メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

北京パラリンピックに挑むアスリートたち~東京五輪決定から9年、多様性を広げてきた道のり

「オリ・パラ」は一つの言葉となり人々の意識を変えた。社会はどう発展していくのか

増島みどり スポーツライター

北京パラリンピックの結団式には、旗手の川除大輝選手、主将の村岡桃佳選手以外の選手はオンラインで出席した=2022年2月24日、東京都新宿区

北京五輪の勢いをパラでも 日本から29選手出場

 2月24日、北京パラリンピック(3月4日から13日まで、6競技実施)に出場する日本選手の結団式と記者会見が、新型コロナウイルス感染防止対策のため出席者を限定するなかで行われた。日本からはアルペンスキー、バイアスロン、スキー距離、スノーボードに29選手が出場する。

【左】村岡桃佳主将【右】旗手を務める川除大輝選手
 主将となった女子アルペンスキー座位の村岡桃佳(トヨタ自動車)、旗手を務めるクロスカントリーの川除大輝(かわよけ・たいき、21=日立ソリューションズ)と、選手は2人だけの出席となったが、「東京から引き継いだ流れをたやさぬように、全力で戦い抜くことを誓います」と、2人が堂々と宣言する様子は印象的だった。

村岡桃佳主将は高木美帆の活躍から刺激

 開幕前日の3日に25歳となる村岡は、2回目の出場となった18年の平昌五輪で旗手となり、金を含む5つのメダルを獲得した。1月のトレーニング中に腕を負傷し不安は残るが、3回目の出場となる今大会は名実とも「エース」となる。

平昌パラリンピック・アルペンスキー大回転女子座位で金メダルを獲得した村岡桃佳選手の滑走=2018年3月14日、旌善アルペンセンター
 「周りの方から成長していると認めてもらい、期待されているとも感じることができた。私自身は、とても人見知りで内向的なほうですが、その殻を破って、主将として先頭に立って頑張りたい」と、控えめに意気込みを示す。

北京五輪のスピードスケート女子1000メートルで金メダルを獲得した高木美帆選手。滑走後のガッツポーズ=2022年2月17日
 2月20日に閉幕した北京五輪で、日本チームはコロナ禍での調整の難しさに直面しながらも、史上最多となる18個のメダル(金3、銀6、銅9)を獲得。北京五輪で主将として、金メダルを含む4つのメダルでチームを鼓舞したスピードスケートの高木美帆(27=日体大職)に刺激を受けたという。

夏冬二刀流が続々、潜在能力の限界に挑むパラアスリートたち

 男子スノーボードハーフパイプの平野歩夢(23=TOKIOインカラミ)は昨夏の東京でスケートボードに出場し、日本五輪史上5人目の夏冬出場を達成。わずか半年ほどの期間で本職に戻ると、世界初の大技を決めて金メダルを獲得した姿は強烈なインパクトを残した。北京パラリンピックでも、かつてないほど多くの選手たちが二刀流と、短期間での切り替えに挑戦する。

 主将の村岡は、約2年、かねてから念願だった陸上競技での五輪出場を目指してトレーニングに専念し、東京では100㍍に出場。6位入賞を果たして雪上に戻ってきた。

 「平昌から東京での陸上出場を目指す間、全てがスキーとは違っていましたが、競技への対応力だけではなく、あらゆる点で成長できたと感じています」と振り返る。陸上のトレーニングに専念したため体幹が強くなり、二刀流はバランス感覚やスピードに好影響をもたらした。今季はW杯6勝などレベルアップにつながったと手応えを見せる。

【左】東京パラリンピック・男子走り幅跳び(義足・機能障害T63)決勝で跳躍する小須田潤太選手。自己ベストを更新し7位=2021年8月28日【右】北京パラリンピックに向け調整する小須田選手(左)=小須田選手の公式インスタグラムから
 昨年の東京で走り幅跳びに出場した義足の小須田潤太(31=オープンハウス)は、21歳で見舞われた交通事故でスポーツを諦めかけた。パラ陸上の第一人者・山本篤が開いた義足スポーツの教室に参加して一転、山本の背中を追って走り幅跳びを始めた。東京では同種目7位に入賞し、北京ではスノーボード出場を叶えた。

 視覚障害のクロスカントリーに出場する有安諒平(ありやす・りょうへい、35=東急イーライフデザイン)は昨年の東京ではボートに出場し、ノルディックスキー距離とバイアスロンに出場する佐藤圭一(42=セルフォースジャパン)も、トライアスロンに出場している。

【左】東京パラリンピック・混合舵手つきフォアに出場した日本チームの有安諒平選手=2021年8月27日【右】北京パラリンピックにはクロスカントリーで出場する有安選手=日本障害者スキー連盟提供

「社会で理解されるようになった証。ポジティブなメッセージに」

 今大会日本選手団の河合純一団長は、かつて競泳の視覚障害のクラスで五輪6大会に出場し、金メダルを含む21個のメダルを獲得したキャリアを持つ。夏冬二刀流選手が、パラにも多く存在する現状にこう期待を寄せる。

 「選手の努力はもちろん、二刀流の存在はそれだけパラ選手の競技環境が、社会やスポーツ界で少しずつ理解されるようになった証でもある。障がいがあるからできない、ではなく、自分の限界を決めず、競技者としての能力をさらに引き出そうとする姿は色々な面でポジティブなメッセージにもつながります」

【左】ワールドトライアスロンパラシリーズ横浜大会での佐藤圭一選手。リオパラリンピックのトライアスロンにも出場した【2】平昌パラリンピック・バイアスロン男子15キロ立位で滑走する佐藤選手=2018年3月16日
 選手たちはコロナ禍での体調管理、遠征や試合が減るなか、実戦感覚を保って昨夏から短期間での切り替えをこなした。その調整力や精神的な逞しさにも驚かされる。

【左】平昌パラリンピック・アルペンスキー大回転女子座位で金メダルを獲得した村岡桃佳選手。ゴール後に掲示板を見て喜んだ=2018年3月14日【右】東京パラリンピック・陸上女子100メートル(車いすT54)で6位に入り、観客席に手をふる村岡選手=2021年9月1日

「殻を破った」村岡の存在

 「人見知りで内向的な殻を破って」と話す村岡(埼玉県深谷市出身)は、昨夏の東京で夏冬出場を果たし、競技者としてスポーツの既成概念の殻を大きく突破した。大学進学、大学スポーツ界でも「殻を破って」周囲を変えた経験を持つ。

 4歳で「横断性脊髄炎」に感染し、麻痺のために車いす生活に。中学から座位で行うチェアスキーに取り組んだ。

情熱・実力・努力を見た早大監督、「こちらが変わればいい」

 大学受験を前にした高校2年の頃、早大スキー部の当時監督・倉田秀道氏(あいおいニッセイ同和損保)は進学の相談を受けたが、寮生活が原則とされる体育会スキー部にバリアフリーなど設備はなく、「受け入れは難しい」と、一度断った。

 ある時、同じ合宿先で再会し、悪天候のなかで黙々とトレーニングに臨む姿に、「これだけの情熱、実力、根性を備えているのに、車椅子だからと断り、芽を摘むのは間違いだ。ほかの学生と同じ機会を与えるよう、こちらが変わればいいのでは……」と、気付かされた。

早稲田大学生時代、スキー部で部員とともに筋力トレーニングに取り組む村岡桃佳選手=2015年6月
 そして大学にパラ選手初の「トップアスリート入学」を実現するため懸命に働きかける。16年のリオデジャネイロ五輪を控え、東京五輪への準備も本格的に始まった時期、倉田氏は必ず「東京オリンピック・パラリンピックは一つの単語」と、関係者を説得したという。

 「東京五輪に向けて両者はひとつの言葉。差別なく多様性を認めるべきと説得しました。彼女はどんな壁でも努力できるなら、と諦めませんでしたし、学生たちも、真面目に同じスキーに取り組んでいる選手を受け入れるのは当然、と判断してくれた」

スキー部と大学全体に心のバリアフリー化が浸透

 その後、大学が数百万円を投じて寮のバリアフリー化をはかった話は知られている。しかし倉田氏は設備以上に、たった1人の車いすアスリートの存在が部員、OBを含めた部の伝統や歴史、大学全体にもたらした「心のバリアフリー化の浸透ぶりとスピードに驚かされた」と振り返る。

 北京五輪ノルディック複合団体では、早大スキー部OBの渡部暁斗・善斗兄弟、永井秀昭、アンカーとして逃げ切る好走を見せた山本涼太が28年ぶりの表象台に立って銅メダルを手にした。村岡にとって同じ寮で共に練習した先輩、後輩たちの大活躍が励みであり、彼らにとっても「殻を破った」スキーヤーを間近で見た経験がプラスとなった。

北京五輪ノルディック複合男子団体で獲得した銅メダルを掲げる(左から)渡部暁斗、渡部善斗、永井秀昭、山本涼太の4選手=2022年2月18日、中国・張家口メダルプラザ

スポーツが発信した「多様性と調和」をどう浸透させていくか

 2013年9月、

・・・ログインして読む
(残り:約298文字/本文:約3194文字)