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[6]朴正煕政権からの経済発展、その光と影

ケネス・ルオフ ポートランド州立大学教授

省略された展示

 大きく分けて、朴正煕政権の評価は、ふたつのテーマによって形づけられる。朴正煕はクーデターによって1961年に権力を掌握した。民主的統治の実験をこころみたのは、ほんのつかの間で、1979年に暗殺によって、政治の幕を閉じた。

 第1のテーマ。朴政権が解放後のほかの政権が成し遂げなかった、著しいマクロレベルの経済発展という成果を収め、この国民国家を豊かに強くしたのはまちがいない。しかし、このテクノクラート政権の強権的な側面をどう評価すればよいかということである。目的は手段を正当化するだろうか。

 第2のテーマ。それは韓国の発展自体をどう評価すればよいかということである。この中央集権的に統制された近代化によって、利益を得たのはだれで、利益を受けなかったのはだれなのだろうか。

 近現代史博物館は、第3展示室でこうしたあれこれの問題を扱っている。「韓国の発展 1961-87年」がそれだが、この時期は、国民からの圧倒的な民主改革要求によって退陣に追いこまれた全斗煥の軍事独裁時代も含んでいる。

 展示では、重大な省略がなされている。おそらく1960年代以降の著しい経済成長が、自前の近代化によるものだという物語をつくるためか、1945年をまたぐ継続性がまったく紹介されていないのである。それによって、近現代史博物館は、韓国の産業資本主義を、解放後の現象ととらえているようにみえる。いずれにせよ、博物館では植民地時代と解放後の発展とのあいだに、いかなるつながりも見いだしていない。

 これとは対照的に、とりわけカーター・エッカートのような歴史家は、植民地時代にさかのぼって、資本主義的発展の源を追い、植民地時代にも、いくつかのグループの朝鮮人が大きな富を築いたことを明らかにしている。エッカートによれば、この同じ資本家とその後裔が、のちにハンガンの奇跡を引っ張ったのである。

ベトナム派兵の「残虐さ」

 近現代博物館のキム理事は、植民地時代の近代化について熟知している。しかし、私が尋ねたところ、かれの答えは、研究者たちは真剣に韓国資本主義の起源について論議しており、多くの学者はエッカートが植民地時代の重要性を強調している点には同意していないとのことだ。

 近現代史博物館の学芸員たちは、批判がある都度、展示内容の変更をしていると説明した。たとえば第3展示室では、1960年代に朴政権が日本と国交を結ぼうとすることに反対する動きがあったという情報が追加された。これにたいし政府は、国交正常化に反対する大衆運動を上から押さえこんで、1965年の韓日条約締結にこぎつける。

 朴政権は国交正常化条約で日本から得た賠償金を国家発展プロジェクトにつぎ込んだ。しかし、韓日条約は植民地時代の多くの未解決の問題を後世に残すことになった。

 さらに悪いことに、多くの韓国人の目からみて、次のような条項は将来に禍根を残すものと思えた。

 「両締約国は、両締約国およびその国民(法人を含む)の財産、権利および利益ならびに両締約国およびその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」

 朴政権は歴史問題を終結させる代わりに、日本から数億ドルの投資資金を受け取った。もうひとつ朴政権への投資資金の源となったのが、1960年代から70年代にかけての南ベトナムへの派兵である。韓国はアメリカの特需をあてこんでいた。しかし、この派兵は現在まで尾を引くやっかいな問題となる。この派兵により、韓国はアメリカから支払いを受け、朴政権はそれを発展プロジェクトに向けた。

 近現代史博物館は、ベトナムへの派兵について、金銭目当てとイデオロギーと戦略が一体となったものだったとの評価を下している。だが、この数十年、韓国は現在重要な貿易相手国となっているベトナムへの干渉について、再考を強いられるようになっている。韓国軍がベトナムでさまざまな虐殺に関与し、さらには現地の女性たちに性的な虐待を加えたことも明らかにされ、韓国軍は非難にさらされた。

 こうした事実は朝鮮(韓国)を常に被害者としてとらえる考え方を揺るがすものとなった。このような残虐性は、植民地時代の日本帝国主義者が韓国においておこなってきた犯罪と、何ら変わらないものである。だが、これについて韓国は日本政府にこれまで謝罪の表明を要求してきたのだ。

「成長の影」 

 社会史とのかかわりで、近現代史博物館は、1960年には最貧国だった韓国を豊かな国へと変えるため、この50年のあいだ、一般の人びとがどれだけ経済発展に貢献したかに光をあてている。

 同博物館はまた急速な経済発展の裏側や、労働の搾取についても記録している。写真は、近現代史博物館のビデオ作品のなかから、チュン・テイルの姿を写したものである。チュン・テイルは仕立て職人で、縫製工場での苛酷な労働環境に抗議して、1970年、20歳のときに自殺した。

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