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五輪で“リアル二刀流”に挑む平野歩夢~ナンバーワンからオンリーワンへ

スノボとスケボーで歩む未踏の境地 わずか半年で夏冬五輪出場狙う

増島みどり スポーツライター

スケートボードで東京五輪に挑戦すると表明した当時の平野歩夢=2018年11月13日

北京は「特別な五輪になっていく」、大谷に敬意

 スノーボード男子ハーフパイプ(HP)で冬季五輪2大会連続メダリストとなった平野歩夢(ひらの・あゆむ、23=TOKIOインカラミ)が6日、遠征先の米国からオンライン取材に応じた。12月第2週のW杯から、いよいよ北京冬季オリンピック(2月4日開幕)シーズンがスタートする。

 五輪選考の対象となるW杯開幕戦「コッパーマウンテン大会」を前に、「(北京は)かなり大きな、特別な五輪になっていくと思う。自分にとって、大きなチャレンジになる」と、言葉をていねいに探し、ゆっくりと、静かに答える独特の語り口で気持ちを表した。

【左】ソチ五輪のスノーボード男子ハーフパイプ決勝でエアを決める平野歩夢=2014年2月11日、ローザフートル競技場【右】平昌五輪での平野歩夢=2018年2月13日、フェニックス・スノーパーク
 2021年、MLBで投打の「リアル二刀流」で日米を席巻した大谷翔平(27=エンゼルス)について聞かれると、「あんまり、野球が分からなくて……」とはにかんだ後、「(自身と同じように)挑戦しているというのは共有できた。難しいところを貫いているんだろうなと思う」と、敬意を示した。五輪という世界最高峰の舞台で平野が目指す二刀流も、大谷と同様に大きな関心と敬意を集める挑戦である。

【左】本拠地での最終戦で力投する大リーグ・エンゼルスの大谷翔平=2021年9月26日、アナハイム【右】シーズン最終戦で先頭打者として46号本塁打を放つ大谷=2021年10月3日、シアトル

コンクリ―トから雪上へ、競技の違いと過酷なスケジュール

 今夏の東京五輪にスケートボードで出場(パーク14位)を叶え、日本の五輪史上に名を刻む5人目の夏冬両五輪出場を果たした。

 しかし、東京の1年延期により、8月に出場した東京から北京までわずか半年で慌ただしく「衣替え」をする難題に直面。同じ「横乗り二刀流」と評されるが、足が固定されないボードでコンクリートに着地するスケボーと、足は固定された状態で雪上に着地するスノボは「全然違う競技」(平野)だ。

東京五輪のスケートボード男子パークでトリックを披露する平野歩夢=2021年8月5日、有明アーバンスポーツパーク
 競技性の違いと同時に、夏冬2つのスケジュールをこなすハードさも想像を超える。

 今年2月には先ずコロラド州で、3月には日本でスノボのトレーニングを行い、4月に全日本選手権で2位となった。冬のシーズンを終えて4月中旬からは出身地の新潟県村上市でスケートボードの練習に取り組み、5月には米アイオワ州での大会に出場して、日本人トップの成績で東京五輪出場枠を獲得。その後も米国内での遠征合宿を続けて東京での本番に臨んだ。

 6日のオンライン会見でも「正直、時間と戦っている部分が大きい」と、日程の確保や準備に割く時間のバランスの難しさをあげた。どちらかの比重を大きくしてしまうと、「2兎を追うものは……」と、両競技で代表に漏れてしまいかねない重圧も感じていたはずだ。

アスリート・橋本聖子氏の助言、冬4大会・夏3大会の経験

 過去、こうした困難と闘って夏冬出場を果たした日本のオリンピアン5人のうち、橋本聖子、関ナツエ、大菅小百合と女性3人はスピードスケートと自転車で二刀流を実現した。

【左】アルベールビル五輪のスピードスケート女子1500メートルで銅メダルを獲得し観客の祝福にこたえる橋本聖子。冬季五輪で日本女子選手初のメダルだった=1992年2月12日、仏・アルベールビル【右】自転車のバルセロナ五輪代表選考会を兼ねた全日本アマチュア選手権で、2月の冬季五輪銅メダリストの橋本は3000メートル個人追い抜きで優勝し、五輪出場を決めた。写真は準決勝での力走=1992年6月
 1992年まで、五輪は夏冬同じ年の開催だったため、中でも橋本は、92年アルベールビルからバルセロナまで、わずか5カ月間での出場となった。平野がスケボーの代表に決まった今夏には、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長として温かい祝福を送りながら、「短い期間に、代表選考と五輪本番と、肉体的にも、精神的にもピークを何度も作る難しさがあると思う。是非頑張ってほしい」と、冬4大会、夏3大会を経験したアスリートとして、専門的なアドバイスも加えた。

平昌冬季五輪のスノーボード男子ハーフパイプ決勝2回目で「ダブルコーク1440」を決めた平野歩夢の連続写真(19枚を合成)=2018年2月14日、フェニックス・スノーパーク

平昌冬季五輪で2大会連続の銀メダルを獲得し、表彰式でメダルを見つめる平野歩夢=2018年2月14日、平昌オリンピックプラザ

違いを楽しむ―陸上の元日本記録保持者が成し遂げた五輪二刀流

 平野がこの困難な挑戦に求めているものは何だろうか。

 「違和感とか、違いを活かせれば、プラスになるんじゃないかって……」。6日のオンライン会見で、自身でこんなヒントを口にしていた。

 陸上100㍍で、日本人で初めて10秒30の壁を突破する10秒28の日本記録を樹立、98年長野五輪でボブスレーに出場する二刀流をやり遂げた青戸慎司さん(54)も「違いを楽しんだ」と話す。

第73回日本陸上選手権の男子100メートル決勝で、青戸慎司(右端)は自らが持つ10秒28の日本タイ記録で優勝した=1989年6月18日、国立競技場

陸上とボブスレー「自分で失敗し、未開拓の場所を毎日乗り越えていく」

 88年ソウルには400㍍リレーに出場、92年バルセロナでも同種目で60年ぶりの入賞(6位)をし、長野を前に公募で選手をスカウトしたボブスレー(4人乗り)で、スタート時に必要なスプリント力を買われて、男子選手として初めて夏冬出場を実現した。

 「肉体、精神、技術全てでの切り替えが必要ですが、前例とか参考書があるわけではない。僕は陸上で転倒などした経験はありませんでしたが、ボブスレーでは転倒で文字通り‘痛い失敗’をして、それを修正し、未開拓の場所を毎日乗り越えて行くしかありません」

 違う競技、夏冬の五輪で平野が挑む二刀流について、アスリートとして、経験者としてそう言って共感する。現在は、中京大陸上競技部の副部長を務め、スポーツ指導者として幅広く活躍している。

 公募テストの前、最高速度が時速150㌔にも達するとされるボブスレーのスピードに慣れておこうと、東海地方では当時、最速とも言われたジェットコースターに乗りに行った。「ボブスレーは比較にならないほど怖かった」と、笑いながら振り返る。

日本男子で初めて夏冬両五輪の出場が決まり、ボブスレーの五輪コースで初練習する青戸慎司(中央)=1997年12月23日、長野市のスパイラル

深夜1時 マイナス25度での大会公式練習

 ボブスレー挑戦から23年が経過した今も、忘れられない光景がある。カナダのカルガリーで、大会公式練習として割り当てられた時間は何と深夜1時。しかもマイナス25度のなか、全身タイツにスパイクを履き、ヘルメットをかぶって、大声で気合を入れている自分に、「何やってんの、オレ?」と笑いたくなったという。

 それは同時に、陸上で恵まれた環境にどこかで麻痺していた自分に大切な気付きをも与えてくれた。当時は二刀流といった表現すらなく、2つの競技で最高峰を目指す挑戦にも、今のような肯定的な見方は多くはなかった。

人間としても鍛えてくれた最高峰の舞台での挑戦

 「自分にとって、五輪という最高峰で挑んだあの二刀流が、選手としても人間としてもメンタルを本当の意味で鍛えてくれました。誰もやっていない未開拓の道を切り開くあのワクワク感を味わえて、本当に良かったと今も思っています」

優勝した平野歩夢のエア(空中技)=2019年5月12日スケートボードに挑戦していた平野歩夢は2019年5月の日本選手権の男子パークで優勝し、東京五輪に向けた強化指定選手に選ばれた。写真はエアを決める平野=2019年5月12日
全日本選手権の予選で演技を披露する平野歩夢=2021年4月13日、札幌市東京五輪出場を目指しスケートボードに専念していた平野歩夢は東京五輪イヤーの今年、北京冬季五輪を見据えスノーボードに本格復帰。4月の全日本選手権で2位に入り、4季ぶりに強化指定選手に選ばれた。写真は全日本選手権の平野の演技=2021年4月

 青戸がそう話すように、ナンバーワンを知るトップアスリートだからこそ、登りたくなるオンリーワンの頂きがある。同じ頂上を目指すとしても、全く異なる季節、登攀ルートを開拓する喜びが、二刀流の真のだいご味なのかもしれない。

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