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[29]平昌五輪に冷ややかな若者の「成熟度」

政治よりも、スポーツを楽しみましょう!

伊東順子 フリーライター・翻訳業

聖火リレーの旗を振って盛り上がる人たち=13日午後、韓国・ソウル聖火リレーの旗を振るソウルの若者たち。五輪の「政治利用」にはうんざりしているようだ

こんなに盛り上がらない五輪は珍しい

 韓国で長く暮らしながら、これまで数多くのスポーツイベントを見てきた。その熱狂ぶりは時には韓国人が見ても過剰だったようで、時々メディアで意見を求められた。特に2002年、サッカーW杯の頃、折しも前年に韓国で出版されていた拙著『韓国人は好きだが、韓国民族は嫌いだ』(2001年、ケマ高原)が韓国ナショナリズムの批判だったこともあり、そこを指摘してほしいというような依頼が多かった。

 「国際競技とナショナリズムの関係、外国人から見て、我が国はどうでしょう?」
 「オリンピックのメダル数に熱狂するのは、発展途上国っぽくはありませんか?」

 広場を埋める赤い群衆を見ながら、韓国の中堅記者は少し恥ずかしそうに尋ねてきた。

 それを思えば、平昌オリンピックを前にした現在の韓国人、特に若者の態度は、過去にないほどの「先進国的な成熟」なのかもしれない。団体応援の呼びかけも、同じTシャツの着用を求めるようなこともない。

「オリンピック、見に行く?」
「寒いから、テレビでいいかな」

 みなさん、落ち着いた反応だ。ただ、今回は開催国である。メダル競争とは別に、ホストとしての役割がある。それを考えると、この「冷めた感じ」には、少々の不安さえ感じる。ただ、熱くなれない理由がある。

冬季五輪に韓国人が熱くなれない理由

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