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[6]サン・ラザロの日とキューバ人の信仰

板垣真理子 写真家

 何年前になるだろうか。サン・ラザロの教会に這って向かう人の姿を写した写真を見たのは。

 「キューバでこんなことを?」

捧げものを守る人捧げものを守る人=撮影・筆者
 「五体投地」にも似た人々の光景をいつか目の当たりにし、信者の人の姿を写真におさめたい、そんな気持ちが実現したのが、2015年12月17日、サン・ラザロの日であった。

 教会であり、サン・ラザロなのだから、当然クリスチャンの信仰と思われて間違いないのだが、キューバの場合、またいくつかのラテン・アメリカの国々では、そのままではおさまらないものがある。

 それらの国々の宗教は、クリスチャンと、アフリカの神々とのドッキング、つまりシンクレティズムを起こしている。

 私個人の話になって恐縮だが、そもそも中南米のこれらの国に来るようになった理由もそこにある。

 私は、1980年代の初めからアフリカの国々に通うようになったが、そこでも最初に、またもっとも頻繁に出向いたのが、ナイジェリアだった。その西部にはヨルバ語を話す人々が住み、独特の宗教を持っていた。

 それが、広い大西洋を越え、新しい土地、南米やカリブで当時の奴隷制度とともに移り住み、クリスチャンの聖人と、多神教のヨルバの神々とドッキングしながら、何百年もの年月、生き延びている、と知った時の驚き。

 クリスチャンの多くの聖人たちと結びつき易かったため、中南米のほうが顕著なシンクレティズムを起こしているが、現在ではこの流れをくむ信仰は、北米にもヨーロッパにも広がっている。実は日本にも。

 私はまず、ブラジルに出かけ、そしてキューバに来るようになった。

 さらに新たな驚きは、どの聖人たちと、どのヨルバ神がドッキングしているかが、いくつかの例外を除きほぼブラジルもキューバも似通っていることだ。

 それは、双方の聖人と神々が、物語を持ち、色を持ち、多彩な特徴があるからだ。

 どの神々とドッキングさせれば、不自然ではなく、すんなりと双方が成立するか。もしくは、禁止されていたアフリカの神々への祈りを、クリスチャンの聖人に祈るように見せかけてできるか。それはほぼ、別々の土地の離れた歴史の中で一致していたのだった。

 アフリカ系の宗教の呼び名は、それぞれの土地で違い、ルーツのヨルバでは「ジュジュ」、ブラジルでは「カンドンブレ」、キューバでは「サンテリーア」となる。

何万人もの人々が教会に 

 さて、ラザロの話に戻ろう。

 サン・ラザロは、多くのキューバの人々の信仰を集めている。愛され、尊敬され、奇跡を起こすと信じられている。特に、難病の治癒、また足の病を助けてくれると信じられていて、足の不自由な人々も多く集まる。

こうして後ろ向きに這う人もいこうして後ろ向きに這う人もいる=撮影・筆者
こんな迫力あるラザロと一緒の人こんな迫力あるラザロと一緒の人=撮影・筆者

 サン・ラザロ教会は、ハバナの市街地から空港を越えてさらに離れた地域であるリンコンにある。

 この日、車の通行が禁止された地点から往復10キロの道のりを歩くのだから、足に難のある人にとってはかなりな重労働になる。

 しかし、松葉杖をつく人、車いすの子供をつれた家族、足に難はなくても膝と掌だけで、倒れ込みそうになりながらも、時にはお尻を地面につけて後ろ向きに這って行くなど、何万人もの人々が教会に向かう姿は、ある種、感動的な光景である。

 もちろん、単に徒歩で向かう人も大勢いる。私も、カメラを担ぎながら、共に歩かせていただいた。

紫色の人の群れ。教会へ向かう人、帰る人が交差する紫色の人の群れ。教会へ向かう人、帰る人が交差する=撮影・筆者
 足の不自由な方にカメラを向けても、どの人も写真に撮られることを厭わなかった。むしろ、誇らしげにカメラにおさまってくれたのも、有難く嬉しい驚きだった。

 人々は、願掛けのため、「痛みを伴う約束事」をし、また、特にそれらがなくても、家族の健康と幸せのために祈りを捧げる。

 一年中、暑いキューバだが、さすがに一応、北半球に位置しているため、11月頃から少し涼しい日が多くなる。しかし、12月のこの日は、真夏のような暑さと日差しの強さで、這って行く人々は倒れ込みそうになることもかなり多かった。

 ついに到達した教会内部。正面に位置するラザロやキリストを抱くマリア像の前には多くの人々が蝋燭を捧げ、祈る。やっと到達した人がレスキューに助けられながら聖像前に膝まずく姿は感動的である。

 幸せそうに蝋燭を捧げるカップルあり、涙ぐむ若者あり。教会内部の柱の元にも、ラザロの像と蝋燭と花々が所せましと捧げられており、ズタ袋を着た信者が守っている。

紫色の服と2匹の犬

 なぜ、ズタ袋か。少し、ヨーロッパのラザロの物語をしよう。

 あるお金持ちの家の玄関先に倒れ込んだ貧しい人がいた。袋でつくった服を着て、病を持っていた。その人の名はラザロだった。お金持ちはこの人に食べ物をあげ、助けた。そのお金持ちの人の来ていた服が、紫色だったために、ラザロの色は紫とされている。

 また倒れ込んだ男はハンセン病を患っていた、ともされるし、足から血を流していた、その血を犬が舐めて癒した、ともされている。

 なので、ラザロの日には、人々はズタ袋製の服か、紫の服を着る。ラザロの像も同様、紫の衣装で、犬を2匹連れており、その犬は聖ラザロの膝を舐めている。キューバのハバナ郊外のリンコン教会の近隣にはハンセン病の療養所もあるという。

やっと教会に到達やっと教会に到達=撮影・筆者
 アフリカではどうなのか。

 ラザロは、ヨルバの神々の中では、ババルアエ(これはキューバでの発音。ヨルバの発音は、オバルアエ)であり、やはり、病を司っている。

 ヨルバでは神々は、自然現象を「司って」いるため、病を癒してもくれるし、蔓延させることもある。ヨルバでは、主に天然痘の神だった。

 ヨルバの言い伝えでは、ある時、至高神が人々が争ってばかりいて平和が来ないことに業を煮やし、天然痘をこの世に送り込んだ。その神が「オバルアエ」だった。

 人々がそれを知り、自らの行いを振り返ったために、オバルアエは天然痘を治めて遠くの村に追いやった……。

 ヨルバのオバルアエの色は白と黒、もしくは、白と黒と赤である。他の神々と聖人は、色までもシンクロしていて目を見張るが、色という点では、キューバのラザロは、かなりクリスチャン的要素も生きていることになる。ヨルバのオバルアエは、やはり病を司る神、オモルと同一視されることもある。

なぜ、ラザロなのか

 その日の夜。10キロを歩きとおして一度宿に戻り、シャワーで汗を流した後に、ギタリストである、私の歌の師匠の演奏する場に足を運んだ。

 なんと、この日、師匠も、また聞きに来ている人たちの多くが紫色の服だった。また、教会への道のりで見かけたようにズタ袋製の服の人もいた。

 「キューバのほとんどの人々の信仰を集め、愛される神である」というキューバで書かれたサン・ラザロを説明した資料を読み、確かに、キューバでは多くの聖人の中でも特にラザロが強くて人気があるけれど、「ほとんどの人の信仰?」という疑問ももっていた。

単なる水? と思いきや「聖水」を配布しているらしい。ペットボトルで持ち帰る人、顔や手を洗って浄める人単なる水? と思いきや「聖水」を配布しているらしい。ペットボトルで持ち帰る人、顔や手を洗って浄める人=撮影・筆者
 だが、それはこの日に、「やはり、かなり多くのキューバの人たちが、ラザロを信仰の対象として意識しているのだ」に変化した。なぜ、そんなに強いのか、という点だけが、疑問のままである。

 私の友人の友人にラザロという名前の人がいて(ラザロという名前の人はたくさんいる)、12月17日、ラザロの日の生まれのため、その名をもらったと聞いた。今、その人に、その「なぜ」を投げかけているけれど、果たして、答えは返ってくるだろうか?

 もうひとつ、小さなエピソード。実は、私の父も12月17日生まれである。そのためキューバで行われるこの祭祀の日もしっかり記憶に残っていた。

 ただ確認したいため、宿の女主人に「ラザロの日は?」と訊くと、「ああ、それはね、17日よ」と言いながら、キリストと12聖人のレリーフの裏側から、小さくかわいらしいラザロの像を出してきた。

 上半身は裸で、紫の衣服をつけ、松葉杖をついて膝から血を流している。その連れている2匹の犬がその血を舐めている。

 キューバでは犬がとても愛されていて、それもなぜ?という疑問のひとつだったけど、もしかしたら?という新たな想像が生まれた日でもあった。