メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

経済最優先の対中外交との決別を

後藤謙次

後藤謙次 後藤謙次(フリーの政治コラムニスト、共同通信客員論説委員)

 中国の民主活動家劉暁波氏のノーベル平和賞受賞決定は、日本外交にも大きな影響を与えるのは確実だろう。現に中国政府は、尖閣諸島沖の漁船衝突事件と重なるように拘束され1人だけ拘束を解かれずにいたフジタの社員を釈放した。なぜこのタイミングで釈放に踏み切ったのか。日本政府関係者は中国への人権問題批判が、国際的孤立や国内の民主化運動の高まりに火をつけかねないとの判断が中国政府内であったのではないかとの見方を示した。

 そこで思い出すのが1989年の天安門事件直後にフランスで開かれたアルシュ・サミットだ。竹下登氏がリクルート事件などで首相を退陣した直後で、宇野宗佑首相が出席した。日本を除く米欧6カ国(当時はG7)は中国への厳しい制裁を求めていた。これに対して日本政府は「中国が排外主義になると、アジアへの影響が大きい」(当時の三塚博外相)と慎重な対処を繰り返し主張した。この背景には宇野首相の出発前に中曽根康弘、竹下登氏ら首相経験者が揃って中国とは経済的にも地理的にも極めて近い関係にあり、他のサミット参加国とは「別の役割、責任がある」と強く進言したことがあった。

 中国が爆発的な経済発展を遂げ、「中国脅威論」が国際的にも広がりを見せても、日本外交のこうした姿勢に大きな変化はなかったように見える。小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝をきっかけに関係が悪化、「政冷経熱」とも言われたが基本的には日本政府は中国の人権問題への深入りは避けてきたのが現実だ。安倍晋三首相が就任直後の2006年10月に訪中、胡錦濤国家主席との会談で「戦略的互恵関係」構築を確認し関係改善に踏み出した。

 しかし、尖閣諸島沖の漁船衝突事件が象徴するように中国の対日外交を含む国際戦略は明らかに変わり始めた。

・・・ログインして読む
(残り:約421文字/本文:約1157文字)