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外壁に吊るした緊縛アートにも必要な持続可能性~安全性の確保は技術である

赤木智弘 フリーライター

 東京・原宿のキャットストリートにあるアートスペースで行われた1つの作品が多くの批判を受けている。

 そのアートはHajime Kinoko氏による緊縛アートで、女性を赤いロープで縛って建物の外壁に吊るすものだった。

BLKstudioBLKstudio/Shutterstock.com

 外から見えるため、Twitterなどでは「女性をモノ化したイベントを子供でも見えるところで行うとは何事か!」といったフェミニズム的観点からの批判もあったが、それよりもはるかに多かったのが「女性が落ちそうで怖い」「安全管理はどうなっている?」という、現場の安全性に疑問を呈する批判だった。

 僕自身も作品の写真を一目見た時点で「もし、縄が緩んだり、締め付けのバランスがずれたりしたら危なそうだな」と思った。

 ネットに公開されている写真や動画を見る限り、周囲にマットやネットがあるかどうかは確認できなかったが、少なくとも吊った女性の下に別の女性も吊られているという状況を見るに、安全対策についても十分だったとは考えられない。

 現場労働においては、もしまかり間違って吊り荷が落ちても大丈夫なように「吊り荷の下に入らない」のは基本中の基本である。少なくとも吊られた人の下に吊られて動けない人を配置するなんてことはあり得ない。

 また、設営中の動画もあったが、高いハシゴや脚立を使うけっこうな高所作業であるにもかかわらず、足場も無く、ヘルメットもせずに作業をしており、脚立の天板をまたぐ場面すらあった。工事現場なら一発で出入り禁止になるお粗末さである。

 僕は昔、警備員のアルバイトをしていて、KY(危険予知)の知識も多少はあるのだが、最近はネットでも「現場猫」の流行や、学校の組み体操での事故などが知られることにより、KYの知識を持っている人も増えている。そうしたことから、今回のアート作品にも安全性に関する疑問が相次いだのだろう。

技術を真っ当に発揮できる労働環境へ

BLKstudioAccessBLKstudioAccess/Shutterstock.com

 作品性を考えれば、女性に墜落制止のためのフルハーネスを付けてヘルメットを被らせるようなことはしたくないのはもちろん理解できる。

 それならば、もし落ちても大丈夫なように下にネットを張って、さらにマットを敷く。事故があっても他のパフォーマーが巻き込まれないような配置をする、といったできる限りの安全確保は行うべきである。それすらできないなら、そもそもその場所は人を吊るアートパフォーマンスを行うべき場所ではないのである。

 一方で、安全性に疑問を呈する批判に対して「アートだから……(大目に見よう)」や「演者が納得しているならいいのでは?」と諫める人も少なくなかった。

 こうした意見に対しては「そういう甘い考え方は、いずれ通用しなくなるから早めに認識を改めた方がいい」と主張したい。

 最近は「サステナブル」という言葉がよく使われる。日本語にすると「持続可能性」という意味合いになる。僕はアートなどに対しても、今後は持続可能性に対する取り組みを明確にしない作品は社会的に受け入れられなくなると考えている。

 映画業界では「#MeToo」による、プロデューサーや監督、大物俳優といった権力者のハラスメント行為に対する告発が相次いでいる。こうした告発を「個人的な恨み」と考えて、騒動による作品上映が中止されると「誰かの恨みで、作品そのものが貶められるのはおかしい」と主張をする人も多い。

 しかし僕は#MeTooのような流れは「映画産業が今後も続いていくために必要なプロセス」であると考える。プロデューサーや監督、大物俳優といった一部の人が現場を支配し、女優に平気でセックスを要求したり、それに応じた女優が抜擢されるようないびつな労働環境ではなく、多くのプロフェッショナルが自分の持てる技術を真っ当に発揮できる労働環境が維持されることが、今後の映画産業の発展にとって絶対に必要なのである。

 そしてそれは緊縛アートについても同じである。

安全性に関する知識不足による事故も

 今回こそ事故は起きなかったが、

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