メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

首相公選制度という「青い鳥」

櫻田淳 東洋学園大学教授

 橋下徹(大阪市長)の成功に触発された平成版「雄藩連合」の動きは、どれだけ地に足の着いたものなのか。「永田町」でも、みんなの党は、こうした地域新党に連携して国政における第三極の創成を模索しているけれども、その模索を裏付ける意味合いを込めてか、首相公選制度の導入を打ち出している。

 しかしながら、現行選挙制度を適宜、運用すれば、総理大臣公選制度を導入しなくとも、それに近似した効果を期待することは、可能である。

 二〇〇五年九月、小泉純一郎が主導した「郵政選挙」に際して自民党が大勝を収めた折、幾多の日本国民が支持したのは、「郵政民営化」という一つの政策ではなく、「小泉純一郎が手掛けようとしたこと」に他ならなかった。それは、「郵政選挙」の実態が、実質上、小泉に対する信任投票の性格を持つものであり、それ故にこそ首相公選制度の代替としての色彩を帯びた事情を示した。

 安倍晋三の執政期以降、自民党は、この「郵政選挙」の意味を明らかに誤解した。安倍は、「郵政選挙」での造反組議員を復党させた結果、「小泉純一郎が手掛けようとしたこと」を支持した世の熱気を一気に冷ました。その一方で、自民党は、安倍、福田康夫、麻生太郎の三代の総裁選出に際して、本格的な政策論争の結果というよりは、「党内の融和」と「当座の国民的人気」を過度に重視した。

 こうした経緯は、自民党の政権運営における姑息さと安易さを世に印象付け、自民党を後の下野に誘い込んだ。二〇〇九年八月の「政権交代」選挙の実態は、麻生太郎に対する不信任投票であった。過去数度の衆議院議員選挙は、総理大臣を国民が選ぶ首相公選制度の色合いを強く帯びるようになっているのである。

 故に、首相公選制度の導入という大掛かりの仕掛けを考えるよりは、次に挙げる二つの事柄を推し進めることが、「政局の安定」を担保する意味からは大事であろう。

 第一に、総理大臣候補たる政党党首(代表・総裁・委員長)の任期は、衆議院議員の任期に合わせる。これは、選挙後に首班指名を受けた政治家は、内閣不信任案可決に因る内閣総辞職の場合を除けば、次の衆議院議員選挙まで総理職を務めるということである。故に、政党党首選挙も、衆議院議員選挙前後の時期に実施することにする。

 そもそも、小泉が戦後第三位の長期執政に終止符を打ったのは、ただ単に自民党総裁としての任期が切れた故であり、彼の政策に対する評価を反映したものではない。二〇〇九年選挙は、本来、小泉、あるいは小泉後継総裁が、「郵政選挙」以後の執政の評価を問うべく断行する選挙でなければならなかったのではないか。

 加えて、参議院選挙の敗北によって与党党首、即ち総理大臣の「責任」が問われた従来の悪習は、一掃されるべきであろう。小泉もまた、在任中の二度の参議院選挙の内、二〇〇四年選挙に際しては勝利を収めるに至らなかった。二〇〇四年参議院議員選挙に際しては、安倍晋三が党幹事長職を辞することによって、敗北の責任は総括された。「政党の都合」でしかないものに国家運営が引っ張られる事態は、極力、避けるべきであろう。

 第二に、

・・・ログインして読む
(残り:約512文字/本文:約1794文字)