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いま、憲法論争が沸かないのはなぜか?(上)

「存立危機事態」の1941年と2015年

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

存立危機事態と傭兵隊長

 「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な事態」

 この難しい表現に「え、よくわかんないけど、それって、安倍晋三が首相やっている事態のこと? うん、ナットク」と混ぜっ返す勇気ある政治風刺は、もはや不可能のようだ。朝日新聞がそうした風刺マンガを載せても、フランスのオランド大統領が守ってくれるはずだけど。

 「存立危機事態」といえば、真珠湾攻撃による対米開戦を決めた1941年9月6日の御前会議の結論にも、「日本の自存自衛を全うせんがために」という文章がある。このままでは日本はたちゆかない、ということだろう。12月8日の開戦の「詔勅」なる文書にも「帝国は今や自存自衛の為蹶然起って」とある。

安全保障法制の与党協議であいさつする自民党の高村正彦副総裁(右)。中央は公明党の北側一雄副代表=27日自民党と公明党の与党協議はまとまったけれど……
 「存立」「自存自衛」、まあ似ているのはただの偶然で、菅官房長官なら口癖の「全然問題ありません」ということになるだろう。

 とはいえ、なんとなく気持ち悪いと思う人も少なくないはずだ。

 このままでは「自存自衛」が成り立たない。当時はまさにその通りだった。アメリカ、イギリス、中国、オランダなどから石油をはじめとする貿易封鎖がはじまっていたからだ。

 でも、そういう「存立危機事態」を引き起こしたのは、もとはといえば、満州事変から始まる日本の一連の軍事行動、政治行動だった。

 そのことを考えると、背景がまったく違うとはいえ、大いに気をつける必要があろう。そうすれば、この前の「イスラム国」(IS)による日本人人質事件も

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