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「報道倫理」を再点検しても「賭け麻雀」は必ず繰り返される

硬直した特殊な雇用慣行と人事評価制度に縛られたメディア企業の経営こそ問題の核心だ

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 朝日新聞社員や産経新聞記者の賭け麻雀問題は様々な論考が重ねられ、この「論座」にも先達が既に寄稿しており、わたしの出る幕ではないのかもしれない。ただ、朝日新聞社がその報道倫理を再点検しても、先達の助言を受け入れても、同じような問題は必ず繰り返される。なぜならば、これはジャーナリズムの問題でなく、マスコミ企業経営の問題だからだ。

 この問題の本質は、日本のマスコミ企業の特殊な雇用慣行と人事評価制度の問題としてわたしは捉えている。しかも、ジャーナリズムとマスコミ企業経営が一緒くたにして語られるところに、この問題の根深さが見えてくる。

 本稿ではわたし自身の国内外での経験を交えながら、メディア企業の経営という視点からこの問題について述べていきたい。

「取材源の秘匿」が「権力との癒着」につながることも

 議論の前に一つ断っておく。今回の賭け麻雀問題は記者の「倫理問題」ではない。記者の「違法問題」だ。ならば、法を犯した記者の実名や問題の詳細が記事化されるべきである。一罰百戒。実名報道が問題の再発防止の最大の力だ。

 事件の当事者である両新聞社は常日頃、実名報道の必要性を主張している。これをやらねば、他人に厳しく身内に甘いダブルスタンダードとの誹りを免れない。

 産経新聞社は「取材源の秘匿」を盾に、これらについて触れずじまいであった。取材源の明示がジャーナリズムの原則である。取材源の秘匿は、取材源が身体的などの危機にさらされる場合に限った例外事項。しかも、賭け麻雀問題とはまったくの無関係だ。

 この「取材源の秘匿」の乱用が取材先との緊張感を欠き、権力との癒着を生み出す。また、得体の知れない「関係者によると」記事の乱発が読者離れを引き起こし、経営悪化を加速させる。

個人の成果が常に求められる英米マスコミ企業雇用慣行と人事評価制度

 日本では今回のような問題を招きやすい産業構造であることを示すため、ここでは比較対象として海外の事例を紹介したい。海外のマスコミ企業といっても英国や米国のアングロ・サクソン系と、フランスやドイツなど大陸系とでは雇用慣行や人事評価制度が異なる。ここではわたしが経験した英米系の雇用体系と人事評価について述べていきたい。

 英米系のマスコミ企業の雇用慣行はたいてい1年契約の更新制で、人事評価制度は成果主義に基づく。雇用体系はシンプルで、おおよそフルタイムとパートタイムがあるだけだ。契約社員しかいないので、日本の正社員と契約社員間の雇用格差問題は起こらない。パートタイムという位置づけで、外部から多種多様なフリーランスが出入りするため、百家争鳴の梁山泊のような環境が生み出され、闊達なジャーナリズムが生まれる。

 英米のメディア企業ではチーム取材体制は取らず、ジャーナリスト個人がネタを追い続けることが多い。人事評価は個人の記事の本数や特ダネの数といった成果で測られることが一般的だ。特ダネは集団ではなく、個人で取るのが当然だ。プロフェッショナルを自覚するジャーナリストであれば評価を含めこうした環境に疑問は無い。

 次に英語を主体とするジャーナリスト労働市場の特徴をみてみよう。この市場はグローバル規模でしかも流動的である。これだけではない。これに広告・広報界も加えると、その規模はさらに拡大する。この流動化した巨大な労働市場でジャーナリストは転職を重ねたり、解雇されたりの新陳代謝が常に繰り返されている。「安定した継続雇用」といった幻想は、米国では誰も抱いていない。

 また、ジャーナリスト自身は常に自己の市場価値を意識させられる。この価値が現状に比べて高いと思えばステップ・アップすることを考えるし、逆だと思えば夜間の大学で再教育を受けるなどでスキル・アップを図る。自由かつ比較的フェアな労働市場での極めて合理的な行動だ。

Makyzz/Shutterstock.com

 また、この労働市場には構造的なアポトーシス機能が備わっている。市場原理に基づいた不祥事に対する自浄作用のことだ。流動性と巨大規模のおかげで、例えばジャーナリストやマスコミ企業が不祥事を起こすと即座に解雇や破綻に追い込まれ、また新しいジャーナリストやマスコミ企業が即座にそれに取って代わることが可能だ。

 ゆえに、不祥事が尾を引くケースはあまり見ない。このダイナミズムがジャーナリズムを支えている。英米の雇用慣行と人事評価制度はいわばアポトーシスをうまく機能させる装置なのである。

 こうした労働環境下では、のんびりと徹夜で賭け麻雀を打っている余裕などないし、取材先との肉薄した関係性が評価されるわけでもない。

 しかもジャーナリストの独立性が強く意識されるので、自己責任が前提となる。この弱肉強食と自己責任の世界で、覚悟あるジャーナリストが切磋琢磨しあうのがジャーナリズム全体の質の担保、強いて言えば民主主義と自由主義の価値観の擁護と発展につながる。

硬直した日本のマスコミ産業構造が不祥事を生み出す

 日本語を用いるマスコミ業界の労働市場の特徴からまず述べていく。

 1億2千万人程度の日本語圏の人口に比例するため、この市場はとても限定的である。IT革命と少子高齢化によって新聞業界やテレビ業界が縮小しているのは周知だ。

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