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日本外交、「核兵器のない世界」構想への姿勢

櫻田淳

櫻田淳 東洋学園大学教授

 被爆65年目の広島での平和祈念式典には、ジョン・V・ルース(駐日米国大使)を含む米英仏三国の政府代表が出席した。日本国内には、「今さら何を…」という声が聞かれるけれども、米国国内には、大使の出席それ自体が「無言の謝罪」を意味しているという反応もある。ルースを出席させたバラク・H・オバマ(米国大統領)麾下の米国政府の対応は、「原爆投下が第2次世界大戦の終結を早めた」という解釈が勝る米国の国内事情を踏まえれば、日本の人々が一つの「英断」として歓迎すべきものであるのは、間違いない。

 このオバマの「英断」の背景には、その「核兵器のない世界」構想への反響が反映されている。そもそも、「核兵器のない世界」構想それ自体は、ジョージ・P・シュルツ(元国務長官)、ヘンリー・A・キッシンジャー(元国務長官)、ウィリアム・J・ペリー(元国防長官)、サム・ナン(元連邦議会上院軍事委員長)が連名で米国紙『ウォールストリート・ジャーナル』(2008年1月15日付)に発表した「核のない世界に向けて」("Toward a Nuclear-Free World")提言を受けたものである。この四専門家は、後に同紙(2010年1月29日付)に再び、「どのように、われわれの核抑止力を保護するか」("How to Protect Our Nuclear Deterrent")と題された提言を発表している。そこで一貫して示されているのは、「『核』に対する依存度を下げること」である。「核の拡散」が進めば、それがテロリスト・グループの手に渡るなり偶発的な事故が起こるなりの結果として、予期させざる「核の惨禍」が出現する蓋然性が高くなる。そうしたことが何よりも懸念されているのである。

 「核兵器のない世界」構想の実現の手順は、結局のところは、「既存の核保有国が『核抑止』の効果を再考し、その保有する核兵器を劇的に削減するか全廃する」か、あるいは「他の国家や非国家団体が核兵器を新たに入手する事態を防ぐ」かの何(いず)れかしかない。オバマのプラハでの「核兵器のない世界」演説にせよ、前に触れた四専門家の二つの提言にせよ、そこで強調されているのは、前者というよりも後者の筋道への志向である。

 故に、こうした米国の論理を冷静に受け止めないままに、従来の「反核」論の惰性の上でオバマ構想に向き合おうとすれば、途方もない誤解を生む怖れがある。オバマ構想は、「唯一の被爆国」感情に依った従来の「反核」論をも相対化させることを要請している。

 事実、「核兵器のない世界」構想の実現に向けた実際の具体的な「主戦場」は、イランや北朝鮮における核開発の制止である。2002年1月、ジョージ・W・ブッシュ(前米国大統領)は、一般教書演説の中でイラン、イラク、そして北朝鮮の3カ国を「邪悪の枢軸」と呼んで非難したけれども、イラク戦争を経た後に残るイランと北朝鮮が「脅威の源泉」と位置付けられる事情は、ブッシュからオバマへの「政権交代」を経ても、何らら変わっていない。

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