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モスク建設計画の強行は宗教和解につながらない

水田愼一

水田愼一 水田愼一(三菱総合研究所海外事業研究センターシニア政策アナリスト)

 2001年9月11日の米国同時多発テロ(9・11テロ)の標的となったニューヨーク(NY)のワールド・トレード・センター(WTC)跡地近くのモスク建設計画をめぐって米国世論が真二つに割れている。テロ後9周年を迎えた今年の9月11日には、賛成派、反対派それぞれ大勢の人々がマンハッタンでデモ行進を行い、自分たちの主張をぶつけ合った。またネット上でも賛否両論入り乱れている。

 様々な意見を見る中で、この問題の対立軸をどのように設定するかは人それぞれあるようだが、この問題には少なくとも「戦争(紛争)」と「宗教」という二つの事象がかかわっていると言える。そして実のところ、「紛争」と「宗教」という二つの事象が組み合わさった場合、そこから生じた対立に完全な和解をもたらすことは極めて困難である。

 筆者は「紛争(内戦)研究」を学問的な専門とし、これまで過去に起こった何十という国内紛争がどのような原因によって発生し、それがどのように解決していったか(または解決しなかったか)を研究してきた。これらの国内紛争を見ると、対立構図の中で宗教・宗派が大きな役割を果たしていることは多い。ただここで注意すべきなのは、紛争の中には、宗教・宗派が対立の直接の原因となっている場合もありうるが、むしろ、他の原因で生じている対立を宗教によってカモフラージュしたり、戦争の扇動者の意図により宗教が対立軸に使われてしまったりする場合が多いという事実だ。しかしながら、如何なる経緯にせよ、紛争の対立軸の真ん中に一度宗教が横たわってしまうと、その対立構図を解消し、和解を実現するのは難しいことが歴史的・学問的に実証されている。このため、宗教の名の下で分断されてしまっている人々を共存させるためには、相互を物理的に「乖離」するしかないという学者もいるくらいだ。

 9・11テロはそういった宗教を軸とした、解決が容易ではない構図を色濃く作り出してしまった。テロ首謀者のオサマ・ビン・ラディンはイスラム教の聖戦(ジハード)を掲げて、テロ攻撃を行った。実行犯もイスラム過激派の人々であったと言われている。だから、9・11テロやその後の「対テロ戦争」は、あたかも「キリスト教vsイスラム教」や「ユダヤ教vsイスラム教」といった宗教対立の構図に作り上げられてしまっている。そのため、米国人の中には「イスラム教は好戦的」であり、自国は自由と平和を愛しているにもかかわらず戦争を仕掛けられており、そのような「イスラム教は受け入れられない」という考えや感情を持つ人が少なからず存在するような状況になってしまっている。

 コーラン焼却を計画していたフロリダ州のキリスト教指導者たちにしても、「キリスト教vsイスラム教」というような宗教対立構図の単純化は適切ではないことを承知していたようである。というのも、彼らがやりたかったことは、モスク建設計画の背後にいる「一部イスラム過激派の存在」について米国民に対して警告を発することであったというのだ。しかし、彼らの真の意図にかかわらず、結果的には、「コーラン焼却計画」はキリスト教とイスラム教が相互に一般的に対立関係にあるという印象を強めるのに一役買ってしまい、それをきっかけにさらに米国民の中に眠っていた反イスラム感情を安易に噴出させる結果となってしまったように思う。

 モスク建設計画に賛成を主張する人の多くは、このような宗教対立の構図を固定化させないためにも、和解の象徴としてあえてWTC跡地近くにモスクを建設するべきだと言う。筆者もこのような主張自体に反対するところではない。しかし、同時に、今はその時ではないと考える。

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