メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

発送電「機能分離」ではまだ甘い――欧州の経験から

脇阪紀行 大阪大学未来共生プログラム特任教授(メディア論、EU、未来共生学)

 電力自由化をめぐる論議が再び熱を帯びてきた。経済産業省は、電力会社の送電部門を切り離し、その運営を、電力会社から独立した機関に委ねる「機能分離」を最有力と考えているようだ。しかし欧州では機能分離ではなく、送電部門を別会社化する「所有分離」に進んでいる。「機能分離」の中身によっては、電力業界の影響力が残り、改革は「絵に描いた餅」に終わるだろう。

 地域独占の既得権の上にあぐらをかく電力業界に競争の風を吹き込み、各国を隔てる障壁を撤廃して、欧州の電力市場を一つにする――。欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会(以下、EUと表現)が、こうした理念の下、発送電分離に取り組み始めたのは、1990年代半ばのことだ。そのためにEUは、段階的に前進するやり方をとった。各国政府や業界の抵抗がそれだけ強かったからだ。

 最近、盛んに新聞メディアで報じられる「会計分離」―「法的分離」―「機能分離」―「所有分離」という4類型がその段階的進展の姿だ。ただ、これはいかにも経産省に好都合な類型図だ。垂直統合を認めつつ、送電部門の運用を独立系統運用機関(ISO)に委ねる機能分離は米国では中心的な制度だという。

 ただ、以下に述べるように、EUでは「会計分離」―「法的分離」―「所有分離」の3段階が基本であり、「機能分離」は中核的な理念とは言い難い。むしろ、機能分離は、電力業界や分離慎重派の国々との妥協策として取り入れられたアイデアと言っても言い過ぎではあるまい。

 1996年、EUはまず第一段階として、発電部門と送電部門の「会計分離」を義務づける指令をまとめた。ちょうど日本でも自由化論議が始まった頃だ。

 8年後の2004年、EUは第二段階として、発電と送電の法人格を別々にする「法的分離」を各国に求めた。これによって電力会社の多くは持株会社を作り、その傘下に発電と送電の子会社を置く経営形態を取り始めた。

 自由化に慎重なドイツやフランスが官民あげて、EUへの抵抗を強めたのはこの頃だ。法人を分離しないで、送配電網資産の所有権を電力会社が持ちつつ、系統運用だけを別の独立系統運用機関(ISO)に委ねる「機能分離」方式が浮上し、独仏は慎重派の国々を束ねて論陣を張った。

 2007年1月、EUは第3次の自由化指令案を発表した。電力会社を分割し、送電部門をまったく別の企業に譲る「所有権分離」案が柱だった。ただ、慎重派の国々の意見を取り入れてISO方式の「機能分離」を取り込み、どちらかの方式を選択できるとの内容だった。自由化の賛否両派間で激しい論争が繰り広げられた。電力業界の要求に対して、EUは「垂直統合が事実上維持されたままでは、かえって国境を越える談合を生みかねない」と反論した。

 当時の記録によれば、07年7月のEU閣僚会議では加盟27カ国のうち仏独や東欧の計9カ国が慎重論に回った。同年9月、EUは正式な法令案を提出、欧州議会や閣僚会議での論議を経て、09年3月に最終案が出来上がった。そこではこの両案に加えて、法人を分離した上で送電部門を独立送電運用者(ITO)に委ねる形の機能分離案が加わった。

 新たな機能分離案は、「法人分離」を前提にしている点で、電力会社の垂直統合をそのまま認める当初案よりもEUの立場に近寄っていた。しかも、この最終案では、たとえ送電部門の所有を持ち株会社に認めたとしても、送電線投資計画や承認に持ち株会社は口出しできないよう、独立機関に強力な権限を与える工夫が施されていた。電力業界からすれば、資産保有のうま味が感じにくい中身になっていた。

 この結果、何が起きたか。

・・・ログインして読む
(残り:約1066文字/本文:約2559文字)