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ニュースサイトや言論サイトのコメント欄は有害無益である

赤木智弘 フリーライター

 2021年、Yahoo!ニュースは書き込まれたコメントをAIで判断し、一定の基準でコメント欄を閉鎖する機能を付け加えた。

 Yahoo!ニュースに関しては、以前から特定の政治勢力・思想に偏ったコメントが多く、中には明らかなヘイトスピーチが含まれることもあり問題視されていた。

 しかし、ページビューがモノを言うネットニュースでは、ヘイトコメントもアクセスの一つだとばかりに、問題のある状況は無視され続けた。

 だが、数年前から小室圭さんと眞子さんの婚約絡みの記事に、2人に対する嫌悪感の極めて強いコメントが大量に投稿されるようになった。さすがに皇室関連の“ヘイト”まで放っておくわけにもいかなかったのか、AIでコメント欄を非表示にする機能が付け加えられたのである。

違反コメントなどの状況により、記事のコメント欄が自動的に非表示となる=ヤフー提供Yahoo!ニュースは、違反コメントの投稿状況により、コメント欄が自動的に非表示になるようにした=ヤフー提供

 様々なニュースサイト、言論サイトに当たり前のように存在するコメント欄。

 ニュースや論評に対していろいろな見地から書き込むことは、ニュースの理解を深め、さまざまな考察を生んでくれる。

 そんなふうにコメント欄がその記事を補完してくれる存在であれば良いのだが、近年はどうもそういう存在ではなくなりつつある。平気で記事の意図を無視したり、ちゃんと読んでいなかったり、つまらない揚げ足取りをしたり、中には記事の筆者を腐すこともある。

 記事を掲載する方には責任があるから、筆者も運営側も文章には慎重になり、物事の断定を避けたり、事実関係の裏を取ったりする。だが、コメント欄に書き込む人たちは責任を負うことがないから、簡単に断言したり、いい加減な知識で適当な主張をしたりする。その結果、記事よりもコメント欄の方が自信満々に正しいことを書いているように見えることがある。

 そしてコメント欄でエコーチェンバーが発生し、他人への軽視、嘲り、憎しみが伝播していく。そんな悲しいコメント欄を何度も目にしている。

 特に特定の民族や女性、そして障害を持つ人や貧しい人の権利など、マイノリティや弱者に関わる記事で、そうした傾向が強いように感じられる。

サイト側のコメント欄に対する「責任」とは

Profitable Portfolio/Shutterstock.comProfitable Portfolio/Shutterstock.com

 そこで考えなければならないのは「責任」の所在だろう。

 記事に誤りや問題があれば、サイト側とそれを書いたライターの責任になる。一方で、コメント欄に誤りや問題があっても、書いた人が責任を負うことはほぼない。

 もちろんIPアドレスの開示要求などを通してコメントを書いた本人に責任を負わせることもできる。だが、そこまでして追い込むのはごく一部のケースに過ぎない。だから、コメント欄で叩かれた人たちはじっと我慢をするしかない状況になっている。

 読む側も、あくまでもコメント欄は記事本体ではないし、サイト側がバッシングやヘイトを煽っているわけではないことを理解している。

 だが、それでも「問題のあるコメントがサイトに掲載されている」という状況は変わらないし、それを読んで「楽しそうだから、俺もコイツらを叩いてやろう」と思う人が出てくる状況を止められない。それは結果として「ニュースサイト、言論サイトが無責任かつ扇動的な内容を発信している」という問題にまで発展してしまうことがあるのである。

 サイトが自らのサイトに記載された記事内容に責任を負うのは当然である。だが誰もが自由に書き込むことができるコメントに対する全ての責任を負うことはできない。

 ならばできないことはしない、コメント欄を設置しないことが真っ当なニュースサイト、言論サイトとしての責任なのである。

 もし、かつてのようにコメント欄が自由闊達な意見の場であるならば、それを維持する意味もあったであろう。

 しかし現在のコメント欄には「ストレス解消のために他人を罵倒する」「賛同されたくてネットで受ける意見ばかりを書き込む」ような人が少なくない。

 そうなればコメント欄には同じような目的の人しか近づかなくなる。建設的な議論をしたい人は書き込むどころか、目を通すこともしなくなるのである。

 僕自身も自分の記事のコメント欄には目を通すことはほとんどない。どういう立場か分からない人の意見を聞いてもあまり意味があるとは思えないし、建設的な意見を伝えたい人はメールなどで送ってくれるので、コメント欄で済ませられるくらいの意見を気にしても仕方ないと考えている。

書きたい人はサイトの外で書けば良い

Sasin Paraksa/Shutterstock.comSasin Paraksa/Shutterstock.com

 サイトが、どうしてもコメント欄を維持したいのであれば、その責任としてコメント欄を管理する専従者が必要となるだろう。

 しかし、差別用語が書かれていたり明らかなヘイトのコメントであれば自動的に削除するサイトは多いが、罵倒の類のコメントはそうはいかない。それも、どんな記事でもコメントが10件もないようなサイトならともかく、100件も1000件以上もコメントがつくサイトで、その1つ1つをチェックすることは数人の専従者では不可能だろう。

 だいたい、コメント欄をチェックする専従者を雇うくらいなら、そのぶん編集者として育てた方がいいのは言うまでもない。コメント欄の管理など無駄手間以外の何ものでもないのである。

 かつてインターネットが広がり始め、一部の先進的な人が自分のホームページなどを作っていた時代には、自分のサイトに掲示板を設置するのは当たり前だった。

 しかし多くの掲示板に宣伝目的のスパムが投稿されるようになると、掲示板を管理する手間ばかりがかかるようになり、個人サイトの掲示板は徐々に姿を消していった。そして今や個人間のやりとりはSNSで十分であり、もはや個人サイトに掲示板を置く意味は消滅している。

 ニュースサイトや言論サイトのコメント欄についても同じことが言えるのではないか。

 もはやコメント欄には議論を活発化させる役割はなく、ただ無責任に何かを煽り立てたい人たちが集まる場に変質してしまった。

 もはや、こうしたサイトに誰でも気軽に書けるコメント欄を設置することは、有害無益であると僕は考えている。

 Yahoo!ニュースでいう「オーサー」や朝日新聞デジタルの「コメントプラス」のような、サイト側が選出した人たちがコメントできる制度ならまだしも、その分野に対する知識があるのか無いのかも分からない不特定多数の人にコメント欄を解放する必要性はないだろう。

 記事へのコメントは、書きたい人が自身のSNSに書いたり、5chやはてなブックマークなどの外部に書けば良いのである。

 ニュースサイトや言論サイトは責任を負える内容をサイト内に置き、責任を負えないコメント欄を設置しつづけるべきではない。もはやこうしたサイトにコメント欄が必要な時代は終わっているのである。