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霞が関の現役官僚が危ぶむ「"平成の開国"と税・社会保障改革のゆくえ」

古賀茂明(前国家公務員制度改革推進本部事務局審議官)/聞き手:一色清

 公務員制度改革などを手がけた霞が関きっての「改革派官僚」古賀茂明氏(経産省大臣官房付)へのインタビュー第3弾が実現した。今回のテーマは、菅政権が掲げる二本柱の政策課題、「平成の開国」と「税と社会保障の一体改革」だ。TPP交渉入りは可能なのか。消費税増税より先に手をつけるべき改革とは。WEBRONZAの一色清編集長が聞いた。

 ■古賀茂明(こが・しげあき) 1955年生まれ。80年、東大法学部卒業。同年、通産省(現・経産省)に入省。2003年、産業再生機構執行役員。経産省の経済産業政策局経済産業政策課長などを経て、08~09年に国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官を務めた。

古賀さん(右)と一色編集長。

――前々回、2010年8月のインタビュー(9月2日掲載「公務員制度改革は、こうあるべきだ!」)では、公務員制度改革全般について、古賀さんのお考えを伺いました。また、前回、2010年11月のインタビュー(11月29日掲載「事業仕分けと天下りにみる官僚のテクニック」)では、官僚組織のレトリックについて伺いました。今回は、「税と社会保障の一体改革」と「平成の開国」、つまりTPP(環太平洋経済連携協定)への参加という菅政権の抱える二つの大きな課題について、古賀さんに解説していただきます。本当に政治主導で進んでいるのか。官僚はどのような動きをしているのか。二つの政策への取り組みは、いいことなのか。よくないことなのか。今の進め方でいいのか。何が足りないのか。古賀さん自身のご意見も伺いたいと思います。その前に、まず、現在の古賀さんの置かれた状況を伺いたいのですが……。経産省の大臣は海江田万里さんに代わりましたが、どうでしょうか。

古賀 引き続き、今も大臣官房付という立場に変わりはないです。大畠(章宏)大臣から海江田大臣に代わる際の記者会見で、大畠大臣に「古賀氏のことは引き継ぐのか」という質問が出たそうですが、「人事の問題は私が云々というより、官房長の管轄だ」というお答えだったそうです。真意はよく分かりませんが、「政治主導で自分が判断して事務方にやらせる」というのとはだいぶニュアンスが違うように思いますので、相変わらず、今後どういう扱いになるかは全く分からない状況です。海江田大臣も、特に私に関して何か発言されたとは聞いていません。

――海江田さんとはまだ接触がないですか。

古賀 お会いしていないです。大畠さんとも結局、一度もお会いしないままでした。

――そうですか。これといった仕事が与えられない状態で、人事権者は「しばらく様子見」ということでしょうか。

古賀 よく分からないです。また、現役出向を打診しようとか退職を勧奨しようという内々の動きもありますが、正直、全く分からなくなりました。

――「今のままの状態なら霞が関を去る」といったお考えはないですか。

古賀 本当は役人が「なぜ霞が関にいるのか」ということに説明が必要なのも変なのですが(笑)。「辞めてくれ」と言われない限りは辞めるということは考えないのが普通ですよね。私は国家公務員制度改革推進本部事務局から経産省に戻って来た時、「近々移動してもらうから待っていてくれ」と次官や官房長に言われました。待っていると、結局、「今の政権下ではポストを見つけるのは難しいから民間に派遣で出てくれ」と言われ、「それは天下りと同じだから」と断ると、「じゃあ、仕方がないから辞めてくれ」となり、去年の10月末に辞めることになりました。ところが、去年の10月に急に出張に行かされて、それが10月15日の国会で「いじめだ」と問題にされ、しかも仙谷(由人)前官房長官のいわゆる「恫喝」答弁で、わーっと世間の注目を浴びてしまったので、すぐに辞めると「やっぱりいじめがあったんじゃないか」と思われるから、経産省から「しばらく辞めないでくれ」という話になり、そのまま待っていたら今日になってしまった、ということです。このまましばらくじっとしていて、誰も関心を持たなくなったら自発的に辞めてくれないか、あるいは静かな環境になったら人事当局としてどうするか決める、という考えじゃないでしょうか。

 私としては、もちろん引き続き改革の仕事をやらせて下さいと官房長にお願いしているところです。もし、もう辞めてくれということになったら、他に仕事を探すしかなくなりますけど、今はとにかく海江田大臣の判断をひたすら待っているという状態です。

――なるほど。政策の話に入りたいと思うのですが、まずは経産省とかかわりの深いTPPから伺います。昨年の臨時国会では、菅首相の所信表明演説で「国を思い切って開き、世界の活力を積極的に取り込む」などと突然取り上げられ、注目されました。「平成の開国」が菅政権の最重要政策課題の一つとされていく過程を古賀さんはどう見ましたか。

古賀 そういうことに関心を持って重要な課題として位置付けるのは、非常にいいことだと思います。菅総理が、通常国会の施政方針演説でまず第一に掲げた政策課題も、「平成の開国」「第三の開国」でした。その次に「最少不幸社会の実現」「不条理をただす政治」「地域主権改革・行政刷新」「外交・安全保障」と続きました。しかし、「開国」つまりTPP参加に限らず、日本の経済や社会を長期的にどうしていくのか、という全体の絵姿を考えないといけない。ところが演説の柱を見ても、トータルとして一つの全体像が有機的に描けていないと思います。

 民主党の最初のマニフェスト(2009年衆院選)のときから指摘されていましたが、民主党政権には、しっかり経済を成長させてそれを基盤に社会保障などの分配を進める、という発想が欠けていて、今でも、「まず分配ありき」という色彩が濃いままです。菅政権になっても、「成長戦略がない」との強い批判を完全には乗り越えられていないと思いますが、多少好意的に解釈すれば、分配のための成長の道筋が描けていないことにようやく気づいた、ということは言えると思います。

 「税金で雇用を生み出せば経済も成長する」という順序が全く逆の非現実的な主張には説得力がないし、国民も明るい将来を期待できるわけがない。国際的にも全く理解されていません。一方で、日本は少子高齢化でじり貧だと民主党や与謝野さんは本音では考えているのかもしれないけれど、海外に目を向ければ隣国や世界各国には非常に大きな可能性が広がっています。そうした世界を相手に日本の持っているポテンシャル(潜在能力)を最大限発揮すれば、まだまだ明るい絵が描けますよ、という全体構想が必要です。そのための象徴的で大きな柱として「平成の開国」やTPP参加をとらえるべきだと思います。

 時間をかけ過ぎかもしれませんし、「菅総理の思いつき」などとも言われてはいますが、仮に思いつきであっても「6月までにはっきりとした方針を決める」と宣言したわけですから、民主党が一枚岩になって、自民党など野党も含めて国会でも議論して、「やはりこの道しかない」という方針が固まれば、それは非常にいいことだと思います。

 ただ、今国会の議論を聞いていると、消費税など増税の話が頻繁に議論されています。ところが、「平成の開国」やTPPの話はほとんど出てこない。水面下で与野党間の相当な駆け引きがあるのだとは思いますが、私は、非常に危ないことになりかけているなと思っています。

 というのも自民党は元々、財務省の路線に乗っている人たちが多数派で、増税による財政再建をやるべきだ、という発想でした。民主党も実際に政権運営してみたら財源がないから増税するしかないというふうに、やや短絡的に財務省の路線に乗る人が多くなっています。「お金がないなら増税すればいい」という非常に単純な図式ですね。民主党も自民党も、「とにかく増税」という点では共通していて、「熟議」をするといっても「どうやって増税するか」というだけの議論になってしまいかねない。非常に残念ですし、危険なことだと思って見ています。

 いったんTPPの議論を始めれば、当然、各国との関税引き下げをめぐる交渉が必要になりますし、そこから農業など日本の産業をどうするのか、という産業構造全体を考える大きな議論が必要になります。しかも、TPPは、関税の話が中心の二国間のEPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)よりも、人やサービスの移動、制度設計など幅広く、かつ、よりハードルの高い交渉が必要になります。少子高齢化する日本には外国からの移民が必要ではないか、といった論点も大きなテーマになりますが、移民の受け入れ方によっては、日本社会のありかたに大きな影響を及ぼします。国会でもTPPの議論がもっと必要だし、積極的にやってほしいのですが、それぞれの党内に異論も多いせいか、自民党など野党も深く掘り下げることができていないですね。

 政府は国会では答弁する側であって、どうしても受け身にならざるを得ない。野党側が一切取り上げないのに、政府側の提案だからといってTPPの議論を一方的にしかけるのは難しい面もあります。菅さんがもし本気で進める気があるなら、党首討論でTPPの議論をするなど、増税に限らない全体像のなかにTPPを位置づけるような民主党側からの仕掛けも必要だと思います。

――自民党は、自分たちのTPPに対する立ち位置が決まっていないから、質問もしにくいんでしょうね。

古賀 正面切って取り上げるのが難しいのは確かだと思います。総論としては賛成でも、個別の中身の議論に入っていくと、農業を実際どうするのかということになる。そうなると、「農業はこれからの成長産業だ」「農業を強化すれば開国と農業は両立する」などとスローガンを叫んでいるだけでは済まない。議論の仕方を少しでも間違えると、すぐに「むしろ旗が立つ」ことになってしまいます。特に4月に統一地方選を控えていますから、どの党も地方の声に敏感になっています。そうした中で前向きな議論は難しいでしょう。

 他方で、民主党は連合の支持も受けています。電気、自動車などの産業の組合から見れば、TPP参加ができなかった結果、工場が日本から出て行くということなれば、組合員にとっても雇用を失いかねない大問題です。「農業のことばかり見ていないでTPPに入れ」という圧力も実は高まっていて、民主党が板挟みになっているという面もあります。

 特に地方では、自民党も民主党も農民や組合の人たちと直接向き合う訳ですから、この問題に深入りすると非常に難しい立場に立たされるので、議論から逃げている感じがします。

――私は以前、農水省担当だったこともあって長年、農水省をウオッチしているのですが、今回の「開国」「TPP」の動きについて、農水省は「強く消極的」という印象があります。つまり、官僚組織ですから大反対しているわけじゃないけれど、非常に消極的に見える。かつてのウルグアイラウンド(1986~95年)や牛肉・オレンジ交渉(88年決着)の時なら、農水省内でも「今後の日本全体のことを考えれば進めざるを得ない」「俺たちが責任を持って農業団体や農民を説得しなければ」という空気がありました。もちろん、その代わりとなる補償や補助金が必要だという交渉はするにしても、何とかして話をまとめる方向に動いていた記憶があります。ところが今回の場合、どうも官僚たちが体を張って、農業は強化するにしても日本のために必要だから受け入れる、そのために動くという雰囲気が感じられません。これはどうしてでしょうか。官僚たちが抱いているはずの国全体に対する責任感がなくなってきているのでしょうか。

古賀 いま一色さんがおっしゃったのと同じような雰囲気は、日本全体を覆っていると思うのですが、一つは「内向き」ということです。もう一つは「リスクを取らない、取りたくない」。そして、最後に農水官僚が日本の農業再生に自信が持てないということがあるように思えてなりません。

 この最後の点ですが、農水省は今まで何十年も日本の農業は弱いからと言って、ずっと保護し続けて来ました。そのため、外国との競争は極力避けるというのが基本方針でした。しかし、他の産業の例でも分かるとおり、長期にわたる保護政策で強くなった産業などありません。むしろ逆に、非常に激しい競争によって強くなった企業や産業の例はたくさんあります。しかし、農水官僚は競争によって日本の農業を強くできるという自信がないのではないでしょうか。保護しても強くできない、競争でも強くできない、そんな役所に任せておくこと自体ナンセンスだと思います。優秀な企業経営者や他国の農業省の官僚をスカウトして農業政策を任せた方がよっぽどましかもしれません。

 次に、「内向き」の話ですが、昔であれば、例えばウルグアイラウンドや牛肉・オレンジの交渉時であれば、日米関係など日本と世界の関係を意識しながら日本が対応するというのが基本動作でした。これは、官僚組織に限らず、マスコミも一般の国民も絶えず「世界の中の日本」に敏感でした。いま「開国、開国」と盛んに言っていますが、むしろあの頃のほうが日本人の目が外に向いていたんじゃないかという気がします。

 当時は日本がどんどん伸びていく時代でしたから、海外の日本に対する関心も非常に高くて、その反面、波風も立ちやすく、対応を少しでも間違えるとたたかれるという危機感がありました。しかし今は、日本が内向きになっている以上に、海外が日本にあまり関心を持っていない。こうした両方の相乗効果で、外を向いた議論をしたがらない。あるいは、しても意味がないと思い込んでいて、海外への関心が非常に薄れています。

 もう一つ、「リスクを取る」という点ですが、何となく一般論としての危機感があるのに、その危機を引き起こしている問題が非常に大きすぎるので、ちょっとやそっとでは動かないだろうな、という感じも蔓延しています。そうした問題に本気で取り組もうとすると、とんでもない軋轢を覚悟しなければならない。ところが、政治が政治主導で大きな方針を示すことができていないので、官僚一人一人も官僚組織も、自らのイニシアチブでリスクを取ってやることに消極的になっています。

――なるほど。国のトップが基本方針を示して、「これでいくぞ」といったときに上の指示に従って全部その方向でやる、というのが官僚のあり方なのか。あるいは、「省益」を主張し合って互いに調整するのが官僚の本来の姿なのか。また、上の指示と違う方向であっても、自分たちのあるべき姿を追い求めてもいいのか。官僚のふるまい方として難しいところだと思います。

古賀 やはり国民に対して最も大きな責任を負っているのは政治家だと思います。

 もちろん、官僚(組織)には継続性がありますし、いろいろな情報も持っています。政治家がすべての分野を詳しく理解することはできないでしょうし、政策立案過程で官僚が個人として、あるいは組織として政権の政策と違う意見や政策のアイデアを持っていてもいいとは思います。

 しかし、今までの官僚は、多くの場合、自民党と国民本位の政策論とはズレた形で利益共同体のようなものをつくって「族議員」と一体化して、お互いが持ちつ持たれつの関係をつくっていました。ところが、それでは必要な改革ができないことがはっきりして来ました。政と官で互いの意見が本当に違う場合が多くなったのです。特に、天下り先などの自分たちの既得権が脅かされる場合、官が政に議論で負けることも増えましたが、そういう場合は、往々にして「面従腹背」という行動がとられました。これは、どう考えてもよくない。

 互いの意見や政策の案を議論するのはいい。政治からトップダウンで「これをやれ」と言われたときに、「大臣、これを進めるとこういう問題が生じますよ」「問題を回避するには、こういう選択肢があって、こちらの方が恐らくいい結果になります」という提案をするのはまったく構わないと思います。しかし、官僚が自分たちの利益を守るために「ベストなりベターな選択肢を示さない」というのはまずいでしょう。もっともらしいお化粧をして選択肢を示しても、よこしまな意図が紛れ込んでいると、多くの場合、正しい議論に負けます。国民世論が許さない、政治家の判断としてできない、という判断を政治家が下したなら、それに従うのが官僚の役目です。

 そしてその途中の議論はなるべくオープンな形でやることが大事です。それによって国民に正しい判断材料を提供するのです。後になって、「実は官僚の提案した政策のほうがよかったね」となることが何回かに1回あるかもしれませんが、それは国民が政治家を選ぶシステムを取っている以上、仕方のないことだと思います。もし国民が「この政権はおかしい」と思えば、政権を交代させることができますからね。少なくとも参院選が3年に1回、衆議院も4年以内に一回は選挙があるわけで、国民には最低でも3年に1度は国政について意思を表明するチャンスがあります。

 とはいえ、政治家と官僚が常に対立するのが正しい姿だとは思いません。いくらよこしまな官僚であっても、政治家が本当に国民のためを考えて信念を持って正しい理屈を述べているなら、自分たちのためだけの動機を背景に持ちながら真っ向から議論を挑んでいく人はほとんどいないと思います。官僚だって、根っからの悪人というわけではなくて、基本的にほとんどが普通の人です。できれば正しいことをやりたいと思っているのに、人間は弱いので自分の生活のことなどを考え始めてしまって、最終的にいろいろな動機が混ざってしまう。これは役人に限った話ではないでしょう。

 でも、普通の企業であれば、会社は利益を出さなければならないので、一部の社員だけがもうかる仕組みは長続きしません。一部が会社に迷惑をかけている、株主に損害を与えている、ということになれば、企業の業績が落ちたり責任を問われたりして自然に歯止めがかかります。しかし、国の仕組みにはそうしたマイナスが見えにくいので、いかにして、官僚が国民のために働いたら評価される仕組みを作るか、すなわち、公務員制度改革が極めて重要になって来るわけです。ただし、最終的には、公務員の制度をどういう仕組みにしたとしても、官僚の好き勝手をコントロールする政治家の責任というものは最後に残る最も重要なポイントになるのですが。

――確かに「面従腹背」らしき動きはよく目にしましたし、政策的な争いの背景に何らかの意図が隠れていた、という構図もよく見聞きしました。

古賀 なぜ「面従腹背」が生じるのか。ときの政権に対する国民の信頼がないと、どうしても官僚側も政治家を軽視してしまう面があります。政治家だ、総理だ、大臣だ、といって威張っているけれど、国民は誰もこの政権を支持していない、どうせすぐにいなくなるさ、となれば、積極的に関与しても仕方がないと考えるのは人間の行動としては、ある意味合理的とも言えるのです。

政治や官僚が支持率をあまり気にし過ぎるのも問題ですが、究極的には、この政権のバックには国民の支持がある、簡単にぐらつかないし、闘っても無駄だ、という根拠がないと、あるいは明日にも政権が代わるかもしれないという状態だと足元を見られてしまいます。あからさまに悪いことはしないまでも、しばらく様子を見ようということになる。

――古賀さんは、「開国」やTPP参加には賛成の立場だとして、6月までに参加するかどうかの結論を出すという点の見通しはいかがでしょうか。霞が関や与党内に限ってもかなり抵抗が強いように見えるので、私はやや悲観的な見方をしていますが。

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