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党首不在で本部も売却 フランス社会党の悲哀

大統領や首相を輩出、政界に君臨した名門政党を弱体化した現実を知らないエリート集団

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

屋台骨が腐敗、じわじわと崩壊の道へ

 日本の民進党は唐突な総選挙を機にアッという間に解党したが、屋台骨が徐々に腐敗した末、じわじわ崩壊の道をたどっているのがフランスの社会党だ。

 大統領や首相を輩出、政界に君臨した名門政党が、春の大統領選でブノワ・アモン公認候補が歴史的惨敗を喫した末、ジャン=クリストフ・カンバデリス第1書記(党首)が責任をとって辞任。後任が決まらず、目下のところ党首が不在なうえ、選挙費用などによる借金を返却するため、輝かしい歴史を刻んだ党本部(写真)の売却も決まった。

売却が決まったフランス社会党本部(筆者撮影)売却が決まったフランス社会党本部(筆者撮影)

 フランス社会党の誕生は1971年にさかのぼる。故フランソワ・ミッテラン元大統領がそれまでの社会主義系の小党をまとめて創設し、第1書記に就任した。カンバデリスは11人目だ。来年の2月か3月に開催予定の党大会で、第1書記が選出されるまで、25人の執行委員が代役を務めるが、有力候補が不在、というより、積極的に手をあげる者がいないという情けない状況だ。

 カンバデリスの辞任は春の大統領選(直接選挙、2回投票制)で、アモン公認候補が1回投票で約6.5%の投票率で惨敗した責任をとったものだが、辞任が9月30日と遅れに遅れたのも、後任のなり手がいなかったからだ。しかも、カンバデリスの最後の仕事は、選挙戦での借金返却などのための党本部売却だ。11代目とはいえ、カンバデリスも、「売り家と唐様で書く三代目」の悲哀をかみ締めていることだろう。

党本部の推定売却代金、約71億円

 フランス社会党の本部は長年、「ソルフェリーノ」の別称で親しまれてきた。日本で自民党本部の別称が「平河町」(かつて本部が平河町にあった)であるように、党本部の所在地が「パリ7区ソルフェリーノ通り」だからだ。同区は官庁や高級アパルトマンが立ち並ぶ一等地だ。元貴族の邸宅だった本部は3千平方㍍の広さを誇り、推定価格は「5500万ユーロ(1ユーロ=約130円、約71億円)」(高級不動産物件専門のバルヌ不動産)だ。

 コスモポリタン都市・パリの場合、カタールなどの中東富裕国や米欧、あるいは中ロなどの富裕層が絶えず、投機も含めて物件を物色しているので、超高値でも、「すでに引き合いがいくつも来ているはずだ」(同)。

 フランスの大統領選キャンペーンはこのところ、米国並みに派手な豪華大会が主流になっており、選挙費用も巨額だ。アモンの場合も、党が「銀行から800万ユーロ(約10億円)を借金して賄った」(党幹部)。しかも、党員は減る一方なので、資金源である党費や寄付などの収入は当てにできないという。まさに弱り目にたたり目の状況なのだ。

エリートが支えた「キャビア社会党」

 フランス社会党は第5共和制(1958年制定)下でミッテラン(1981-95年)とオランド(2012-17年)の2人の大統領を輩出した。ジャック・シラク右派大統領の下でリヨネル・ジョスパンが首相(1997-2002年)を務めた保革共存政権という事実上の社会党政権時代も含めると、実に20年以上の長期にわたってフランス政界に君臨してきた。

 しかし、ミッテラン長期政権時代に、「権力は腐敗する」の例にたがわず、崩壊が始まったとも指摘されている。隠し子や末期がんのスキャンダルを抱えながら2期14年(2001年の憲法改正前の大統領任期は7年、以降は5年)の任期を全うしたミッテラン政権を支えたのは、高級官僚養成所の国立行政学院(ENA)出身者を中心とするエリート集団だ。贅沢(ぜいたく)な生活習慣などから、「キャビア社会党」とも呼ばれた。現実を知らない頭でっかちのエリート集団による「机上の空論」的な政策も目立った。

机上の空論だった「週35時間労働法」

 その典型とされるのが、98年のジョスパン政府時代に施行された「週35時間労働法」だ。

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