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中国「大食い禁止法」の真意は食糧安全保障~最大の「買い主」と日本はどう付き合うべきか

中国の食糧政策は「自給」から「輸入」へとシフトした

奥田進一 拓殖大学政経学部教授

 かつて、中国の宴会といえば、テーブルに乗りきらない程の料理がならび、アルコール度数の極めて強い蒸留酒での乾杯を延々と繰り返すのが常であった。料理を少し残すのがもてなす側へのマナーだと教示されても、否が応でも残さざるを得ない結果となる。余った料理を持ち帰る習慣もあるが、格式の高い宴会やメンツを重視する富裕層の宴席ではそのようなことはせずに、高級料理の数々が残飯となって廃棄される。

中国式宴会に欠かせない「白酒」=2021年筆写撮影中国式宴会に欠かせない「白酒」=2021年筆者撮影
 しかし、2021年4月29日に施行された「反食品浪費法」は、そのような光景を一変させた。日本の一部メディアは、「大食い禁止法」あるいは「中国版食品ロス法」が制定されたとしてやや滑稽に報じていた。なるほど、同法は、大食い選手権のようなテレビ番組やネット配信コンテンツの制作を禁止し(法22条)、これに違反すると最高で10万人民元(約170万円)の罰金が科せられるとともに、場合によっては業務停止や法人等の解散に加えて、法人等の責任者個人が別途法的責任を追及されることになる(法28条)。

 同法の目的は、「食品浪費を防止し、国家の食糧安全を保障し、中華民族の伝統的美徳を昂揚し、社会主義の核心的価値観を実践し、資源を節約し、環境を保護し、経済社会の持続可能な発展を促進する」ことにある(法1条)。目的が盛りだくさんでやや散漫に思われるが、「食糧安全保障」と「資源節約・環境保護」を明確に謳っている点に注目したい。

 じつは、この法律の制定背景を丹念に探ってみると、中国が現在克服しようとしている歴史的難題と、これから描こうとしている国家戦略をうかがい知ることができる。なお、本稿で使用している「食糧」は、「米や麦などの主食」に限定していることを念のため断っておく。

自給率向上型から輸入重視型へ

 2021年3月の第13期全人代第4回会議において採択された、「国民経済と社会発展第14次5カ年計画と2035年までの長期目標要綱(第14次5カ年計画)」は、全19篇65章からなるが、「イノベーション(第2篇)」、「環境(第11篇)」、「民生・福祉(第14篇)」、「経済安全戦略(第15篇)」などの分野で注目すべき目標が掲げられた。

 このうち、「経済安全戦略」は新たに設けられた分野で、「食糧」、「エネルギー」、「金融」の3項目についてその達成目標が示された。そして、「食糧安全戦略」については、①耕地面積の厳守と技術革新、②食糧調達・備蓄管理能力の向上、③重要農産物の国際協力の展開、を3本柱とする戦略を展開するという。

 これらの戦略を、さらに詳細にみてみよう。

①耕地面積の厳守と技術革新

 2006年の第11次5カ年計画において、中国の人口を養うのに必要な耕地面積は18億畝(約1.2億ha)であるとされ、第14次5カ年計画でもこれをレッドラインとして厳守することで穀物自給率を現状維持させる一方で、各種農業技術の革新により作付面積と収穫量を増大させ、地域における農産物の緊急供給基地を合理的に配置する。

②食糧調達・備蓄管理能力の向上

 農産物の購入と保管制度改革を深め、多元的な市場買付・販売主体の育成を加速化させ、中央政府における食糧備蓄体制を整備し、備蓄規制能力を向上させる。また、各省長による食糧安全責任制と副食品についての市長責任制を強化するとともに、共産党と政府も同じ責任を負う。そして、食糧の生産、備蓄、運輸、加工の各段階における損失を有効的に減少させ、食糧節約行動を展開する。

③重要農産物の国際協力の積極的展開

 農産物の輸入管理メカニズムを健全化させ、輸入元の多元化を推進し、国際的な大規模穀物商社と農業企業集団を育成し、食糧安全保障法を制定する。

 少なくとも以上の戦略をみるに、中国の食糧政策は、自給率向上型から輸入重視型へと方向転換したことを伺い知ることができる。

食糧とエネルギーは歴代政権のアキレス腱

 中国における食糧増産は、建国以来の解決困難な最重要課題であった。建国初期から1980年代初頭の改革開放政策始動期までは、急進的な耕地面積拡大政策が相次いで実施された。とりわけ、1958年から1960年にかけて毛沢東主導の下で行われた「大躍進」運動は、旧ソ連をモデルとした第1次5ヶ年計画から離れて人民公社を設立し、大衆動員によって鉄鋼や穀物生産などを短期間に急増しようとした急進的な社会変革運動であった。

 汚染抑止措置などは何ら講じられず、多くの都市において汚水の垂れ流しや鉱業残滓の不適切管理などが横行した。また、鉱物資源の乱開発や大規模な植生破壊は、地勢や景観の破壊あるいは動植物の絶滅や著しい減少を引き起こした。

中露国境=2009年、筆者撮影中露国境=2009年、筆者撮影

 さらに、1959年から1960年にかけて各地で深刻な飢饉が発生し、1,500万~4,000万人が栄養失調により死亡したと推定されている。この飢餓問題は、結局顧慮されることなく、文革期においても食糧増産問題として引き継がれ、全国各地で食糧生産基地たる農地開発を名目として、森林や草原の大規模開墾や湖沼の干拓事業が行われた。その結果として、表土流失、土壌アルカリ化、砂漠化などの環境破壊が加速度的に進行した。これは人口急増と資源開発の調和をめぐる問題として、その後の中国環境問題の根幹を占め続けたといえよう。

 人口問題に関しては、1979年に始まるいわゆる「一人っ子政策」(2014年廃止)により、人口増加率は大幅に緩和されたといえるが、世界最大の人口を養うための食糧問題とエネルギー問題は歴代政権のアキレス腱的存在であった。また、これらの問題を解決しようとして経済成長を促すほどに、環境汚染や自然破壊が深刻化して、国際社会からも後ろ指を指される原因になった。

国境線ぎりぎりまで開墾されている=2009年、筆者撮影国境線ぎりぎりまで開墾されている=2009年、筆者撮影

乱開発からの回復遠く、「先冨論」は格差をさらに拡大

 1990年代以降、大都市圏を中心として大量生産、大量消費やモータリゼーションが急速に進み、大気汚染や水質汚濁などの典型的な公害問題に加えて、廃棄物処理や騒音等の新しいタイプの公害も進展した。また、激増するエネルギー需要の解消を企図した一大国家プロジェクトとして1993年に三峡ダム建設が着工され(2009年完工)、100万人規模の大移住や長江流域の生態系への影響などについて国際的な議論が喚起された。

 さらに、食糧増産のために行われた過開墾や過伐採による砂漠化や森林荒廃等の問題に対処すべく、1999年には一部の地域で退耕還林(草)政策が展開され、開墾した農地を森林や草地へとできる限り回復する作業が進められた。しかし、生業転換が上手く行かなかった農民が都市に出稼ぎに出たまま帰ってこない棄農や、補助金目当ての耕作放棄が深刻化し、2007年に同政策は停止に追い込まれた。

 2000年には、沿海諸都市の工業エネルギー需要に応えるべく、内陸部における石油や石炭等の資源開発を主軸とする西部大開発政策が実施されるが、ここでも退耕還林をさらに大規模化したような生態移民という政策が本格始動する。生態移民とは、生態環境破壊の原因となっている生業の人々を移転させて、破壊された環境を回復、保全しようという政策である。

 この政策は、環境の脆弱な地域を保護改善し、経済を発展させるため、同地域に散居している人々を、新しく建設した町や村に移民方式によって集住させたものである。西部大開発政策や生態移民政策は、「先に豊かになれる条件を整えた者(沿岸部)から豊かになり、後から来る者(内陸部)を救えばよい」という鄧小平の「先冨論」を実践する政策であったといっても過言ではないだろうが、沿海部と内陸部とでの経済格差は、もはや後から来る者が見えないところにまで拡大した。

建設途中の三峡ダム=2003年、筆者撮影建設途中の三峡ダム=2003年、筆者撮影

食糧増産と環境保護、両立狙った「生態文明建設」

 中国の歴代政権は、緩慢になったとはいえ増え行く人口を養うために、耕地面積を拡大させて食糧増産に励むと、結果として二酸化炭素の吸収源となる森林や草地を犠牲にしなければならないという悪循環に苦しんできた。食糧増産と環境保護という二律背反する命題を、一挙両得的にどのように解決すべきか。習近平政権は、この重要課題の解決という使命を一身に担って発足したといっても過言ではない。

 習近平氏は、2013年11月に中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議に上程した「中共中央の若干の重大問題を全面的に深化改革することに関する決定」において、「生態文明建設」という言葉を用いて環境問題解決についての一歩も譲らぬ決意と厳格な方途を示した。この中国語としても聞きなれない言葉は、2014年に改正された環境保護法で法目的として明文化され、2018年に中国の環境省に当たる「環境保護部」が「生態環境部」へと改称されたことで、その認知度は相当程度に深まった。

2021年12月14日、中国文学芸術界連合会第11回全国代表大会・中国作家協会第10回全国代表大会に出席した習近平国家主席=新華社 2021年12月14日、中国文学芸術界連合会第11回全国代表大会・中国作家協会第10回全国代表大会に出席した習近平国家主席=新華社

 しかし、生態文明建設の道のりは険しく、2021年11月11日に中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議において採択された「歴史決議(党の100年間の奮闘の重大な成果と歴史的経験に関する決議)」では、「生態文明建設は中華民族の永続的発展に関わる根本大計であり、生態環境の保護は生産力の保護であり、生態環境の改善は生産力の発展であり、環境を犠牲にして一時の経済成長の代価に替えるようなことは決してあってはならない」とまで言い切った。

 しかし、習近平政権は、

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