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菅さん、ゴルバチョフになってください!

鈴木崇弘

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 菅直人さんが総理大臣になった。私が、人生で初めて選挙の手伝いをしたのは、その菅さんだ。3度落選した選挙のうち2度目の参議院選挙だった。私は当時大学生で、ポスター張り、はがきの宛名書き、電話かけ、ビラ配り、政策づくりの下働きなど、なんでもさせてもらった。菅さんが将来まさか総理になるとは思いもしなかったが、当時の記憶が鮮明に残っている。その意味でも、菅さんの総理就任は感慨深い。

 菅さんはその頃仲間たちと市民運動をしており、選挙事務所もアットホーム、和気藹々で、何となくのどかな雰囲気がただよっていた。その仲間の中には、たとえば現在市民バンクや第三世界ショップで有名な社会起業家の片岡勝さんらもいた。片岡さんは、今と風貌も雰囲気もあまり変わらないが、当時はまだ銀行勤めをしながら活動していたが、歯に衣をきせない発言で、「この方は組織の枠にはまらない方なのではないか」という印象だった。

知的で清々しい好青年

 そのころの菅さんは、当時の写真を見てもわかるように、知的で、スラッとした清清しい感じの好青年だった。私の記憶が正しければ、政治学者の松下圭一氏が提唱していた、市民レベルで維持すべき最低限度の生活水準であるシビルミニマム(注1)を基本理念に市民活動していた。当時発行していたニュースレターのタイトルも「シビルミニマム」であった。つまり、当時の菅さんは、かなり現場に近い発想で、政治や政策を考えて、市民の生活を向上させ、守ることを考えていたと思う。

 選挙活動中に、あるスタッフが病気で入院し、活動ができなくなったときがあった。菅さんは、「じゃ、僕がスタッフとして選挙運動をするから、○○さん(そのスタッフの方)が立候補することにすればいい。スタッフの方が、候補者より、動かないといけないから…」と言ってていた。菅さんは近年、「権力志向だ」、「バルカン政治家(注2)だ」、と指摘されることが多いが、当時は、権力志向や議員になることへの意志は強くなかったように思う。

 それ以来、数十年の間、菅さんとは何度か挨拶しただけだ。そんな菅さんが、ついに総理大臣になった。菅さんに何があり、現在どのように考えているかはわからない。

 鳩山氏の突然の辞任で、急遽、総理の座に座った。鳩山政権や民主党の支持率を低下させていた小沢一郎氏の影響力を排除した政権や民主党の執行部体制を怒涛の勢いで生み出した。本質部分は変わっていないと思うが、V字カーブで支持率を上げ、参議院選挙に突入。さすが現実主義の菅さんである。

 しかし、菅政権の本格稼動は、参議院選挙後だ。

日本に新しい民主主義を

 そこで、選挙後の菅さんに期待したい。それは、菅さんに、日本のゴルバチョフになってもらい、日本を時代に即した新しい民主主義の社会にしてもらいたいということだ。

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