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ウクライナの混乱は、アイデンティティーをめぐる亀裂

高橋和夫 放送大学教養学部教授(国際政治)

 ウクライナの首都キエフで大統領と反政府勢力の力一杯の綱引きが続いている。その背景は何か。それはウクライナという国に存在する深い亀裂である。今回の混乱の発端は、2013年11月に起こった。ヤヌコビッチ大統領がEU(欧州連合)との経済関係を深める協定を反故にしたからだ。

 この大統領の政策変更の背景にあったのは、ロシアの動きであった。旧ソ連邦の構成国で隣国のウクライナが離れていくのを嫌悪するプーチン大統領は、経済的な苦境にあったウクライナに150億ドルの援助を約して、EUへの接近を阻止した。

反政権派と治安部隊が衝突したウクライナの独立広場=2014年2月20日反政権派と治安部隊が衝突したウクライナの独立広場=2014年2月20日
 これに反発してデモが始まった。ヨーロッパとの密接な関係を求める人々が立ち上がったわけだ。デモはウクライナ各地に飛び火しているが、地理的に見ると首都キエフを含むウクライナの北西部に限定されている。南東部は静かである。

 2010年の大統領選挙においては、北西部ではヤヌコビッチは過半数の票を取ることはできなかった。ヨーロッパとの接近を主張する候補に敗退している。

 ところが南東部は、ヤヌコビッチに強い支持を与えた。結果は、ヤヌコビッチの僅差での当選であった。

 ちなみにヨーロッパからのオブザーバーは、この選挙での大きな不正を報告していない。つまり公正な選挙であった。僅差が示したのは、国民が二分されているという現実であった。

 ウクライナの北西部と南東部には、明らかに差異が存在する。北西部はヨーロッパとの接近を望んでおり、それに消極的なヤヌコビッチを支持していない。ところが南東部は、ヤヌコビッチの地盤であり、ヨーロッパよりもロシアに親しさを覚えている。

 それも、そのはずである。この二つの違いに、もう一つの違いが重なるからである。

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