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[30]失敗国家イラク――腐敗と、がんの恐怖

川上泰徳 中東ジャーナリスト

 2011年、9・11事件から10年を検証しようということになり、私がイラクを担当することになった。中東駐在編集委員としての仕事だった。

 そこでは、2003年のイラク戦争から8年を経ての総括をすることになった。

 バグダッド市内の治安はまだ完全には回復しておらず、中心部にあるコンクリートブロックに囲まれたコンドミニアムに部屋を借りた。そこには米衛星テレビ「CNN」や中国「中央電視台(CCTV)」のバグダッド支局も入っていた。取材で出る時は、武装護衛を付けた。

手抜き工事ばかり

 10日間の取材で、できる限り多くの人物と会おうと思い、40人以上にインタビューした。軍将校、兵士、人権活動家、政府関係者、医者、学校教諭、工場主、商人、エコノミスト、大学教授、部族長、シーア派宗教者、スンニ派宗教者、政党関係者、無職青年、工場労働者、タクシー運転手、ジャーナリスト、女性活動家など様々だ。

 バグダッド中心部の住宅地を訪ねると、イラク戦争から8年がたっているのに、1日4時間から5時間しか公共の電気が来ないというのが実態だった。

 残る時間は発電機を持つ業者から1アンペアを15ドルから20ドルで買うという。私が訪ねた家族は貧しく、3アンペア月50ドルしか買っていない。3アンペアでは照明と扇風機と冷蔵庫を稼働させる程度である。夏の間、気温は40度を超えるが、冷房は動かせないという。

<外国の支援も、政府の出費も、電気事業の改善のために膨大につぎ込んだ。それでも改善しないのは、電気省の役人と請負業者が費用を着服し、事業にお金がいかないためという。外国から買った大型発電機が設置されなかったり、発電所の改善事業の資金が足りなくて事業が遅れたりした例は珍しくない。元電気相が汚職の疑いで、捜査の対象となったこともある。
 電気供給が回復しないことは、産業にも大きな影響を与える。かつてはラシッド通りにひしめいていた縫製や革加工の家内工業は、戦後、2、3年ですべて閉鎖した。かつて60人の従業員を使っていたサアド・アリさん(48)は、いまは工場を閉め、小型の車で荷物の配送をしている。
 工場を閉めた理由は一番は電気事業だが、それ以外に、外国製品に関税がないため、中国製品やトルコ製品が安い値段で入ってきて、太刀打ちできない。「旧政権では国内の工場は優先的に電気が回ってきたし、国内製品を保護するための海外製品への関税も、国内製品への政府の援助もあった。いまは保護も、支援もない」と語る。
 バグダッド大学経済学部のマフムード・ダーギル教授は「国内の工業だけでなく、農業もひどい状況だ」と語る。「電気がないからポンプによる灌漑ができない。八百屋にいっても野菜や果物はトルコ、シリア、イラン産など外国産ばかりだ。チグリス・ユーフラテスという二つの大河を持ちながら、国内農業は死に絶えている」という。>(2011年6月24日付「朝日新聞」朝刊)

 イラク戦争後の役所の腐敗は、イラク南部に駐留した自衛隊の援助を書いた時にも触れたが、役人も請け負い業者も工事費を着服することしか考えず、手抜き工事ばかりになった。

 サマワでも日本の外務省が草の根無償援助として提供した1基で100世帯の電気を賄うことができる大型発電機9基を1億5000万円で購入したが、「発電機は中古品だ」と州電気局が引き取りを拒否して、稼働していない事例があった。

 自衛隊や日本の外務省の援助事業がサマワで食い物にされたことが、イラク全体で進んでいる。

 私はバグダッド市内の食糧品店を見てみたが、あらゆるものがトルコやヨルダンから来ていた。

「幽霊兵士」

 さらに別の形の腐敗もあった。

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