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万感の思いで迎える自民党シンクタンク解散

鈴木崇弘

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 2月28日、自民党が設立した政策研究機関「シンクタンク2005・日本」は、清算結了登記をおこない、完全に解散、消滅する。同機関の設立準備から設立、運営そして解散までに直接関わった者として、万感の思いだ。

 この組織の設立準備を開始した2005年から今日までの約6年間。小泉構造改革、郵政民営化、何度かの総理交代、政権交代、民主党への失望、政治の低迷と混迷を私たちは経験してきた。これらは、日本の政治史においても稀にみる大変動、そして高揚から閉塞感・停滞へという極端から極端へ、最もダイナミックに揺れ動いた激動の時期であった。

 2005年、私は、永田町の自民党本部の中にデスクがあった。

 その年は、国会は郵政民営化で揺れ動いていた。小泉総理(当時)が、「民営化に賛成か反対かを国民に問いたい」「命を捨てる覚悟」と発言、衆議院を解散。民営化造反組が自民党を追われ、対立候補が自民党からいわゆる「刺客」として送られた。その際、候補者の公募がおこなわれた。私は、議員たちとともに候補者の書類選考に関わった。また、応募者への公募不採用のお断りの連絡も直接おこなった。そこには、たとえ候補者に選ばれずとも、「自分も何らかの形で関わり、行動したい」「協力したい」という多くの国民の意志と期待があった。彼らの言葉の一つ一つを今も鮮明に記憶している。

 小泉総理の街頭演説も聞いた。そこには、一般の国民から小泉政権への「自分も応援し、支持したい」という熱い支持があった。あの時の人々の会話や社会の空気感は今でも覚えているが、国民からの小泉政権や政治に対する熱病のような高い期待感と強い思いを直に感じた。

 これらのことを通じて、日本の政治においても、社会の変化に向けて、国民は感じ、行動するのだと改めて感じた。豊かで、なかなか変化しない日本も変わりうるのだという実感があったのである。

 その後、新人も含めて選挙で勝ち抜いてきた議員たちが、党本部、国会に集まってきた。彼らは、日本社会全体の構造改革への期待、社会の高揚感に支えられ、意気軒高に発言し、活動した。すでに古くなっていた自民党本部の建物内も改革の機運に満ち、明るさと気力に満ち満ちており、新しい政党ができたのでないかというような感じがあった。

 シンクタンクの設立準備は、郵政民営化選挙をはじめとした激動の中で紆余曲折し、党内では異なる考え方も多かったため、当初の構想とはかなり異なる方向に進んだ。しかし、その中心を担った議員は自民党の改革派であり、今述べたように政治や党内の状況も改革志向の流れとなっており、その余勢で何とか設立に至った。

 その後、小泉総理は退任。安倍政権が誕生し、シンクタンクの設立に関わった多くの議員は、政権に参画することになる。安倍政権は、小泉政権の構造改革を加速することを表明し、国家公務員法改正、国民投票法、教育基本法改正、防衛庁設置法改正、日本版NSC構想などさまざまな政策や方向性を打ち出した。また、経済政策は、成長路線を目指すことで日本社会をより豊かにしようという「上げ潮政策」をとった。

 「シンクタンク2005・日本」は、非力でありながらも安倍政権誕生をサポートしたり、「上げ潮政策」を下支えする研究プロジェクトなどをおこない、自民党の構造改革の流れと軌を一にしていた。当時、私は、政党シンクタンクの今後の大きな可能性や役割に大いに期待していた。

 一方で安倍政権は、多くのスキャンダルや失言、郵政議員の復党問題や年金問題など多くの問題に遭遇した。国民の政権への支持は急激に低下し、2007年の参院選で惨敗。その後、安倍首相は退陣した。その結果、新たに福田内閣が誕生し、党も新しい執行部となった。また、参議院で与党自民党は過半数を失い、ねじれ国会の状況が生まれた。

 福田政権、そして麻生政権においても、政策的な手詰まり感、社会的閉塞感、リーマンショックに象徴される経済不況の深刻化は拭えず、自民党への不満は高まっていった。自民党への強い向かい風の状況が生まれ、政権と自民党への国民の支持は低下。勝算のない総選挙がいつ起きるかもしれない状況が現出した。こうした状況を小泉政権の構造改革に対する国民の強い反発、反感だとする主張が自民党内でもメディアでも世論でも高まった(しかし、本当にそうだったかは疑問だ)。自民党内の改革派はそのころから急速に力を失い、党内の改革への熱気は急激に低下していった。

 そして、メディアにも社会全体にも、日増しに「政権交代」こそが日本を救うという雰囲気が広がっていった。民主党も、このような社会状況をうまく活用し、勢いづいた。

 そこでは、

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