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TBSの真の自由人・宮内鎮雄さんが亡くなられた

[1月8日~1月14日]『hana–1970』、生活困窮者取材、林外相会見……

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

1月8日(土) 今年最初の「報道特集」の生放送。と言っても僕はこの回の取材には関わってないので、ヒョーロンカみたいなことも言いたくないし、自分の考えていた趣旨とのズレも感じたので、中国特集にはコメントで嚙まないことにした。中国という国と、どのように関わっていくかについては、それこそいろいろなアプローチがあるだろう。僕は今の平均的な日本人の中国および中国人への姿勢がとても嫌なので、じっくりと時間をかけてやっていくしかない。まあ、「口舌の徒」にだけはなりたくない。

 後半の「性的違和」の特集には嚙んだ。と言うのも、去年、名古屋でトランスジェンダーの高校生に会って話を訊く機会があったからだ。こころは男性で体は女性という高校生で、周囲にもカミングアウトした2年生。どうしてもスカートを履くのが苦痛で、学校側と相談をして、学校側が規則を替えてスラックス着用を認めた。

 彼/彼女は、とても勇気があって、しっかりとした人物に思えた。日本の社会は少数派にはとても冷たい社会だ。いじめる。排斥する。差別する。そういう環境のなかで生きていく彼ら/彼女らの示す勇気に、なぜかこちらが励まされるような思いがする。それに比べて、マスメディアは一体何をやっているというのだ。

 シドニー・ポワチエ死去。政情不安のカザフスタンでナザルバ―エフ前大統領の出国説が流れだした。

若き日のシドニー・ポワチエ(享年94歳)若き日のシドニー・ポワチエ(享年94)=筆者提供

沖縄「復帰」50年、『hana』が上演される意味

1月9日(日) 朝、がんばってプールに行き泳ぐ。日曜日は子ども水泳教室が開かれているので、大人どもが使えるレーンが3つしかないのだ。スポーツクラブにとって子ども水泳教室は、安定経営のために欠かすことが出来ない重要プログラムなのであって、中高年どもは歓迎されざる顧客なのだと、誰かが(彼は間違いなく高齢者であった)サウナ室で喋っていたのを以前聞いてイヤな感じがしたことを思い出した。もちろん、イヤな感じを抱いたのは、その高齢者に対してだけれど。

 15時から東京芸術劇場で『hana–1970、コザが燃えた日』をみる。以前からみたかった舞台だった。観客も予想以上に入っていたように思う。

『hana–1970、コザが燃えた日』『hana–1970、コザが燃えた日』のチラシとパンフレット=撮影・筆者
劇場に飾られていたリュウゼツランとコザ暴動の写真劇場に飾られていたリュウゼツランとコザ暴動の写真=撮影・筆者

 で、この劇、みられてよかった。コザ暴動そのものを扱った戯曲ではなく、あの日(1970年12月20日の夜、つまり沖縄の本土復帰前の設定である)、暴動のあった嘉手納基地のゲート前通りの近く、コザ市の呉屋十字路付近の米兵相手のpawnshop(質屋)兼Aサイン・バーが舞台の状況劇だ。松山ケンイチも余貴美子もとてもよかった。沖縄「本土復帰」50年の今年、この劇が上演されることの意味の大きさを会場で噛みしめた。

 劇中に登場する軽薄な本土ジャーナリストに対して、松山ケンイチ扮する地元コザのヤクザ息子が吐き捨てる言葉が

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