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【4】在日社会の「生きづらさ」

まずは「隣にいる他者」への想像力を

中垣内麻衣子 ライター

 在日コリアンのうち、「朝鮮籍」の人の割合は年々減少し、韓国籍の人が増加しています。その背景には、「朝鮮籍」にまつわる複雑な事情があるようです。

 今回、話を聞いたのは、朝鮮半島出身の父と在日朝鮮人二世の母を持つ、安宿緑(やす・やどろく)さん。現在は、編集者・ライターとして働き、『韓国の若者』(2020年、中央公論社)、『北の三叉路』(2015年、双葉社)といった著書があります。「朝鮮籍」からやむなく韓国籍に変更した経緯とは、どのようなものだったのでしょうか。

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「朝鮮籍」は無国籍と同じ

 「元々、私は『朝鮮籍』(注)でした。ただ、これはいわゆる『国籍』ではなく、無国籍と同じで、難民同様に扱われることになります。戦後、在日朝鮮人は日本の国籍を喪失したのですが、その時便宜上『朝鮮籍』が付与されただけなんです」

 サンフランシスコ講和条約が1952年に発効されると、在日朝鮮人たちは、一夜にして日本国籍を失いました。そして外国人登録証に「朝鮮」と記されることになったのです。その後、多くの人が韓国籍を取得していきましたが、様々な理由で「朝鮮籍」のままでいる人たちもいます。

 「朝鮮籍だと、総連に頼めば、北朝鮮のパスポートを発給してもらえます。ただ、これも北朝鮮の国籍とは異なります。

 かつては、再入国許可証という茶色い手帳があり、パスポートの代わりにすることがありました。でも海外の空港で『これは何なの?』と聞かれることが多く、『私たちはこういう立場なので、こういうものを持っているんです』と説明するのが面倒です。

 一度パスポートがないまま、モンゴルに再入国許可証だけで渡航したことがあるんです。モンゴル大使館はパスポートがなくてもビザを出してくれたんですが、モンゴルの空港職員は当然ながら在日コリアンの事情など知るはずもなく、『パスポートがないじゃないか』と指摘してきました。モンゴル語なので何を言われているのか分からなかったんですが、恐らくそう言われていたんだと思います。正直強制送還になるのかと焦ったんですが、ビザと帰りのチケットの控えを見せてなんとか入国することができました」

(注)朝鮮籍:1952年、サンフランシスコ講和条約の発効に際して、旧植民地出身者は日本国籍を喪失し、朝鮮半島出身者は「朝鮮籍」となった。その後、年々韓国籍や日本国籍を取得する人が増えているが、様々な理由から「朝鮮籍」のままの人も少なくない。なお朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国籍を保持していることとは異なる

韓国籍に「泣く泣く」変更

 朝鮮籍だと海外に渡航するときに不便だという話はよく聞きます。安さんは、パスポートがないまま旅行したり、北朝鮮のパスポートをもらって旅行したりしていたようですが、それにも限界があったようです。

 「ある時、アイルランドにどうしても行きたくて、会社から休暇をもらうことにしたんです。旅行まではまだ2カ月くらいあったので、その間にビザが下りるだろうと思っていました。

 しかしIRA(アイルランド共和軍)が北朝鮮とつながっているという疑惑があるためか、北朝鮮のパスポートだとビザがおりなかったんですね。給与明細や職場の在籍証明など10通もの書類を用意して、難民でもIRAでもないということを証明しようとしました。でも、北朝鮮のパスポートを持っている以上、アイルランドは私を入国させるわけにはいかなかったようです。同じ書類を提出したところ、イギリスではすんなりビザがおりたのですが……」

 北朝鮮のパスポートでは、憧れのアイルランドにどうしても入国できないと悟った安さんは長い逡巡の末、やむなく韓国籍に変更

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