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民主党は「次の政権運営」への芽を残せるのか

櫻田淳

櫻田淳 東洋学園大学教授

 臨時国会閉幕後に噴出した民主党の党内抗争は、収束に向かう気配がない。小沢一郎(元民主党代表)の衆議院政治倫理審査会招致に絡んで、菅直人(内閣総理大臣)や仙谷由人(内閣官房長官)の企図は、小沢や民主党内親小沢系議員の反発を招いている。

 そもそも、菅や仙谷は、小沢とは「異なる星」の下に生まれた政治家である。「55年体制」と呼ばれた自由民主党の一党優位体制の下で、自民党の執政に対峙してきた菅にとっては、小沢が「打倒すべき自民党」の体質を具現する存在であったというのは、想像に難くない。その事情は、1990年総選挙に際して社会党政治家として出発した仙谷にとっても同様であろう。加えて、1993年の「55年体制」崩壊前夜に小沢とともに自民党を脱党し、新生党結党に加わった群像の中には、たとえば愛知和男、石破茂、二階俊博、船田元といったように、後に小沢と袂を分かつことになった人々が多いけれども、岡田克也(民主党幹事長)もまた、そうした群像の一人である。小沢に対して菅や仙谷が抱く「懸隔」と岡田が持つ「距離」とは、それぞれ性格の異なるものだとはいえ、民主党内では「脱小沢」という同じベクトルを指し示している。

 こうした党内対立の融和を図れる唯一の存在は、「鳩菅新党」と称される旧民主党を菅とともに結成した鳩山由紀夫(前内閣総理大臣)であったはずであるけれども、彼は、菅・仙谷・岡田の現体制に距離を置く姿勢を鮮明にし過ぎたことによって、却って党内対立を煽る結果を招いている。小沢は、たとえ衆議院政治倫理審査会招致や証人喚問といった党内外からの圧力に晒されても、菅・仙谷・岡田の現体制が期待するような「民主党離党」という挙に走らず、民主党内に踏み止まって党内親小沢系議員を通じて影響力を行使し続けようとするであろう。小沢が民主党離党を決断するとしても、その後の彼の影響力を担保するに足るだけの数の議員が行動をともにするかは定かではない。民主党外に去った小沢が他の野党との協調を画するには、余りにも多くの障害がある。小沢にとっては、菅・仙谷・岡田の現体制の失墜を待って、その機に党内主導権を再び掌握するというのが、合理的な選択であろう。こうした様相では、民主党の党内抗争は容易に収束しないであろうし、そのことは、民主党の党勢を削ぎ落としていくのであろう。

 筆者は、昨夏の「政権交代」に始まる民主党の第一期執政の最たる目的は、その「政権担当能力」を世に証明することでしかないと考えてきた。民主党のように「過去に一度も政権を担ったことがない政党」の最低限の義務は、「政権を再び委ねても大丈夫だ」という安心感を世に与えることである。そして、民主党の第一期執政の後に自民党が政権を奪還し、その後に民主党が再び政権奪還を果たして第二期執政が始まる。筆者は、そうしたプロセスが出現してこそ、日本政治は、「政権交代可能な政治風土」の定着を確実にすることができると観た。故に、鳩山から菅に引き継がれた民主党の第一期執政は、後に誰が担うにせよ、何よりも「第二期執政への芽」を残すことに関心が払われなければならない。第一期執政は、世の人々に「もう再び民主党に政権を委ねることはない」という落胆を与える結果に終わってはならないのである。

 実際には、

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