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進行中の原発をめぐる問題の解決のために必要なこと/上

放射線の基礎知識を共有し、現状に関する知見をたえず更新しよう

児玉一八 核・エネルギー問題情報センター理事

 原発問題に対する住民運動に参加し、事実に基づいた科学的な運動が大事だと考えてきた私は、日本でもっとも多くの原発が立地する福井県に生まれました。初めて原発を見たのは小学校の遠足で、水晶浜という美しい海岸の向うに美浜原発が建っていました。

事実に基づいた科学的な運動が大事だ

 大学では理学部化学科に学び、放射化学の授業を受けて学生実験を行った3年の夏、第1種放射線取扱主任者の国家試験を受けて合格しました。この頃から放射線や放射能に関心を持ち、放射性物質を使った研究に従事しました。

 この頃、二つの原発事故が起こりました。一つめは日本原電・敦賀原発1号機で1981年4月に起こった、放射性物質の流出事故です。原子炉内で中性子照射によって生成したコバルト60などが一般排水口から敦賀湾に流出して、日本原電はこれを隠ぺいしました。二つめは、1986年4月26日に発生して世界を震撼させた、旧ソ連・チェルノブイリ原発でのシビアアクシデント(注1)です。

 私が住んでいる石川県では、チェルノブイリ原発事故から8カ月後の1986年12月、電源開発調整審議会が能登原発1号機の建設計画を承認し、北陸電力(北電)は1987年11月から準備工事に着手しました。翌1988年に北電は原発の名前を「能登」から「志賀」に変え、12月に本格工事に着工。この頃、志賀原発に対する新たな住民運動団体を作る動きが広がって、私もその結成に参加しました。それから30年以上がたちました。

北陸電力志賀原発

 私は住民運動の姿勢として、事実に基づいた科学的な運動が大事だと考えてきました。科学的な事実の裏づけなしに「原発は危険だ」と決まり文句をくり返しても、まったく説得力はないと思ったからです。

(注1) 原子炉を設計する際には、あらかじめ起こり得る事故(設計基準事故)を想定する。これを超える事故が起こると、想定された手段では炉心冷却や核反応の制御ができなくなる。そうなると運転員は、想定外の手段を自分でさがして対応しなければならず、こうした事故をシビアアクシデントという。

放射線の基礎知識を学び、科学的な議論の土台を共有するために

 チェルノブイリ原発事故から四半世紀を経て、今度は日本でシビアアクシデントが起こりました。2011年3月、東北地方太平洋沖地震を引き金にして発生した東京電力福島第一原発事故です。

 日本の商業用原発の炉型である軽水炉は、炉心の狭い空間で熱を高密度で発生させているため、冷却に失敗するなど対応をわずかに誤ってしまっただけで、坂道を転げ落ちるようにシビアアクシデントに至ってしまうという重大な欠陥を抱えています。福島第一原発事故をふまえて電力各社は、同様の事故を起こさない対策をとっているとしていますが、熱的な脆弱性という軽水炉の根本的な欠陥はそのまま残っています。

 私は、こうした原発を引き続き電力供給の主軸にしていくのか、あるいはシビアアクシデントを二度と起こさないために撤退していくのか、生活や産業を支えるエネルギーや電力をどうするのか、国民が肝を据えて議論しなければならないと思っています。

 原発に賛成する人も反対する人も腹を割って真剣に議論して、もう十分にものは言った、だから結論は自分の最初の思いとは若干違っているかもしれないが、みんなで議論して決めたのだから最終的にはその結論を尊重する、そこまでいかなければ意見が分かれる重要な問題について最終的な方向性は出せるものでないでしょう。

 そのためには、目の前にある問題について、ほかのことでは意見が違っていたとしても、最終的に出た結論で手を握れるような議論がきちんとできる環境でなければなりません。

福島第一原発事故をふまえて、肝を据えた議論が行われると考えたが

 私は福島第一原発事故を契機にこうした議論がまきおこり、日本社会の大きな転換が始まるのではないかと期待していました。ところが

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