メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

政治におけるアートを追求してほしい――大島渚監督逝去に思うこと

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 作品を出すたびに社会的なスキャンダルと話題をもたらした映画監督・大島渚が亡くなった。

 私は、30年ぐらい前に米国ハワイの地に留学していた。当時、ハワイ映画祭(注1)があり、その招待映画か何かで、『戦場のメリークリスマス』が上映された。その上映後に、大島監督と観客の間の意見交換会があった。筆者も観客の一人として、質問させていただいたのを今でも鮮明に覚えている。

 「大島監督、日本でもお話しする機会がないのに、ハワイでお会いできて光栄です。『戦場のメリークリスマス』は素晴らしい映画です。ここでは日本軍捕虜収容所での日米の軍人の心の交流を描いていますが、そのような人と人との交流がないことから、戦争が起きるのではないでしょうか。その意味では、この映画はありえないことを描いているのではないかと思います。監督はその点をどう思われますか」

 大島監督は、筆者のその質問に、穏やかに笑みを浮かべて、次のような趣旨の回答をされた。

 「それは非常に重要な指摘ですね。ただ、芸術は、可能性を追求するものです。ありえないようなことも、芸術では可能なのです」

 筆者は、大島監督の回答に表された芸術に対する確信と前向きな姿勢に非常に感銘を受けたのをよく覚えている。そして大島監督は、作品でも人生でも、挑発的でありつつも突飛ではないリアリズムに基づく芸術の可能性を追求し続けたのだと思う。ご冥福を祈りたい。

 筆者は近年、政治や政策もある意味でアート(芸術)であると考えている。

・・・ログインして読む
(残り:約1138文字/本文:約1765文字)