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コロナ禍で問われる「有識者」の覚悟と品格

その品格の日常の積み上げが、非常時にこそ試される

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 コロナ禍第1波に対する緊急事態宣言が先日解除され、医療現場の実態などを早くも忘却して消費経済の立て直しがどうなるのか憶測の飛び交う社会の雰囲気となった。

 その文脈こそ変わっても、日々の報道や特集はコロナコロナコロナで、コロナ以外の世の事象を追うことが難しい情報の渦にある。おそらく、近日のうちにより多くの「ポスト・コロナの未来社会」が様々な人によってメディアで語られるだろう。近年いくつかの台風や地震の被害、リーマン・ショック、さらにはMERSやSARSや新型インフルの時のように、その禍いの中で何を学び、何を論じ、以後何をすることにしたのか、を多くの人が忘れていくだろう。そして次の〝コロナのような禍〟が起きた時に、コロナ禍も忘却された一つとして例示されているだろう。

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コロナ禍に活かされなかった過去の教訓

 筆者はこの30年弱、シンクタンクの研究員として超・遠視的に社会の趨勢を眺め、目の前の事象を多角的に眺めた上で、日本の社会が、産・官・学・民それぞれが、また時には特定の顧客が、いつ何をしていき、これから何を目指していくのがハッピーなのか、について記名で論じてきた。そのシンクタンカーの営みとは予想屋としての側面も多少はあるが、個々の直近予想の当たりはずれが収益源ではなく、またこの職業での人材の評価になるということでもない。

 重要なことは、硬軟様々なファクトを多面的に考察し、人間と社会の長年変わらないこと、長年かければ変わっていくこと、その中で日々変わっているように見えること、の意味・規模・影響などを世に提示・提言・啓発していくことである。それは世の千人万人に1人で十分な役割、しかしアンハッピーを起こさないために世に欠かせない役割、と考えている。

 2020年5月現在、筆者はたまたま特定顧客のための業務として「2030年前後を実現時期として語った、未来予測の文献」を大量に目を通し抽出し整理分析する、という作業を行っている。当然2019年以前に書かれた文献にはコロナ禍の予測はなく、現在気持ちの萎縮した人たちにとっては「この非常時にまったく呑気で不見識で不躾な・・・」と眉をひそめられそうな情報内容で手元があふれ返っている。

 筆者のその業務の対象は「文献」なのだが、日々のテレビのニュースショーや特集番組にも、有識者や幹部記者が記名でポスト・コロナの未来社会を述べるケースがあり、個人的にはうんざりしながらも、仕事と思って最小限それらの映像を頭に入れている。

 もちろん文献でも、とりわけマスメディア(新聞、雑誌、テレビ)の公式Web上では、そうしたポスト・コロナの未来は変わるという趣旨の論者が、その変化の内容について日々様々に論じている。論を張ることが生業の人、そうでない人(例:企業経営者、スポーツ選手)、様々だ。この人々をまとめて本稿では「有識者」と表現しておく。

 そうした未来予測文献を業務上で目にする機会を、不定期ではあるが結果として5~10年に一度ずつ、これまで得てきた。その間、台風被害、東日本大震災、リーマン・ショック、MERSやSARS、もっとさかのぼって同時多発テロ、コンピューター2000年(Y2K)問題、アジア金融危機、オウム・サリン事件、阪神淡路大震災、バブル崩壊、などが起きていた。

 しかし、それらの教訓がコロナ禍に活かされそうな形状で残っているようには、どうも見受けられない。それは、前回や前々回、「未来社会予測の文献」を見たときも、そうだった。だからおそらく、コロナ禍で得られたはずの様々な知恵は、10年後の2030年あたりに「2040年や2050年を未来予測する」際に、語られていないだろう。順調な経済成長は、そうした過去の忘却によって円滑に循環している。

有識者だってブレていい。しかし

 上述した様々な社会的事件の時も、それら直近事件は「世界の枠組みを変える」「価値観が根底から覆る」「社会は今までにない姿に変わる」「今度こそ本物のアルマゲドンだ」と論じる有識者や消費者の様々な姿が

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