日と17日にタイで、16日には日本で確認されると、中国のSNSでは「新型コロナウイルスは、国外で感染を広げる愛国ウイルスなんだなあ」という「愛国ウイルス説」が拡散し始めた。

 そこに込められていたのは、「海外だけで見つかるのは、中国の検査に問題があるのではないか」「中国政府は何かを隠しているのではないか」という批判である。こうして、海外での感染者が契機となり、武漢市は「情報封鎖」からの方針転換を迫れることになった。

中国は“戦時”モードに

 1月23日、武漢の交通機関が止められ、都市は事実上封鎖された。その日を境に中国は“戦時”モードに入った。

・・・ログインして読む
(残り:約2543文字/本文:約3855文字)