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[1]難民危機はドイツとEUを根本的に変える

熊谷徹 在独ジャーナリスト

 私はNHKで8年間記者として働いた後、1990年からドイツに住んでいる。この25年間に様々なテーマについて本や記事を書いてきたが、今年9月5日にドイツのメルケル首相がシリアなどからの多数の難民を受け入れると決断したことは、最も感動的な出来事の1つだった。

 だが同時に、いまドイツでは、保守派の政治家や地方自治体、庶民の間から「これだけ多数の難民を受け入れても大丈夫なのか。難民の流入は、いつまで続くのか」という懸念の声や、メルケル首相への批判が日増しに強まっている。

 ドイツは、ベルリンの壁崩壊と東西統一に匹敵する、急激な変化を経験しつつある。この難民危機はドイツを、そしてEU(欧州連合)を根本的に変えるだろう。私が住むミュンヘンには、9月5日からの3日間だけで、約2万8000人の難民が到着した。これは、2008年の1年間にドイツに到着したのと同じ数の亡命申請者が、3日間で着いたことになる。

ドイツ市民が拍手で出迎え

 9月7日にミュンヘン中央駅に行ってみた。ここは、ドイツに着く難民の大半が最初に政府の係官と接触して名前や国籍を登録する、「難民受け入れ・登録センター」になっている。

ミュンヘン中央駅に列車で到着した難民たち(筆者撮影)ミュンヘン中央駅に列車で到着した難民たち(筆者撮影)

   駅の周りに集まった数百人のドイツ人たちが難民たちを拍手で迎え、食料や飲み物、防寒具や玩具を手渡す。難民たちは笑顔で手を振り、市民の歓呼の声に応えていた。私は1989年にベルリンの壁が崩壊した直後に、東ベルリン市民が徒歩や車で西ベルリンを訪れ、西ドイツ人たちから拍手で迎えられるのを目撃したが、ミュンヘン中央駅の和やかな光景はその時の様子にそっくりだった。だがドイツ人たちは、メルケルの行った決定が社会全体に及ぼす影響、そしてこの国が直面する試練をひしひしと感じている。

  いまドイツの公務員、警察官、難民を地方自治体に送り届けるバスの運転手たち、ボランティアたちは不眠不休で働いている。9月5日以来、ドイツの多くの地方自治体は「危機対策本部」を設置し、週末返上で働いている。州政府から割り当てられる難民のために、時には24時間以内に宿泊施設を見つけなくてはならないからだ。

 この危機対策本部は、通常大洪水や原子炉事故などに対応するために設置されるものだ。多くの地方自治体にとっては、今回の難民危機は、大規模な自然災害に匹敵するような事態なのだ。

 多くの支援たちが難民を助けるために、無償で援助活動を行っている。私の知り合いのドイツ人たちも、ボランティアとして、難民にドイツ語を教えたり、寄付された大量の衣類の仕分け作業を行ったりしている。

 難民収容施設が、特定の作業のためのボランティアを募集すると、あっという間に定員オーバーになるほどだ。難民のための衣類も大量に寄付され、仕分ける作業が間に合わないほどだという。困った人にこぞって手を差し伸べるドイツ人たちの姿勢は、感動的ですらある(多くのドイツ人は教会に行かないが、彼らの態度には、キリスト教に影響された倫理観、道徳心が強く感じられる)。

100万人の難民が流入へ

 だがドイツの多くの庶民の心の片隅には、「ドイツはいつまで難民の流入に対応できるのか」という不安感が頭をもたげ始めている。その最大の理由は、数の多さだ。ドイツ連邦移住難民局(BAMF)によると、今年1月から7月までにこの国で亡命を申請した外国人の数は、約22万人。前年同期の2倍を超える。

 連邦政府は、今年8月中旬に「今年ドイツで亡命を申請する外国人の数は、約80万人に達する」という予測を発表していた。戦後最高の数である。これまで難民の数が最も多かった1992年には、約44万人がドイツに亡命を申請したが、今年は82%も上回る。

 だが80万人という予測は、9月5日にメルケル首相が紛争国からの難民受け入れを発表し、難民数が急増する前に発表された数字である。9月5日以降は、毎週数万人単位で難民がドイツに到着している。このような事態は過去に一度もなかった。

 このため、難民を全国で最も多く受け入れているノルトラインヴェストファーレン州のハンネローレ・クラフト首相は、「今年末までにドイツで亡命を申請する難民の数は、80万人を超えるだろう」と述べている。ハンガリーからは、今も難民が続々とドイツを目指している。9月中旬にドイツ政府は、同国で亡命を申請する難民の数が今年末までに100万人に達するという見方を発表した。

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