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「ルペンに国を任せる不安」がマクロン最大の勝因

国を取り巻く状況がフランスより深刻な日本。和製ルペンは容易に現れる

冨永格 朝日新聞報道局員

「破局が5年先送りされた」

パリ・ルーブル美術館の前で勝利演説を終え、支持者にあいさつするマクロン氏(中央左)とブリジット夫人(中央右)=5月7日パリ・ルーブル美術館の前で勝利演説を終え、支持者にあいさつするマクロン氏(中央左)とブリジット夫人(中央右)=5月7日

 フランス大統領選の結果には、かの国の知性を愛(いと)おしむ人々や、EU研究者、欧州ウォッチャーの多くが胸をなで下ろしたことだろう、「これで破局が少なくとも5年先送りされた」と。私もその1人である。

 中道のエマニュエル・マクロン前経済相(39)が得票率66%で当選し、極右政党と呼ばれる国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首(48)は及ばなかった。

 このポストが国民の直接投票で決まるようになって選挙は10回目。極右の台頭、大政党の凋落(ちょうらく)により、これほど世界的に注目された選択は初めてである。

 異例続きの展開の末に、なんとか結果だけは常識的な線に収まった。しかし「まさか」が起きなかったからこそ、マクロン新大統領を待ち受ける課題とともに、ルペン現象を冷静に総括しておく必要を痛感する。

確実に薄まった極右への嫌悪感

 マクロンの最大の勝因は、やはりルペンに国を任せる不安だろう。つまり消極的な支持である。

 得票の半分は「反ルペン票」だったとする調査もある。ルペンへの不安は、国境を自由に越えられる原則などEUの果実、日常生活に定着したユーロとの縁を切る不安でもある。

 欧州統合もそれなりに歳月を重ね、50代以下の有権者には慣れ親しんだ空気のような存在だ。ルペンが強調した移民や治安への懸念と相殺するには重すぎる。これがマクロンへの消極的な支持にまとまった。投票率の75%は大統領選としては1969年に次ぐ低さで、白票などの無効票が過去最多の10%超もあったという。

 ルペンの父が決選投票に進んだ2002年の大統領選と比べると、極右への嫌悪感は確実に薄まった。選挙戦のさなかのメーデーには、反ルペンを訴える労組や市民団体が全土でデモ行進したが、参加者は約14万人で、02年の約130万人とは比べようもない。ルペンの得票率34%は02年からほぼ倍増、あらゆる選挙を通じてFNの最高記録である。

消極的な支持をどう見るか

マクロン氏優勢の一報が流れると、パリ市内に集まった支持者は喜びを爆発させた=5月7日マクロン氏優勢の一報が流れると、パリ市内に集まった支持者は喜びを爆発させた=5月7日

 マクロンを積極的に支持したのは、中高所得層の都市住民だった。パリでの得票率は90%である。これに対し熱心なルペン支持層は、地方の失業者や低所得者、農民らが中心だ。

 決戦投票では、工場労働者の約60%がルペンに投票したとされる。失業率は全体で10%、若者に限れば25%。グローバリゼーションに抱く彼らの恨みは大きい。あまりの不人気で現職が出馬できず、2大政党の公認候補が決選に進めない異例の展開が、自分たちを守ってくれない政治への不信を裏づける。

 約100ある県単位で見ると、第1回投票の得票率トップが社会党からFNに変わった県が21、共和党からFNに変わった県が25あった。大政党の間を右往左往してきた「うまくいっていない層」の失望が限界点を超え、振り切れた状態である。こうした困窮層を極右や極左に追いやらない政策が急務だろう。

引き継がれる宿題

 左派政権ではあったが、経済相時代のマクロンは規制緩和に熱心で、その経歴からも自由経済の申し子といえる。実際、左派の労働組合は、決選投票の組み合わせを「ペストかコレラの選択」と評して棄権を呼びかけた。

 ただ私は、フランスは米国ほどには分断されていないと見る。若者の失業率や移民への対応は難題だが、分かれるのはそれらへの処方箋(せん)であり、米国のように国を閉じるような選択肢はない。EUで「名誉ある孤立」を選べるほどの国力はないのだ。

 「まさか」の不安から売り込まれていたユーロは、マクロン勝利の報を受けて対ドルで6カ月ぶりの高値をつけた。ルペンが勝てば、フランスのEU離脱が将来の波乱要因としてのしかかり、世界経済は年の単位で混乱しただろう。もっとも、マクロン勝利で何かが解決されたわけではない。ルペンをここまで押し上げた理由は、そのまま新大統領の宿題として引き継がれる。

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