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「武器と市民社会」研究会セミナー:「ロボット戦争」はどこに向かうのか?

主催:「武器と市民社会」研究会、拓殖大学海外事情研究所

WEBRONZA編集部

 1990年代以降に急速に進展した戦争の「ハイテク化」によって、無人の航空機や車両などロボットが戦場で活躍する時代が訪れている。米軍はアフガニスタンとイラクに、偵察、そして爆撃用に大量の無人航空機(UAV)を投入。UAVの操縦士たちは米国本土の基地に「出勤」し、爆撃後に家族のもとに帰宅する。今や、欧州諸国やロシア、中国、イスラエルなど数十カ国が、こうした「ロボット兵器」の開発に取り組んでいる。情報通信技術の発達とともに民生技術と軍事技術の境界はあいまいとなり、技術拡散も容易となっている。「ロボット兵器」は戦争をどのように変えたのか。「ロボット戦争」は非人道的なのか。国際法や民間の科学者たちは、こうした状況に対応できるのか――。国際法学者や政治思想、国際政治の研究者、ジャーナリストなどがそれぞれの専門分野を超えて議論する。※1月22日、「武器と市民社会」研究会と拓殖大学海外事情研究所の共催でひらかれたセミナーを収録。

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 ■佐藤丙午(さとう・へいご) 拓殖大学海外事情研究所教授。元防衛庁防衛研究所主任研究官。筑波大学大学院、ジョージ・ワシントン大学大学院修士課程修了。専門は国際関係論、米国政治外交、安全保障論(軍備管理・軍縮)など。論文に「通常兵器の軍備管理・軍縮」(『海外事情』)、「安全保障と公共性―その変化と進展―」(『国際安全保障』)、「防衛産業のグローバル化と安全保障」(『国際政治』)など。

 ■小宮山亮磨(こみやま・りょうま) 朝日新聞東京本社科学・医療グループ記者。2003年、朝日新聞社に入社。前橋総局、青森総局などを経て2010年4月から現職。産業技術、IT、宇宙開発などを担当。日本の研究者に対する米軍の資金援助が増えている実態を取材し、2010年9~10月に「アカデミアと軍事」と題して連載。

 ■岩本誠吾(いわもと・せいご) 京都産業大学法学部教授、法学部長。神戸大学大学院博士後期課程(単位取得満期退学)。防衛庁防衛研究所員、鈴鹿国際大学国際学部教授を経て現職。専門は軍事・安全保障に関する国際法、特に国際人道法(戦争法)。論文に「海外駐留の自衛隊に関する地位協定覚書」(『産大法学』)「国際人道法におけるサイバー攻撃の規制問題」(『国際問題』)など。共著に『国際紛争と国際法』。

 ■押村高(おしむら・たかし) 青山学院大学国際政治学部教授。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。パリ第2大学大学院DEA取得。パリ第二大学・パリ社会科学高等研究院客員研究員などを経て現職。専門は政治思想史、国際関係論、平和と戦争の思想など。著書に『国際正義の論理』『国際政治思想―生存、秩序、正義』『越える―境界なき政治の予兆』、編著に『アクセス公共学』『アクセス政治哲学』『アクセス国際関係論』など。

 ■高橋和夫(たかはし・かずお) 放送大学教授。専門は国際政治と中東研究。大阪外国語大学ペルシャ語科卒業。米コロンビア大学大学院修了(国際関係論修士)。クウェート大学客員研究員などを経て現職。放送大学で『現代の国際政治』や『世界の中の日本』などが放送中。著書に『アラブとイスラエル』『アメリカとパレスチナ問題』『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』など。ブログhttp://ameblo.jp/t-kazuo/

 ■夏木碧(なつき・みどり) 司会。2003年から特定非営利活動法人オックスファム・ジャパン勤務。人道/軍備管理・軍縮分野ポリシー・オフィサー。2007年に「武器と市民社会」研究会を企画し、同事務局を担当。

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司会(夏木) 「武器と市民社会」研究会事務局の夏木碧と申します。今回のセミナー「『ロボット戦争』はどこに向かうのか?」は、2009年に始まった「武器と市民社会」セミナー・シリーズ最終回ですが、このセミナーの背景や趣旨を説明し、登壇者をご紹介いたします。

 まず、私ども「武器と市民社会」研究会は4年前の設立です。背景には、地雷、クラスター弾、ウラン兵器、小型武器・通常兵器全般、ミサイル防衛など、通常兵器分野でそれぞれバラバラに活動・研究していたNGOや市民運動、研究者などの横のつながりをつくる必要性を感じたことがありました。また、例えば対人地雷を禁止したオタワ条約など個別の合意形成にNGOが関与したことを喜ぶだけではなく、通常兵器の分野全体を広く見渡した際に「市民社会」の活動をどのように評価しうるのか考える必要があるのでは、という問題意識もありました。そのため、NGOだけでなく研究者や政府・実務関係者も含めた、立場や見解がかなり異なる方々の意見交換とネットワーク構築の場として機能してきた面があります。

 2009年からのセミナー・シリーズでは、日本における議論の必要性を感じたテーマのなかで、研究会の構成メンバーの多様性、幅の広さを生かせるテーマを選んで企画してまいりました。開催にあたりましては、研究会メンバーの佐藤丙午先生が所属されている、こちらの海外事情研究所の皆さまに、共催と会場提供、ご協力をいただいております。これまでに「ミサイル防衛は必要なのか?」「オスロ・プロセスは本当に成功なのか?」「武器輸出三原則は緩和すべきか?」といったテーマをとりあげましたが、最終回の今回はいわゆる「ロボット戦争」について扱います。

 近年、戦争のハイテク化が進み、ロボットが戦場で活躍する「ロボット戦争」の時代が訪れています。米国のみならず欧州諸国やロシア、中国、イスラエル、シンガポールなど数十カ国が「ロボット兵器」の開発に取り組んでいて、そうした兵器の市場が拡大するなか、民用と軍事技術の境目は曖昧になり、情報通信技術の発展が技術の拡散を容易にしているとも指摘されています。

 しかし、「ロボット兵器」と呼ばれる兵器の登場は、戦争は本当に変えているのでしょうか? 変えているとすれば、それはどこを、何を変えているのでしょうか? 既存の国際人道法はこの状況に対応できるのでしょうか? 民間の科学者たちは、どのような問題や葛藤に直面しているのでしょうか? また、ハイテク技術はどのように拡散しているのでしょうか? ハイテク技術を持たない国家や非国家集団は「ロボット戦争」にどう対応しているのでしょうか?

 このセミナーでは、こうした「ロボット戦争」をめぐる論点を整理し、今後の議論につなげることを目指しています。

 今回はまず、本研究会メンバーの佐藤丙午先生(拓殖大学海外事情研究所)に、最近の状況や論点を網羅的にご説明いただきます。次に小宮山亮磨さん(朝日新聞記者)に、昨年9~10月の新聞連載とその取材をもとに、日本の科学者の研究・開発の現場と米軍の関係、科学者の倫理と葛藤についてお話しいただきます。そして岩本誠吾先生(京都産業大学)に、国際法の視点からみた「ロボット戦争」についてお話いただきます。3人のご報告後、国際関係論や国際政治思想の分野で平和と戦争の思想、国際正義論などについてご研究されている青山学院大学の押村高先生と、実際に「ロボット兵器」が多く使用されている中東地域の研究がご専門の放送大学の高橋和夫先生にコメントをいただきます。

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■「ロボット戦争」で数々の論点が生まれている――拓殖大学・佐藤丙午教授

 拓殖大学の佐藤です。研究会メンバーの一員としてなおかつ主催者として、ご挨拶を兼ねて、冒頭も「ロボット兵器」や「ロボット戦争」について、論点を提示させていただきます。

写真提供:オックスファム・ジャパン(4点とも)

 私は元々、ココム(対共産圏輸出統制委員会)やワッセナー・アレンジメントなど、軍民両用技術(デュアルユース・テクノロジー)の輸出管理をめぐる国際政治を研究してきました。軍民両用技術の分野では、1990年代以降、軍事と民間の技術的格差が小さくなる傾向が顕著で、特定の分野では民間の技術が軍を追い越している分野もあります。軍事に限定された技術であるならば、その国の安全保障上、輸出を規制する合理的な理由があります。しかし、民間企業の汎用技術が軍事にも用いられるようになると、これを規制すれば民間の企業活動も規制されてしまうことになります。したがって、汎用技術を中心に開発された手段を活用する「ロボット戦争」の時代には、「何のために輸出を規制するのか」という問題が死活的な問題になります。つまり、戦略論に限らず、輸出管理の分野においても、「ロボット兵器」や「ロボット戦争」が大きな主題になっているのです。

 ロボット戦争の起源をたどるとき、正確に表現するとすれば、「かなり以前から」というのが実態だと思います。兵士が個対個で「決闘」を行う戦争のスタイルは、数世紀前には戦争の主流ではなくなり、程度の差はあれ、科学技術の成果を活用した戦争が今日の一般的な形になっていると言えるでしょう。その中でも、軍事専門家は近年、「ハイテク技術がどのように戦争のあり方を変えるか」という問題に直面していました。一般的に、目に見えて戦争が大きく変わったと印象づけられたのは、91年の湾岸戦争と考えていいでしょう。湾岸戦争以降の「戦争のハイテク化」によって戦争が効率化し、例えば精密爆撃と損害の限定化を実現することが可能になりました。兵器のハイテク化には、近接戦を避け、遠隔地から攻撃することで味方の人的損傷をいかに減少するかという目的がありましたし、今日議論されているロボット戦争も、こうした課題解決の延長線上にあります。

 「ロボット戦争」を可能にしたのは、主に情報処理技術の発達、つまり処理技術とそれに伴うAI(人工知能)の開発でした。コンピュータで計算できる量が増加し、処理速度(CPUの能力)が速くなればなるほど、機械のできることが増えます。処理能力の進展は目覚ましものがあります。たとえば、私が修士論文を書いていた頃には、RAM(半導体記憶装置)は1MBや2MBでしたが、今や1GBのメモリではOS(基本ソフト)さえ動きません。現在家電量販店に行けば、1.5TBや2TBのHDD(外部記憶装置)が販売されています。こうした情報処理能力の飛躍的な上昇が、文字情報に加えて映像の処理も可能にしていったのです。

 そうした情報処理技術によって人間のように記憶・思考する機能を備えたのがAIです。センサー技術を活用すれば、機械は人間の感覚を越えるほどの情報収集を行い、それと共に状況把握能力の向上が期待できます。そうなると、コンピュータに現実社会の出来事のパターンを記憶させ、判断を下したり、記憶を蓄積して思考させたりすることも可能となりました。

 「ロボット戦争」の遂行を可能にしている要素として、情報処理能力に加え、レーザーやサイバー空間など、新たな攻撃手段やの開発も指摘する必要があるでしょう。また、ステルス技術や情報ネットワーク、それぞれの兵器に使われる素材技術などの発展も、この10~20年で飛躍的に進んだことは言うまでもありません。これら技術は、「可能性を高めた(enabling)」技術と呼ぶべきもので、先に述べた情報処理能力と組み合わさった時、戦闘力の向上を助けるものになります。

◇無人航空機(UAV)やクローン兵器で様変わりする戦争◇

 こうして私たちは歴史上初めて、自分たちが直接手を下すことなく、機械を利用して戦闘を行うという「ぜいたくな時代」入ることができました。結論を先取りして言えば、恐らく今後も加速度的に情報処理能力は上がっていきます。そうすると、今はまだ想像の世界かもしれませんが、やがて機械が人間の情報処理能力を超え、コンピュータが人間を超える判断能力をもつタイミングがやって来ます。米軍の第五世代の最新鋭戦闘機F-35は「有人戦闘機としては最後」と言われます。米軍は、今後は無人の戦闘機の時代が来るとみてその方向に動き出しているとも言われ、現にUAV(無人航空機)の調達を増やしています。

 米軍の戦闘では、すでにGPSなどによる位置探測能力を備えたUAV等の偵察機が敵の位置や行動を察知し、拠点に攻撃を加えることが可能になっています。無人偵察および攻撃能力が更に向上すれば、現在の「ロボット戦争」を越え、ロボット兵器同士が人的被害を出さずに戦争をする時代が来ます。そうなると、戦争において人間はどのような役割を果たすことになるのでしょうか。

 「ロボット戦争」の次の時代には、恐らくクローン技術が重視されることになるでしょう。21世紀の今も、物理的な世界やサイバー上の世界の戦場では、何らかの物理的な存在、つまり人間同士が兵器を用いて戦闘を繰り広げています。しかし、今後、遺伝子技術によって「生物学的な戦闘マシーン」が登場してくると、そのような「クローン兵士」を一般の人間として扱うのか、あるいは「戦争をするための新たな生物種」と見るのか、という論点も出てくるでしょう。

 このように、21世紀の戦争のあり方は今後も大きく変化していきます。「ロボット戦争」の問題は、戦争が変化する中の一断面を見ているに過ぎないのです。

 では、戦争の歴史の変化の中で、「ロボット兵器」の登場が戦争の何を変化させたのか、という問いを立てる必要があります。第一に、「戦場の場が拡大した」という観点を説明する必要があるでしょう。戦場の拡大とは、戦闘領域の拡大という意味ではありません。歴史上の戦争において、戦場の全てが見通せたという例は珍しくありません

 しかし、イラク戦争やアフガン戦争では、その幾つかの戦闘において、指令は現地ではなく米本土から下され、攻撃手段も遠隔地から飛来した攻撃機や爆撃機によって実施されました。このような戦闘において、どこからどこまでが正規軍によって戦われる戦闘領域か明確に区別することは難しくなります。つまり、戦闘で使用されたUAVは、物理的にアフガニスタンでテロリスト掃討のために使用されていますが、そのUAVの操縦士は遠く離れた米本土のカリフォルニアやコロラドにいるのかもしれない。そうなると、攻撃される側が反撃できるのは、空を飛ぶUAV等の攻撃機なのか、あるいはそれら無人機を操作している米本土の拠点を攻撃することも許されるのでしょうか。後者の解釈に立てば、テロという手段で米国の政治経済の中枢部を破壊し、米軍の拠点を破壊しようとするのは戦略的に間違いではないのかもしれません。戦争の指揮命令系統が物理的な存在として明確に峻別出来ない場合、自分に向かって撃ってくる敵だけに応戦していても意味がないからです。こうして、戦争は民間の市民社会の中にも否応なく入ってきます。

 高度情報社会においては、隣のビルの誰かがオフィスでコンピュータを操作してアフガニスタンを攻撃しているかもしれないので、隣のビルが攻撃された時には私たちも付随被害(巻き添え)に遭う可能性があります。しかし、そうなった時に私たちは誰にどんな論理でクレームを言えば言いのでしょうか。「戦争だから仕方ない」と納得すべきなのでしょうか。もしくは、此れまでのように「非戦闘地域に対する攻撃は国際法違反で許すべからざる暴挙である」と断言できるのでしょうか。

◇「無力化」するか、スマートに統治するか◇

 第二に、情報処理技術の進展やロボット技術が進展すると、戦争の目的が変化することが考えられます。つまり、敵側の戦争遂行意欲をなくす上で、相手を殺傷したり建物や施設、もしくは市民社会を物理的に破壊したりする必要は減少していきます。戦争によって人間を殺すのではなく、相手を「無力化」する、つまり相手の兵士や機械、情報処理システムを無力化することで相手の敵対的な行動や攻撃を防止できるようになるのです。

 例えば、レーザー兵器が発達次第では、指向性を持った強力な熱を発して、何百メートルも離れた相手の皮膚の体感温度を上げて無力化できるようになるかもしれない。そうなると、相手が動けなくなって抵抗力を失えば、無理に殺す必要がなくなります。ロボットは、映画「ターミネーター」のように相手を破壊することもできるでしょうが、破壊せずに無力化して抵抗力を奪うことも可能になるでしょう。ロボットの殺傷能力がどれだけ発達するかわかりませんが、非人道的な致死兵器の使用の蓋然性が減る可能性が出て来るでしょう。

 第三に、戦闘における人間の役割が減少します。戦闘局面だけを切り取ると、兵士は現場にいる必要が小さくなります。で、UAVをカリフォルニアで操縦する兵士は、戦争はゲーム感覚になるのは不可避なものとなります。さらに情報処理技術が発達すると、物理的に人間の能力を超える兵器が出てくるでしょうし、人間の知能や感覚を超える兵器も開発されるでしょう。ロボットがロボットを操作する戦争も夢物語ではなくなります。

 こうした状況をふまえつつ、新しい戦争の今後の社会的影響を考える必要があります。米ソ冷戦の時代では、核兵器によって相手の攻撃を抑止することが「戦争」の目的でした。しかし、「ロボット兵器」の時代の戦争では、戦争は回避すべき目標ではなく、実際に行動するものに立ち返るでしょう。もしかしたら、敵味方相互の代理人としてのロボット同士を「決闘」させるのが戦争の新しい形になるのかもしれません。

 しかし、人間は物理的で三次元の存在であり、なおかつ社会的な存在ですから、相手をどれだけ無力化しても、長期的に考えると、相手を殺傷しない限り再び立ち上がって抵抗してくるかもしれない。それを避けるためには、17世紀や18世紀の植民地時代のように、相手国を物理的に占領して統治する必要も出てきます。米国はイラクやアフガニスタンにおいて、ハイテク兵器を使って華々しい戦果をあげましたが、その後の両国の混乱状況をみると、ロボット兵器による戦闘での勝利が、戦争の勝利につながっているのかどうかという疑問を覚えます。とすれば、軍事ではなく、平和的な作戦、つまり新しい国家の建設などを促進するための統治が重要な意味を持ってきます。戦争の勝敗が、最後は「人間対人間」の問題になるのだとすれば、その部分をロボットに代替させることができるのかどうかも考える必要があるでしょう。

 最後に、セミナー冒頭で夏木さんからも指摘がありましたが、ロボット技術の拡散の問題もあります。ロボット戦争の時代では米国の優位が続くと見る意見が強いです。これは、一面では私も同意します。特に2001年の同時多発テロ以降、米国は研究開発費を増大させてロボット技術、情報処理技術、センサー技術、衛星技術などの開発をリードし、軍事的なインフラを整備してきました。この意味で、米国にはある程度のリードタイムがあります。しかし、先ほども言ったように、シビリアンとミリタリーの間の技術格差は年々縮小してきています。イスラム原理主義のテロリストであっても、サイバー空間に存在する情報を利用し、また、情報処理技術を何らかの形で活用しています。つまり、遅かれ早かれ。後発国も先進国にキャッチアップし、ハイテク兵器やロボット兵器による戦争を展開する可能性があります。そのような場合、米国はその状態を技術拡散の必然的な帰結として、拡散状況を受け入れるべきなのか、それとも、ロボット兵器等、関係する技術の厳格な管理を実施して、キャッチアップを阻止すべきなのか、いくつかの選択に直面するでしょう。

 また、ロボット兵器を活用する国同士が、無人化した戦闘を繰り広げるのであれば、そこに伝統的な意味での戦争の解釈を適応していいのでしょうか。このように、ロボットに任せる戦争が現実のものとなった世界は、どういう世界なのか、またそれは望ましい世界なのか、望ましくない世界なのかについても、議論をしていく必要があります。それ以外にも、「ロボット戦争」では、さまざまな論点があります。たとえば、戦争開始の段階で、自国の人的被害を考慮せずに済むのであれば、一国の為政者が戦争を仕掛けやすい状況が生まれるのかどうか。また、AIによって自己判断するロボット兵器には、これまでのような戦時の交戦規則や戦争責任は適用されるのか。さらに、人間の知能を超えるロボット兵器を、人間が常に管理統制できるのか。そもそも、こうした新しい戦争はロボットに任せてしまえるのかなど私たちが今後、注視していかなければならない点は非常に多いと思います。

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■日本のロボット研究に関心を示す米軍――朝日・小宮山亮磨記者

 朝日新聞東京本社の科学・医療グループの小宮山と申します。昨年、「アカデミアと軍事」という新聞連載で佐藤先生に取材をお願いした経緯で、今回お招きいただきました。

 この連載では米軍から日本の研究者が資金提供を受けている問題を取材しましたが、これと同じ問題を、1967年に1面トップで取り上げた新聞記事がありました。これは日本物理学会に米軍が国際学会の旅費の一部を資金提供していたもので、当時の額で数百万円とそれほど大きくなかったのですが、当時これが大問題となりました。この報道後、日本物理学会は軍からの資金を一切受けないという取り決めを作りました。それから約40年以上がたった現在、状況がどのくらい変わったのかという話をさせていただきます。

 まず、新聞連載では、ロボット技術の専門家である千葉大学副学長の野波健蔵先生が米軍と豪州軍が主催するロボットコンテストに参加した、というケースを大きく扱いました(2010年9月8日付「米軍の研究助成増加」9月10日付「アカデミアと軍事」第1回「米基地経由で研究費」)。

 野波先生が参加したコンテストは、市街地で戦闘員と非戦闘員を識別して、武器に見立てたレーザーポインタを照射して敵を無力化する能力を競うものでした。優勝賞金は75万ドルです。本選に出場していないため、この賞金は受け取っていませんが、予選の段階で開発費5万ドルを受け取ったということを野波先生も認めておられます。さらに野波先生は、2008年にはインドで米軍とインド軍が開いたロボットコンテストでミニチュアのUAV(小型ヘリ)を披露しています。野波先生はNASA勤務の経験をお持ちで、その関係で米軍とのつながりがあったのかもしれません。日本では地雷を探知・除去するロボット開発でも著名で、まさにロボット技術が軍事目的にも平和目的にも使えるという典型例を体現しておられる方です。米軍と豪州軍が開いたコンテストには、一緒に研究活動をしている米国人の特任教授とともに参加したそうですが、先生ご自身は「コンテストの趣旨を十分理解していなかった」と答えています。

 私自身は、ここまで軍事技術に密接に関与する日本の研究者が多数いるとは考えていませんが、こうした例が見受けられる背景には、米軍と日本の研究者との関係が深くなっている現状があると考えています。

◇日本での研究助成のための組織がある◇

 米軍からの日本の研究者への助成について分かっている範囲で申し上げれば、日本への研究助成のための下部組織の事務所を米陸海空軍それぞれが持っており、いずれも六本木のある施設の中にあります。六本木ヒルズから徒歩数分の一等地です。私たちが十分取材できたのはこのうち一つだけで、米空軍系のアジア宇宙航空研究開発事務所(AOARD)です。残り二つの組織はうまく取材が進んでおらず全貌が分かっているわけではありませんが、AOARDのケネス・ゴレッタ所長によれば、助成のタイプは三つあるとのことです。(1)研究資金を出す(研究助成)、(2)国際会議の費用を出す(会議助成)、(3)研究者の海外渡航費用を負担する(渡航助成)、という三つです。全体の額は教えてもらえなかったのですが、それぞれの平均的な額は1件あたり5万ドル、5千ドル、3千ドル程度とのことです。過去10年で助成件数は2.5倍、金額は10倍、恐らく1億円を超える規模になっていると推測されます。米軍が助成先に求める条件は極めて寛大で、使用目的を制約しない、論文の謝辞で米軍からの資金提供に触れればいい、知的財産権も主張しないなどと、研究資金として非常に使い勝手がいい制度です。ゴレッタ所長によれば、「憲法9条など日本の事情は理解しているので、支援対象は直接軍事応用につながらないものに限っている」とのことでした。現に、米軍は軍事技術に限らず基礎科学にも資金提供しています。ノーベル賞受賞者も多数含まれ、その中には日本人の白川英樹さんもいました。白川さんは若い頃に米国留学中していたのですが、このときに海軍系の事務所から給与をもらっていたそうです。(前出9月10日付記事)。

 なぜ、日本の研究者と米軍との関係が深まっているのか。これは佐藤先生が指摘されたことですが、民生のハイテク技術が発達したため軍事技術と民間の汎用技術の垣根が低くなってきている、また、兵器のハイテク化で米軍だけで研究費用を賄うことが難しくなっている、そのため汎用技術を使う割合が増えている、とのことでした。では、ロボット関連の米軍からの助成はどのくらい広まっているのか。もちろん、全貌が分かっているわけではないのですが、取材の過程でロボット関係のケースが非常に目に付いたことは確かです。AOARDには「科学顧問」として雇われている日本人の専門家がいて、日本の研究者へのコネクションがあるその方を仲立ちにして米軍と日本人の研究者が接点を持つ形になっています。その方は元々人工知能(AI)の研究者で、そうした方が顧問を務めていることからして米軍の日本のロボット技術への関心が高いということは言えると思います。

 また例えば、分かっている範囲では、日本学術会議の開いたロボット関連のある国際会議も米軍の資金提供を受けています。別の例では、日本機械学会の会議に米軍が助成を申し出たのですが、学会側が「明確な規定がないので軍からの資金提供は受けられない」として断ったケースもありました(2010年9月17日付「アカデミアと軍事」第2回「『米軍マネー』迷う学会」)。米軍のある報告書には、東北学院大学のある研究者がつくったベアリング(軸受)がマイクロUAVに使えるだろうと書いてあります。これは、このベアリングが超小型のガスタービンに用いられ、そのガスタービンが小型ロボット、小型航空機に使われる可能性があるという報告です(前出9月8日付記事)。過去の朝日新聞記事では、米軍が無人機のコックピットに使えるとしてバーチャルリアリティ(VR)技術への助成を申し出たケースもあります。この技術は、目で見たり手で触ったりする感覚をつくりだす「多感覚インタラクションシステム」というもので、例えば銅鐸や銅鏡を目で見て手で触りながらその感触を味わえるものです。これを開発した京都の研究者の方は文化財教育や遠隔地医療に使おうと考えていたのですが、米軍がこの技術に関心を示してUAVの遠隔地からの操縦に使えるのではないか、と報告しています(2010年9月24日付「アカデミアと軍事」第3回「研究現場訪ね助成判断」)。

◇研究費の削減で苦悩する研究現場◇

 日本の研究者がこうした米軍からのアクセスをどう受け止めているかというと、「研究費が少なくて苦しいから、のどから手が出るほど欲しい。でもやっぱり……」と感じているようです。研究費の削減で多くの研究者が厳しい状況に置かれていて、悩みつつも資金提供自体はうれしい、というのが多くの研究者の正直な思いです。ある国立大学の助教(助手)で、取材に対して「米国でひらかれた国際会議で米空軍と科学財団から渡航助成を受けたのは国の助成を受けられなかったから」と答えた方もいます。この方のように不安定な身分で、来年で任期が切れる、家族もいる、不安で夜も眠れない、どんなチャンスでもすがりたい、という思いでやむなく資金提供を受けている現実もあります(前出9月8日付記事)。千葉大学の野波先生にも、恐らく悩みがまったくなかったわけではないでしょう。千葉大学には07年に制定されたロボット憲章があって、その第2条に「ロボット研究は平和目的に限る」とされています。先生ご自身もかかわってこの憲章を作った可能性がありますし、そうした事情をよく知っていて元々悩みがあったからか、私たちの取材を受けたせいかは分かりませんが、野波先生は最終的に新たなロボットコンテストには出場しませんでした。

 ただし、AOARD科学顧問の方も指摘していましたが、そもそも軍事技術に関係するからといってこうしたロボット研究を邪魔していいのか、自己規制していたら日本だけが遅れてしまうのではないか、という論点もあります。野波先生も「こういうことが報道されでもしたら、若い研究者たちが萎縮してしまう」と非常に気にしておられました。冒頭で紹介した日本物理学会の決議についても、軍事研究として何をやってはいけないのかという区別が難しい問題です。軍事がダメなら軍事関係者を招いた国際会議を開くことさえできないのか。こうした議論の結果、1995年に決議の運用が改められ、「武器の研究と行った明白な軍事研究以外は自由」という規定に変わり、次第に自由になってきた経緯もあります。しかし、規定が変わった際にも「明白な軍事研究」とは何かという悩みは残っています(前出9月17日付記事)。

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■兵器自体は違法ではないが、使用制限は必要――京都産業大学・岩本誠吾教授

 京都産業大学の岩本と申します。私は国際法、とくに昔なら「戦争法」と呼ばれ、現在は「国際人道法」と呼ばれる分野、たとえば、捕虜待遇や兵器の取り扱いについて研究しています。戦後、日本では戦争法の研究はあまり進んでいなかったのですが、最近、ようやく若い研究者も増えてきました。今日は、そうした国際法の立場からロボット戦争を検討したいと思います。といっても、ロボット戦争全体を論じるというよりも、「無人戦闘機(UCAV)の合法性」に限ってお話しします。結論を最初に申し上げれば、UCAVは兵器そのものとしては合法ですが、その使い方が違法とされる場合があり、UCAVのもつ内在的な潜在能力からみて今後、使用規制を検討する必要があります。

 一例をあげて検討しましょう。例えば新聞などでよく報じられるように、「米国のCIAや民間軍事会社がUCAVを使用してパキスタンでテロ集団を標的に攻撃(targeted killing)して、多数の民間人を巻き添えに殺害した」というケースがあります。

左から佐藤さん、小宮山記者、岩村さん。

 これは国際法上、色々な側面が考えられます。まず、CIAや民間軍事会社に戦闘に参加する「交戦者資格」があるのかという問題があります。また、米軍はアフガニスタン以外に越境攻撃できるのか。つまり紛争当事国以外の中立国に対して軍事行動できるのか。さらに、米国が行っているテロ集団との戦闘を「戦争」と見るのか、「国内の治安活動」と見るのか。もし国内の治安活動とするなら、選定基準のよく分からない「標的リスト」を下に対象者を捕虜とせずに即殺傷するのは、国内の刑事司法手続き上は認められない司法外の刑の執行であって違法かもしれません。こうした論点の検討とともに、私がこれから述べるように「UCAVが民間人を多数巻き添えに殺傷したこと」についての国際法上の検討や評価も必要です。

 大急ぎで簡単に国際法の考え方を紹介しましょう。まず、国際法上の規律する戦争であるならば、「入り口論」として、正しい戦争か正しくない戦争か、侵略戦争か自衛戦争か、という論点があります。米国は、今やっている行動を「対テロ戦争」「自衛行動」だと主張しています。米国務省の国際法の法律顧問も「アフガニスタンやパキスタンでの米軍の軍事行動は自衛のためのものだ」と主張していますが、個々の具体的な戦闘行為についても、どう評価すべきかをさらに検討する必要があります。

 これは、「内容論」、いわゆる「交戦法規」が基準になります。交戦法規には大別して、戦争の参加者や犠牲者、捕虜の取り扱いなどを定めた「ジュネーブ法」と、兵器の使用や戦闘方法を定めた「ハーグ法」があります。今回のUCAVのような新兵器については、いわゆるハーグ法で兵器の違法性・合法性を判断することになります。ハーグ法は、まず、クラスター爆弾や対人地雷のように、条約で特定兵器の使用を禁止する場合があります。これは、締約国が限られるという意味では、限定的にしか適用されないのですが、非常に明確な条約の適用が可能というメリットもあります。

◇違法性が疑わしい新兵器は合法と推定◇

 もう一つ、普遍的な一般原則に従って兵器自体に対して制限を設ける方式もあります。例えば、

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