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9月入学論争 最大のリスクは「社会の分断」だ

コロナ禍の今から目指すべきは、それぞれのニーズに応じた学習の個別化である

米澤彰純 東北大学教授

置かれた状況で意見は異なる

 突然わき起こったようにみえる9月入学論であるが、大学の国際比較という自分の専門をこえて、たまたま私にとっては身近であった。地元宮城県の村井嘉浩知事が、9月入学の提唱者の一人として注目されたからである。

 宮城県では、4月に私が所属する大学を含めて学生や若者の感染が見つかり、あっという間にこれが小学生や未就学児にいたるまでの二次、三次、四次感染へとつながった。

 私は中学生の子どもがいる親でもあり、感染のリスクがある以上、学校再開に慎重な姿勢をとる地元自治体の姿勢は個人としてありがたく感じている。その延長線上で、村井知事の、落ち着くまで入学を延期し、そして、大学入試に関しては場合によっては今年中に帳尻を合わせなくてもよいのではないか、という「素朴な9月入学論」の問題提起をした意図については、実現の可能性には多くの疑問符を抱きながらも、共感しないわけではない。

 各種世論調査の結果は、実施主体によって結果のばらつきはあるものの、賛成が反対を上回っているものの方が多い。調査手法などの公表の程度も多様であり、どの調査に信頼がおけるかは限られた情報開示の中では判断できない。そのなかで、高校生・大学生の子どもを持つ親の間で、賛成が反対よりも若干上回っているとは言えやや少ないとしたクロスマーケティング社の調査結果は注目に値する。

 この結果は、全体としては賛成が上回っているとしながら回答者が若い世代ほど反対が多く(10代以下<ママ>では77%)、50歳代以上では賛成が反対を大幅に上回るという、日刊スポーツの調査結果と合わせ読むと興味深い。

 ここで議論されていることの焦点が大学入試の時期であると考えると、その当事者である受験生、大学生の声をどう客観的に拾うかが勝負となる。

 そもそも高校生自身の声として9月入学の話が浮上したという経緯も大切だが、18歳未満が多い高校生は、世論調査という形では調査対象に含まれないことが多い。では、彼らの親世代に聞けば良いという考え方も思いつくが、これは、親世代の意見なのか、子ども世代の意見の代弁なのかを見分けることは難しい。

 さらに、入学者数が決まっている大学入試という制度においては、誰かは有利で誰かは不利なゼロサム・ゲームであるわけであるから、同じ進学前後の世代の生徒・学生とその家庭でも、それぞれがおかれた条件によって、目の前にある課題と意見が相当に異なる可能性も高い。

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世代間ギャップに基づく誤解

 まず、認識の世代間ギャップから考えてみよう。

 1965年生まれの私が学生当時の1980年代後半の日本は、円高と好景気を背景に留学熱が高く、私自身も何度か留学に向けて具体的に準備したことがある。しかし、単位互換などの大学としての組織的な留学支援はまだ未整備であったし、企業内教育をそつなくこなせることを証明する大学入試さえクリアすれば、あとはできるだけ早くよい就職機会を狙っていくという当時の風潮の中で、よい仕事、大学院進学とのバーターで見送ったという経験がある。

 ただし、この自分自身の経験を、現在の高校生や大学生にそのまま当てはめることは、明らかに間違っている。

 日本学生支援機構によれば2018年、日本の大学らの日本人学生の海外派遣は11万5千人と順調に増え続けている。また、2019年の外国人留学生受入れ数も31万2千人となっている。いずれも、相手大学に正規学生として在籍し単位を取得する数は圧倒的に少なく、派遣は短期、受入れは日本語学校という語学留学が主体であり、より本格的な留学のためには学期がそろっていたほうがよいというのは確かにあるかもしれない。

 しかし、海外派遣への大学や社会の情報・学習支援も年々手厚くなっている中で、留学をためらう理由として今彼らが悩んでいるのは、アカデミックカレンダーなどの制度ではない。東北大学の例を挙げれば、2017年の調査で、経済負担の大きさと外国語能力の不足の2つのみが、半数を超える者があげる留学をためらう理由である。

 さて、我々が、バブル当時、少しでも早い大学進学を目指していたかというと、そうではない。私は、高校卒業後1年予備校生活を送り、浪人後、二度目の大学入試で進学を決めた。端的には、1年浪人してでも、威信の高い大学に入学した方が自分の将来に有利だと思ったからである。

 当時の共通一次試験や二次試験は、今日流に言えば格差を生み出しにくいマークシートやペーパーテスト主体であったわけだが、浪人できるかは家計の豊かさによるわけだから、平等な勝負ではなかった。学校基本調査によれば、平成元(1989)年の大学・短期大学入学者の浪人比率は27.0%。令和元(2019)年は13.8%と、30年でほぼ半減している。大学進学の需給状況が全く異なるとは言え、現在の学生の方が、進学が遅れることの経済的コストには、ずっと敏感であると考えられる。

分断の危険性

 9月進学の話は、格差解消とも結びつけて論じられている。これが実際に格差の解消に役立つのか、あるいはかえって拡大につながるのかの論証が積み重ねられることは社会として健全である。

 他方で、50歳代の私の個人的経験と現在の状況とのズレの話を持ち出したのは、私自身は、この問題の本質が、個人の経験の違いによる社会の分断の危険性にあると感じているからである。

 たとえば、私は現在、ほぼ2ヶ月にわたって一度も仙台を離れずにこの文章を書いている。それ以前は、東京都心に最低月に2回、海外に年間10回以上出かけていた。感染症のリスクもある途上国に行くこともあるし、緊急事態宣言直前の東京都心へも出向いているので、市中感染に関わる肌感覚はある程度はある。それでも、県内で感染者が出ない日が続く地方都市の自宅というゆとりのある空間で執筆作業をしながら、密集空間や医療崩壊の恐れがごく身近にある大都会の学童保育や医療現場に思いをはせるには、広く情報収集を行い、想像力を働かせる強い意志が必要となる。

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 この分断は、児童・生徒の間でさらに深刻である。

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