メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

学生・社会人×民主若手議員 マニフェスト検証会議

WEBRONZA編集長 矢田義一

参加者から活発な質問や意見が飛んだ=写真はいずれも民主党本部

 政策男子部()と民主党の若手議員らが企画した「学生・社会人×民主党若手議員 マニフェスト検証会議」が6月4日、東京・永田町の民主党本部5階ホールであった。日ごろ、NPO活動で政策研究に携わる人や、政策系シンクタンクで研究を続ける若い人たち約50人が参加し、現職の国会議員らとマニフェストがもつ意味や役割、可能性などについて議論した。

 国会議員で参加したのは、鈴木寛・参議院議員と、津村啓介・衆議院議員。ほかに、都議会や区議会の若手議員らが顔をそろえた。会場からは、「マニフェストのつくられ方を分かりやすく説明してほしい」「民主党のマニフェストには、2009年マニフェスト、10年マニフェストがある。どれを議論するのか」「2011年8月の中間検証をどう位置づけるのか」「マニフェストの項目を逐条的に議論するのは難しい」などの意見が続いた。

 津村氏は、マニフェストに基づく政治のあり方に関連し、「間接民主主義の価値を知ってほしい。毎年のように選挙をやるのは愚かしいこと。これだけ高度に分業化された社会で、毎日さまざまな意志決定をしなければならないときに、一定のグループあるいは少数の人間が効率よくものごとをジャッジしていかなくてはならない」と語り、決断できない政治へのもどかしさをにじませた。

「間接民主制の価値を知ってほしい」と語る津村啓介氏

 また、「ある程度少ない人数でどんどん合意形成していかなくてはならない。逆にいえば、人をしっかり選んでほしい。何党に所属しているというのもひとつの情報だし、どんなマニフェストを掲げているのかもひとつの情報だけど、それをどう説明し、そのなかで何が得意で、どう地域のみなさんに向き合っているのか。ソーシャルメディアでもチェックするのもいいが、政界再編もあるし、ぜひ一度、リアルでも会って、国会議員なり市議会議員を生で見て、話し方、拍手の仕方、ぜひ確かめてほしい」と述べ、国政や地方の様々なレベルで議員と直接接してみることを勧めた。

)<政策男子部> 永田町や霞が関、地域の政策形成の現場を知り、本質的で具体性ある政策づくりに関わってきた20~30代の男子を中心とした「部活」です。社会を担う責任世代として、私たちは政策を練り、汗を流し、時代の潮流を作っていきたいと志しています。部活を通して、世代や立場を超えた多くの方々と出会っていきたいです。

政策男子部発起人【年齢は発足日時点】:

・伊藤和徳(地方議会政策実現支援機構GUESS代表、元衆議院議員秘書、28歳)

・金沢一行(NPO法人政策過程研究機構理事、31歳)

・藏田幸三(地方自治体公民連携研究財団、37歳)

・橘美樹(NPOシンクタンク理事、霞ヶ関住人、32歳)

・原田謙介(One Voice Campaign発起人、学生団体ivote前代表、26歳)

・間中健介(NPO法人小児がん治療開発サポート理事、MBA、37歳)

・村田章吾(柏市議会議員、33歳)

政策男子部Facebookページはこちら

http://www.facebook.com/SeisakuDanshi

 以下、会議の冒頭で鈴木寛氏が行ったキーノートスピーチを紹介する。

 政治というはある種のトレードオフの関係から逃れられません。あるいは、ジレンマ、コンフリクト、これなんですね。政治では、国土交通政策も大事です、文部政策も大事、農林政策も大事。だけども、あえてどれも大事な価値に、その時々の、あるいは、その3年間、4年間のプライオリティーを、あるいは、その案配を、ポートフォリオを示すのが政治だというふうに思っています。そして、マニフェストとはそういうことを示しているものだと思います。

鈴木寛氏は「数字はウソをつかない。エビデンスに基づいた議論を」と語った

 民主党はマニフェストで、「コンクリートから人へ」ということを掲げました。これこそまさにトレードオフを示したわけです。結果どうなったか。私たちはですね、国交予算を3割カットしました。そして、教育予算を9%増やしました。あるいは、医療予算を13.5%増やしました。この間、OECDの教育大臣会合があって、リーマンショック以降、教育予算が増えている国は日本だけなので、なぜだと問われました。

 それには、こう答えました。「コンクリートより人が大事だということをマニフェストで掲げて、そしてその政党が政権の座についたので、できたのだ」。そうすると、「よく分かったと」と納得されました。

 ただ、それだけではありません。国土交通予算を3割切りましたけれども、建設業の雇用は、政権交代前と、たとえばこの4月でみると、1万人も変わっていない、ほぼ、完全に同じです。なぜそういうことができたのでしょうか。それは、大型の公共事業、例えば高速道路などは総公共事業費にしめる人件費の割合は1割です。一方で、たとえば学校耐震化。これは総事業費にしめる人件費の比率が3~4割あります。そうすると、同じ公共事業でもその中身をかえることによって3倍とか4倍の雇用をうむことができる。

 学校耐震化は政権交代前は67%でした。現段階で90%まで増やしています。ですから、しかも、高速道路のない町はいっぱいありますけれども、学校のない町はない。したがって、全国津々浦々に雇用をつくることができたということです。この結果、5.3%で引き継いだ失業率が、私が文部科学副大臣を辞める、ちょうど2年後、去年の9月に4.1%まで減りました。なぜできたのか。まさに、医療、福祉、教育、学習支援などに予算を振り向けたからです。その結果、90万人の雇用を新たに生むことができたからです。ただ、製造業は残念ながら減っています。産業構造の転換が進んでいるのです。その製造業で減る雇用を、医療、学習、福祉で補いつつ、建設業は現状維持をして、というような就業構造の転換に成功しました。

 しかしながら、4.1%まで下がった失業率は今、4.5%まで上がってきています。その理由は何かというと、子ども手当ての見直しです。昨年夏に3党合意で、子ども手当てを見直すことになりました。数字というのはウソをつかないですね。その後、教育・学習支援産業の雇用が、12万減りました。実は、政権交代から24万増えて12万減りました。しかしながら、この半年間で、医療・福祉の分野ではそれを上回るように雇用が増えたので、差し引き90数万人の雇用は増えているということが実際に起きていることです。

マニフェストと政権交代の意義について語る鈴木寛氏

 私たちは、そもそもこういう雇用政策、あるいはそのための予算配分構造の改革をやりたいと申し上げて、マニフェストをつくりました。ところが、マニフェストをつくった時の税収は46兆円でありましたけれども、私たちが政権交代後の1年目の税収は37兆円に下がってしまった。このことのせいにだけはできませんが、「人へ」ということですから、例えば、子ども手当て、高校の授業料の無償化、これは今も続いています。

 それから大学の学習権の拡充ということにも取り組んだ。例えば、28年ぶりに大学の授業料減免者を増やしました。昭和61年以来ずっと下がっていたのを、これを右肩上がりにいたしました。私たちは、授業料を無償にする学生を1.7倍にふやすことになりました。さらに、奨学金も、134万人で、これも2割増です。また、「出世払い型奨学金」と言っていますが、ある所得に達さない限り返済をしなくていいという奨学金も新設しました。学習権の尊重ということは教育制度のなかで一番大事だと思っているので、実現させました。

 また、塾に行けるお子さんと行けないお子さんの学力格差がどんどん広がってしまっている。その改善のために、35人以下学級というものや、あるいは、生活保護世帯を多く抱える地域の中学校の教職員の加配措置など、この政権交代後、1万300人の教職員を増やしています。

 医療についても、たとえば、私たちは、開業医の診療医療報酬はあまり増やしませんでした。その代わり、命に直結する医療を行っている、救急とか、小児科、産科、そして外科、この4科目は、しかもですね、手術には5段階あるのですが、一番難しい手術については1.5倍、その次に難しい手術については1.3倍の診療報酬改定を行いました。これまで、診療報酬というのはずっと下げてきたのですが、それをほぼゼロベースにもどして、減らすところと、今言ったように増やすところと、まさに、トレードオフですが、メリハリを、ポートフォリオをかえて配分した。その結果、たとえば大学病院クラスの大きな病院の収入は8%増えました。そのことに医療崩壊が下げ止まっている。まだ、改善まではむずかしいですけれど。

 「新しい公共」というようなこともいいました。私が個人的にずっとやってきた「コミュニティスクール」というのは、400校から1200校まで増やしていくことができました。放課後子ども教室は9700校になっています。また、私が10年前から言っているんですけれども、今、学校ボランティアが全国で約40万人いる。10年前は、PTA以外の学校ボランティアはオフィシャルにはゼロでした。これらは、ある意味では新しい公共の実際の取り組みです。

 また、「新しい公共」については、何よりNPOに対する寄付促進税制が大きい。この国には、所得から寄付した額を引いて、後に税率をかけるという所得控除という制度はありましたけれども、確定した税金の税額から寄付額の半分を減らして納税額を減らすという税額控除という制度はありませんでした。これを、新しい公共円卓会議を開くことによって、また超党派のみなさんのご理解も得て、これをつくることができました。これは認定NPOあるいは学校法人、社会福祉法人、私立大学や私立幼稚園もこの対象になっています。

 以上説明してきましたように、大きな資源配分の配分構造を変えるということをやらしていただいて、今申し上げたような、雇用構造の変更ということに先鞭をつけることができました。なぜ、これができたかということを最後に申し上げたいと思います。

 私たちは政治主導ということを言ってきました。政治主導という言葉はいろいろな意味で使われていますが、政策学的にいうとこういうことです。つまり、事務次官会議前置主義の撤廃ということですね。どういうことか。

 閣議というのが政府の最終意志決定機関です。おおむね火曜日と金曜日に行われます。メンバーは全閣僚です。これまでは、政権交代前はその前の日、月曜日と木曜日に事務次官会議というのが必ず置かれていました。事務次官会議の構成メンバーは全ての省庁の事務次官などによって構成されます。そして、それを事務次官会議というのはどういう役割をもっているかというと、次の日の閣議の議題を決める。しかも全会一致です。もちろん議案の承認もします。

 日本の国の何がいけなかったかというと、予算の配分構造が戦後ずーっと変わらなかったということ。要するに、省庁の予算配分の順番が変わりませんでした。しかし、我々の政権になって、一年目の予算編成において、文部科学省予算が国土交通省予算に並び、2年目の予算で、文部科学省予算が国土交通省予算をはるかに上回りました。これは戦後初めてです。

 それができたのは、まさに事務次官会議を閣議の前におくという前置主義をなくしたからです。つまり、政権交代前は全会一致主義で、事務次官会議が閣議の前の門番をしていたので、国土交通省の予算だけ減らして、文部科学省予算と厚生労働省の予算を増やすということはできませんでした。国土交通省の次官が必ず反対しますから。このような予算案は通りませんでした。だから、我々は事務次官会議をつぶしました。そして、閣議にかける案件は政治が決めるという原則を貫くことができるようにしたのです。

 もちろん、いろいろな議論の中でお役人のデータもあるいは、お役人の素案も決めますが、政治の仕事は、役所の範囲でできることは役人にまかせておけばいい。役所を超えるテーマについて、その調整や構造改革ということをやるというのが我々の一番の仕事です。事実、それをやめたことによってダイナミックに予算配分構造を変えることができました。

 政治主導というのは、言い換えれば、「国民主導」といってもいいかもしれません。私たちが勝手に政治家同士の議論で決めているわけではありません。例えば、2年目に政策コンテストというのをやりました。189の事業を我々は霞が関全体で対象にしました。そうしましたら、実に33万通のメール、アンケートが集まりました。ですから、一人ひとりが声を上げて政治を変えようという「ワンボイス」は非常に意味があるのです。

 33万集まった結果、189の事業のうちで1番は「奨学金を充実してほしい」ということでした。33万人のうち50%が10代、20代、30代からの声でした。

 おそらく戦後の歴史において10代、20代、30代が直接政府にこれだけの意見を言ったことは初めてだと思います。189のうちですね、文部科学省のものがかなり上位にきました。実は1番から8番まで文部科学省だったのです。つまりそれは、10代、20代、30代が初めて声を上げたからです。そして、それによって、さっき言ったように予算配分構造を変えることができた。まさに、政治主導というのは、官僚による現状維持の予算配分構造を、今の国民のみなさんのニーズを反映した声にもとづいて変えていくことなのです。こういうことが、マニフェストを掲げた政権交代による現時点での成果ということをご理解いただきたい。

 こういう話を、私は文部副大臣の時、記者会見で1時間ぐらい話しています。数字はウソをつきません。今言った話は全部ウェブに出ています。しかし、それをもっと分かりやすく説明するとか、それを資料にうまく発信するとか、そういうところは僕らもっともっと反省しなくてはいけないと思っていますが、残念ながらなかなか伝わりません。

 マニフェストというと、八ツ場ダムをめぐる方針変更などばかりが注目される。確かに変更したのは事実ですが、八ツ場の工事停止はやめたかもしれないが、国土交通省予算は3割削ってはいるのです。例えば、川辺側ダムはやめているわけです。そういう全体を見渡したこと、すべて、エビデンスを出して、エビデンスに基づく、証拠に基づく議論ができるような時代に日本も早くなりたいと思います。その基礎としてはマニフェストというのは大変意味がある。ただ、まだまだ発展途上ですから、そのマニフェストの作り方、議論の仕方、報道の仕方というのを、今日を含め、みなさんとさらにいいものにしていければいいなと思っています。