メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

史上初、9秒台4人で争われた東京五輪男子100メートル代表の真価

末續慎吾が語る勝負論

増島みどり スポーツライター

 五輪代表選考会を兼ねて6月24日から、大阪・長居ヤンマースタジアムで行われた陸上の日本選手権男子100メートルには、6月に9秒95の日本記録をマークしたばかりの山県亮太(セイコー)、2019年に9秒97をマークしたサニブラウン・ハキーム(米フロリダ・タンブルウイードTC)、17年に9秒98の桐生祥秀(日本生命)と小池祐貴(19年、住友電工)と、9秒台の自己記録を持つ史上最速のスプリンター4人が揃った。

9秒台ではなかった〝シルバーコレクター〟多田修平が初優勝で初代表

陸上日本選手権男子100メートル決勝で優勝した多田修平(中央)と3位の山県亮太(右)。ともに東京五輪代表に内定した=2021年6月25日、ヤンマースタジアム長居

 準決勝ではサニブラウンが、決勝に自動的に進出できる上位2着に入れず(3組各上位2着の6人と記録上位の2人が決勝に進出する)、記録で決勝に拾われるというヒヤヒヤのハプニングも。準備不足が露呈した。

 桐生も、準決勝を終え臨んだ会見で「歩いていても痛い」と、メディアに自らアキレス腱痛が悪化していると明かし、痛め止めの服用にまで言及した。短距離界をリードしてきた先駆者の姿は、どこか弱々しかった。

 本命と言われた9秒台のうち2人が苦戦するなか、今季、自己ベストの10秒01を出し、右肩上がりの調整で今大会を迎えた多田修平は、冷静だった。予選、準決勝ともトップで通過し決勝へ。決勝でも、低い姿勢から頭を下げ、背中を丸めた独特のスタートを成功させて序盤をリード。いつもなら中盤以降に減速し、順位を下げるがこのレースは違った。最後までトップを守って、右手を高く上げてゴール。3位に入った山県と代表を決めた。

 5年前のリオデジャネイロ五輪代表をかけた日本選手権では、準決勝で最下位に沈み「五輪代表は雲の上の存在と眺めていた」と振り返る。17年の全日本インカレで桐生が9秒98をマークしたレースは2位で、この6月、山県が9秒95の日本新記録を樹立したレースもやはり2位だった。「すごいなぁ、と拍手しながら見ていました」と笑顔で話すが、2度も隣で目撃した9秒台に期するものはあっただろう。高校総体、学生選手権、日本選手権でも優勝経験がなかった無冠の「シルバーコレクター」は、そんな傍観者になる自分を打破しようと、長い時間をかけた準備と明確な目標を定め、ついにトップに立った。

 9秒台4人と好調の多田による激しい選考レースは、当然ながら、タイムに注目が集まった。しかし、2003年のパリ世界陸上200メートルで、日本人初のメダル(銅)を獲得した末續慎吾(41=EAGLERUN)は、タイムだけではない100メートルのもうひとつの重要な要素といえる「勝負として捉える短距離」を切り口に解説をする。25日のレース後、インタビューした。

競技者であり、闘技者 世界で勝つのに不可欠な100メートルの勝負論とは

 「僕にとって短距離は、一種の格闘技であり、スプリンターとは競技者であると同時に闘技者、そういう思いで世界中の屈強な選手たちと戦おうとしていました。例えば、パリの世界陸上(03年)で銅メダルを獲得したレースでは、ファイナリスト8人のうち僕以外は全員が黒人のランナー。コースだから接触していないのに、まるで喧嘩で殴りかかれるような圧力と、肌が痛くなるほどの緊張感、恐怖を味わいました。

 こういうレースを多く経験すると、平常心でいつも通りに、とか、自分が準備した想定内の戦略、技術で勝つのはもはや不可能です。だからこそ、僕は

・・・ログインして読む
(残り:約1683文字/本文:約3144文字)