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「リーク」とは何か~当局はジャーナリズムを使って情報操作する

黒川検事長と記者の賭け麻雀問題から「権力と報道の関係」を考える

高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

 黒川弘務・東京高検検事長=辞職=と新聞記者らが賭けマージャンを繰り返していたことに関連し、引き続き「権力と報道」の関係を整理したい。

 前回の拙稿『黒川検事長と賭け麻雀をした記者は今からでも記事を書け』では、権力監視こそがジャーナリズムの本務であるから、大意、それを抜きにして「密着の是非」のみを問うてもあまり意味がないと記した。同時に、権力監視は「成果=報道記事」で示すしかないのであり、結果を出せていない以上、国民から種々の批判を浴びても仕方ないとも記した。

 今回は「リーク」を軸にして、権力と報道の関係を考えたい。

Gorodenkoff/Shutterstock.com

「当局のリークは怖い」

 「リーク」という言葉自体は、すっかり社会に浸透している。各国の機密文書などを暴露するインターネットサイト「ウィキリークス」も有名だし、賭けマージャン問題をめぐっても誰が『週刊文春』にネタをリークしたのかが取りざたされた。

 三省堂のスーパー大辞林には「水が漏れること」という語義に続いて、2項目にはこう記されている。

秘密や情報を意図的に漏らすこと。「――して反応をみる」

 さすが、辞書である。要諦をきっちり押さえている。

Andrey_Popov/Shutterstock.com

 「リークして反応をみる」とは、政権の要人や外交当局などが意図的に何かの情報を記者に伝え、メディアに報道させ、国民や国際社会の反応をうかがうことだ。権力と記者の間では、これは日常的に存在する。

 朝日新聞の記者だった山本博氏(故人)は、調査報道の旗手として知られた。税金も原資とする公金の組織的流用を暴いた「公費天国キャンペーン」、有名百貨店の裏側に迫る「三越ニセ秘宝事件」、自民党とカネの暗部を明らかにした「平和相互銀行事件」などの取材で知られる。今でこそ談合は珍しくないが、ゼネコンの談合を取材で徹底的に明るみ出したのは、山本氏らの「談合キャンペーン」が最初だと思う。いずれの仕事も1970年代後半から80年代にかけての、見事な成果だった。

 その山本氏は生前、筆者に何度か「当局のリークは怖い」と語ったことがある。その一部は拙著「権力vs調査報道」に記しているが、大意、以下のような内容だ。

 当局のリークネタは怖いです。梶山静六氏という自民党の大ボスがいましたが、「梶山氏が三井建設(現在の三井住友建設)から1千万円もらっていた」という記事を、朝日新聞が1面トップに書いたことがある。あの記事は、検事が記者にリークしたものでした。なぜかというと、時効になっていて立件ができないからです。だから、社会的制裁だけ与えようとしてリークしたわけです。ところが、実際は、三井建設の内部で梶山氏の名前を使って裏金を作り、自分たちで使っていたということが後で分かりました。

 この記事は訴訟になった。リークネタが怖いのは、記者による反証や第三者による検証ができないからだ。山本氏はこうも言っている。

 リークネタで記事を書いて、それが訴訟になっても、法廷で記者は「真実と信じる相当の理由があって書きました」と言うしかありません。真実相当性の理由のほかは何も言えない。「夜回り取材で●●検事が教えてくれました」とは言えないでしょう? リークネタは非常に怖いです。当局は、ジャーナリズムを使って情報を操作します。

 権力や当局者は常に、自らに都合のよい情報を、自らに都合のよいタイミングで、自らに都合のよい方法を使ってメディアに伝えようとする。逆に、自らに都合の悪い情報は徹底的に管理し、外に漏れないようにする。古今東西、程度の大小はあれ、多くの権力はそうだった。

 山本氏自身も当局に都合よく使われた経験がある。国鉄分割民営化の少し前、国鉄の経営が政府のお荷物になっていた1970年代末ごろの話だ。

 運輸省(現国土交通省)の担当記者時代のことです。運輸省は、国鉄を分割民営したくてたまらなかった。一方の国鉄側は当時、まだ労使一体となって断固抵抗していました。政治家も真っ二つ。運輸省派の分割民営賛成派と、「今までどおりの国鉄でいいんだ」という反対派。大激論や水面下の綱引きが本当に激しかった。そのころ、運輸省の国鉄担当の課長が「君は熱心に取材しているから、君だけに教える。君だけだよ」と言って、国鉄が資金ショートしたことを教えてくれた。

 山本氏は「よし、特ダネだ」と思って大きな記事を書いた。記者として脂の乗り切った、30代のことである。

 本当は、あの課長は記者全員に教えていました。個々の記者を1人ずつ呼んで「君だけだよ」と、資金ショートしたことをリークしました。それで、各社みんな1面トップで「国鉄、事実上倒産」と書きました。翌日、その課長は、自転車に乗って一番近いキヨスクに行って、全紙を買って大喜びしたそうです。「やった、やった」と。

 そうした報道の結果、真っ二つの片側だった「分割民営の賛成派」は世論を味方に付け、勢力を拡大していく。このリークの態様自体は、今を基準に考えれば、どこか牧歌的ではある。しかし、権力の基本姿勢はいつの時代も変わらないだろう。

 ICレコーダーの音源には山本氏のこんな言葉も残っている。

 権力は情報を都合よく使おうとするし、そういうことをやるからリークは非常に怖い。いつの時代も、です。記者もばかではないから、簡単には騙されない。しかし、当局のリークは、断片的であっても情報自体にうそはないんです。当局者もうそをついているわけではありません。全部本当だけれども、出し方によって記者は操作されています。そして、決してリークされない情報がごまんとあるわけです。

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都合のよい情報を漏らす「情報操作型リーク」

 リークには大きく言って2つの種類がある。1つは、当局者が自らに都合のよい情報を漏らしてメディアに報道させようとする「情報操作型リーク」。もう1つは、権力組織にとって不都合な情報を記者側が漏洩させる「内部告発型リーク」である。

 「情報操作型リーク」の場合、主なリーク先は、日常的に深く接している記者である。山本氏が運輸省から得た「国鉄ネタ」はこのパターンだ。簡単に言えば、当局は、他メディアより早く記事にするという意味においての「特ダネ」をエサにして、周囲にいる記者を飼いならそうとしているわけだ。

 度が過ぎると、エサは「特ダネ」のみではなくなる。

 元NHK社会部記者で、ロッキード事件などを取材していた川崎泰資氏は以前、筆者に「キャッシュを平気で受け取っていた記者たち」のことを語ったことがある。「古い時代のこと」ではあるが、それでは済まされそうにない話だ。

 川崎氏の話は大意、以下のような内容だった(取材は2010年)。

 官房機密費が代々、政治部記者に流れていたなんて話、今に始まったことじゃない。そういう歴史を知らない政治部記者がいたら、よほどの物知らずか、嘘つきでしょうね。私自身、雑誌『世界』(岩波書店)の1994年1月号で『政治記者はこうして堕ちていった』というタイトルで詳しく書きました。少なくとも1960年代、70年代の金権政治、金権選挙の時代から政治家と政治記者の癒着はある。こうした問題は、ずっと指摘され続けているのに、こんなにも長い間、放置されている。それこそが問題なんです。

 例えば、田中角栄、福田赳夫の両氏が自民党総裁選を戦った1972年の「角福決戦」の際のエピソード。川崎氏によると、田中派は当時、記者にカネを渡し、田中氏に有利な記事を書かせていると言われていた。困った福田派の幹部は、官邸詰め記者だった川崎氏に対し、「田中派は担当記者に10万円渡している。(福田派もそれを真似たいが)誰に渡したらいいのか、信頼できる記者を教えてほしい」と懇願したというのである。

 田中氏は首相に就任すると、番記者たちを軽井沢の料亭に招き、こんなことも言ったのだという。

 田中首相の言ったことはこうです。「マスコミ各社の内情は全部知っているから、やれないことはない」「一番怖いのは一線記者の君たちだけだが、社長や部長はどうにでもなる」「君たちもつまらんことは追いかけるな。危ない橋を渡らなければ、私も助かるし、君たちも助かる」と。

 要するに、彼ら(=権力)は「おれたちの仲間になれ」と言っているのだ。そして少なくない記者たちは、仲間になってしまったのだろう。こうした行動は田中氏などに限らなかったであろうし、形を変えながら、その後も続いていたとしても何の不思議もない。これらの過去を新聞社・テレビ局が自省を持って検証したこともない。

「内部告発型リーク」を促す取材

 2つ目の「内部告発型リーク」とは、実際にはどのようなものだろうか。

 メディアへの内部告発と言えば、一般には何となく、「組織内の不都合情報をメールや電話で伝える」というイメージがある。告発者は、社名などだけを頼りに、新聞社やテレビ局の見知らぬ記者に通報するというイメージだ。

 もちろん、そうした例もある。各国の調査報道記者が連携し、世界をめぐる大きなスクープとなった「パナマ文書」報道も、端緒は南ドイツ新聞に寄せられた1本の匿名メールだったとされている。

 ただし、多くの「内部告発型リーク」はかつても今も、もっと泥臭い形で行われている。端的に言えば、日常的に接している相手との1対1。「また来ました」「やあ、おまえか」の関係で、それは行われる。

 筆者自身は2015年、日本記者クラブ主催の記者ゼミ「権力監視の条件と環境」において、大意、以下のように述べた。

 権力監視の取材で大事なのは、日常の取材相手からその記者個人が「最適な内部告発先として認識してもらう」ことです。ここにいる記者のみなさんも、ふだん、いろんな場所をベースに取材をしていると思います。そういう日常の取材先から「この記者であれば、この内部情報を伝えても大丈夫だろう」「どうしても外に訴え出たい不正がある。この記者にだったらきちんと受け止めてくれるだろう」と思ってもらえるかどうか。つまり、内部告発を行う相手として、「この記者は信用できる」と思ってもらえるかどうか。それが最初のポイントだと思います。
 テクノロジーが発達すれば、完全に自分の身元を秘す形のメール等で内部告発をできるでしょう。あるいは、今もそうであるように、手紙や電話でも一定程度は身分を隠して内部告発はできると思います。しかし、それらはいずれも「いつ来るとも知れぬ情報を待っている」わけです。
 私の経験上、大事な内部告発は、1対1の関係で行われます。1対1の関係とは、日常的につき合っているAさん、Bさん、社長さん、部長さん、そういう人。手元にある記事のコピーを見てください。北海道のある役所が、リゾート企業から巨額の現金を預かって、役所の収入役とか町長とか、幹部らが自在に使っていたという話です。民間企業の金を役所が公印を使って秘密裏に扱っていた。このカネを使い、開発に必要な地権者との交渉などを役所が事実上代行してもいた。この報道の端緒は何だったか。実は、不正の輪の中にいた役所の幹部です。「こんな違法なことを後任者に引き継いでいいのか」と悩んで、それで私に証拠物と一緒に託してくれた。「君ならちゃんと記事にできるだろう」と。

 こんな事例は枚挙にいとまがない。1対1での「内部告発型リーク」を促すような取材は、多くの記者によって実行されている。そうでなければ、相澤冬樹氏(元NHK記者、現・大阪日日新聞記者)による森友学園問題の報道など、(数は少なくなったとはいえ)最近の数々の調査報道は実現していなかっただろう。

「掴まされるリーク」と「掴み取るリーク」

 運輸省に利用された朝日新聞の山本氏も、官邸記者と政治家の「黒い関係」をつぶさに見ていた元NHKの川崎氏も、「リークそのもの」を否定しているわけではない。

 「情報操作型リーク」と「内部告発型リーク」は、「掴まされるリーク」と「掴み取るリーク」と言い換えてもよい。権力が隠蔽している情報をリークさせること、それを可能にする関係を権力組織のあちこちに築いておくこと。情報開示請求を駆使した取材や記者会見での厳しい追及も怠ってはならないが、「内部告発型リーク」の必要性は社会にもっと認識されていい。「リーク」一般が悪いのではなく、問題はそれによって得た情報の価値判断なのだ。

yoshi0511//Shutterstock.com

 「リークに騙されるな。利用されるな」とその危険性を繰り返していた山本氏は、他方で記者が内部告発の受け皿になることの重要性も語っている。再び、筆者の録音記録から大意を引用しておこう。

 (権力にとって都合の悪い情報を得るために)いきなり裏から入っていくと泥棒になります。だから、最初はちゃんとベルを押して玄関から入っていく。そして少しずつ裏を見るようにする。それがないと、権力の本当の姿は見えません。公開情報の入手や日常取材で当事者に次から次へと疑問をぶつけることも、もちろん大事。でも、それだけで権力の奥の院の姿が見えるでしょうか。私は無理だと思います。だから、とことん人と付き合い、取材するんです。最も大事なのは「権力を監視する、税金の使途をチェックする」ということです。それがなくなったら、新聞に新聞の意味はありません。朝日新聞も存在価値はありません。

『「スクープ」とは何か~新聞社は「時間差スクープ」の呪縛を解け!』に続きます。

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