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今こそ、伊藤博文! 彼は政治家や社会的リーダーのロールモデルだ

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 黒船に象徴される海外からの脅威のなかで、政治・経済・社会・文化的な一大変革となり、江戸時代の幕藩体制を崩壊させ、近代国家を生み出した明治維新の始まりは1868年。それから146年が経ち、まもなく150周年を迎える。また、日本が第二次世界大戦でポツダム宣言を受諾して敗戦し、戦後が始まったのが1945年。それからすでに約70年が経とうとしている。

 日本は明治元年以降、近代国家の建設にまい進し、成功した。だがその成功は、必要なギアチェンジが出来ず、結果として日本の敗戦をもたらした。そこで日本は国家をリセットし、経済的成長と繁栄にまい進し、再び成功した。だが、ここもまたギアチェンジが必要な時期があったのだが、それが出来ずにバブル経済に突入し、その崩壊と経済的敗北の状況を生み、現在に至っている。

 現在、第二次安倍政権によって、その状況に若干の変化の兆しもあるが、将来的には不透明な状況にある。また、この20年の政治は、多くの変革も行われ、政権交代もあったが、必ずしも大きな成果を生むことが出来ず、再び元に戻ってしまった観がある。

 他方、明治以降の成功と敗北、そして戦後の民主制度の導入による戦前戦後の断絶というように、日本に大きな変化が起きたようにみえるが、実は連綿と続いている部分がある。それは、軍隊なども含めた広義の官僚機構(注1)と中央集権である。

 官僚機構は、時代により影響力の大小はあるし、その力は減衰しているといえるが、依然として日本という国家を基本的に運営してきた中心的仕組みである。

 江戸時代は官僚機構が小さく非常に分権的だったことが社会の停滞をもたらしたという考えのもと、明治時代以降、資源や人材を中央政府に集中させ、日本を近代国家にし、他の近代国家に伍していけるようにしてきた仕組みが中央集権であった。その社会的流れは、敗戦の日本を立て直すという観点からも、戦後大きく変わらなかった。そこで国民は、社会や政治・政策に関しては絶えず受動者となったのである。

 このような歴史的背景を理解した上で、私たち日本人は、現在の状況を考察し、日本の行く末を考察する段階に来ているのである。

 日本において、危機的状態や大きな変革・変化が必要とされるとき、すぐに想起されるのは、明治維新であることが多い。そして当時活躍した、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝充などが思い出されるのである。

 だが、先述したような日本の今日的状況を考えると、筆者は最近、いま思い起こし、評価し参考にすべきは、彼等ではなく、実は伊藤博文なのではないかと考えている。

 そのように考えるようになったのは、『伊藤博文――知の政治家』(瀧井一博、中公新書)という本を読んだことがきっかけだ。同書は非常に含意に富んだ、優れた本である。

 人口に膾炙されているように、伊藤は、芸者好きあるいは女好きであり、強い信念もなかったと考えられている。

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